第68話 救いのない地獄で


 部屋の中はゴミで埋め尽くされていた。電気も止められているため、窓から差し込む月明かりだけが唯一の光源だ。

 その中で一人、体育座で蹲っている。両足の間に顔を埋め、微動だにせずに微かに呼吸で肩が上下するだけだ。


「……全く、いつ来ても汚い部屋ですね」


 その時、暗闇の中から不意に声がする。その声にトモは慌てて居住まいを正し、お辞儀をした。乾いたヒールの音がし、場違いなドレス姿の女が現れる。手にした扇子で顔は隠され、鋭い目だけが露出していた。


「お、お母様……い、いらしたのですね」


「あら? 来ちゃいけなかったかしら?」


「と、とんでもございません! ただ、一言連絡を頂けたら、す、少しはおもてなしが……」


「そんなもの、期待してないのでどうでも良いですよ。あなたはゴミ捨て場で暮らす人間に上質な接待を求めるのですか?」


「……いえ」


 項垂れるトモに女は鼻を鳴らし、散らかるゴミを乱暴に蹴散らす。それがトモの方に飛ぶが、お構いないし続けていた。


「今日はガッカリしましたよ、トモ」


 一しきり、ゴミを払い終えると大仰な所作でため息をつく。


「何故、ハクをボス部屋に閉じ込めなかったのですか? そのための用意が台無しになりましたよ」


「そ、それは……」


「お陰で、私の大事な部下も迷府に捕まりました。この損失、あなたに賄えまして?」


「あ、う……えっと」


「ハッキリしなさい!」


 女は出し抜けにトモの顔のすぐ脇目掛け、ゴミを投げつけた。狭い部屋にバン! と大きな音が鳴る。


「ご、ごめん、な、なさい……」


「謝って済む問題じゃないのですが」


「……ご、ごめんなさい」


「はぁ……本当にあなたと話すとイライラしますわね。利益が無ければ、とっくに殺してますのに」


 ツカツカと近寄り、髪の毛を掴んで無理矢理にトモの顔を上げさせる。


「良いですか? もう一度、ハクとコラボ配信をなさい。そこで、今度こそしっかりと役目を果たしなさい」


「っ、でも、あんな事……」


「果たすんですよ? 断るなら、あの男が死ぬだけです」


「っ!」


 トモの目が見開かれる。


「そ、それだけは、止めてください。お願いします、ちゃんと、ちゃんと、やりますから……!」


「分かればいいのです」


 女は乱暴に髪の毛を離し、突き飛ばす。トモの身体は積み上げられたゴミ袋の中に投げ出され、破れた袋から汚いものが溢れ出した。


「フン、本当に薄汚いドブ鼠ですね。良いですか? あなたは黙って言う事を聞いていなさい」


 そう吐き捨てると、踵を返す。


「次、言う事を聞かなかったら容赦しませんよ」


 再びヒールの音を鳴らしながら、女は暗闇の中へと去って言った。

 一人残されたトモは身体に付着したゴミを払い落していくが、やがて嗚咽を漏らし始める。


「わた、しは……」


 女の命令は絶対であることを理解している。

 また背けば、約束は反故となるだろう。


「もう、無理だよ……こんなの、出来る訳、ないよ……」


 暗くて臭いバラック小屋の中、ゴミに塗れるだけの少女。

 これがSランクディーヴァー、湊鼠トモ――青山アイの本当の姿。


 否、Sランクと言う名声すら偽りでしかない。デーモンスレイヤーと嘘偽り、成りすましただけなのだから。


「これが罰なのかな……今まで、ずっと、私は……」


 助かろうなどと、思ってはいない。もし手を差し伸べられたとしても、その手を掴む資格などない。

 だが、せめて――。


「……アイ」


 隣の部屋からか細い声が聞こえてくる。

 彼女は乱暴に涙を拭い、向かう。


「ごめん、うるさかったよね。せっかく寝てたのに、ごめんね」


 泣き腫らした目で取り繕う様に笑みを浮かべる。


「アイ……ごめんなぁ。お前にこんな苦労を掛けて……」


 薄汚いボロボロのベッドに横たわる男が小さく呟く。汚れた寝巻から覗く手足は驚くほどに細く、病的なまでに白かった。


「そんな事、言わないで。ほら、今日の薬だよ」


 小さなガラス瓶に入った赤い液体をコップに注ぎ、差し出す。男は半身を起こして受け取ろうとするが、激しく咳き込んでしまった。


「中々、良くならないね……でも、今度はもっと高価な薬だからきっと効くはずだよ」


「アイ……正直に言ってくれ。そのお金は……どこで? ディーヴァーだけの稼ぎじゃ無理だろう?」


「――そんな事ないって! ほら、私Sランクなったって言ったでしょ? 日本の頂点の一人なんだよ? お金なんていっぱいあるんだから! 治ったら、大きな家に引っ越して、一緒に旅行するって約束したでしょ!」


「………」


 男はそうか、と頷いて薬を飲む。そして再び横になり、トモは丁寧に布団をかけていった。


「私も頑張るから、お父さんも頑張ってね!」


 トモは父親に優しく微笑みかける。

 

 ――だが、別室のテーブルの上には無数の金融業者からの督促状が散らばっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る