第30話 名もなき邪悪
郷土資料館に足を運ぶも、残念ながら閉館時間だった。
明日、ダンジョンに行く前に寄ってみれば良いか。
旅館に戻ると、丁度玄関で女将さんとバッタリ顔を合わせた。
「お帰りなさいませ。ダンジョンはどうでしたか?」
「はい。無事に踏破出来ました。他のダンジョンとは趣が違って楽しかったです」
「それは良かったです……って、一日で踏破したのですか!?」
やはり驚かれるか……。視聴者さんたちはもうあんまり驚かなくなってきてるけど。
「ええ、まあ」
「あのダンジョン、結構難しいと評判なんですが……将来有望ですね」
「ありがとうございます。あ、あの一つ聞きたい事があるんですが……?」
女将さんもこの町の人だし、祠について何か知っているかもしれない。
「何か、気になる事でも?」
「祠について、なんですが」
その瞬間、女将さんの表情が強張った。先程までの柔和な笑顔が無くなり、真顔で俺を見つめている。
「……ダンジョンの職員は何と?」
「祠が重要で、ダンジョンがその祠を飲み込むように出現したってのは聞きました。……迷惑系ディーヴァーが壊した事も」
「……なるほど」
女将さんは深いため息を吐く。
「お時間、宜しいでしょうか?」
「大丈夫です」
「では、こちらへ」
従業員用の部屋に通される。そこでソファに座るよう促され、女将さんは古い書物をテーブルに置いた。
「この町の歴史書です。私の家系は大地主として、まだここが村と呼ばれていた頃から行政に深く関わっていました」
頁をめくっていき、ある場所で止まる。そこには流れるような書体で書かれた古い文字と、浮世絵の妖怪のようなものが描かれていた。
「この土地には、古くから得体の知れない何かが棲み付いていました。名前はありません。口にするのも禁ずる程の忌まわしき者なのです」
それは村人や家畜を見境なく貪り、子供が犠牲になる事さえあった。手をこまねいた村人たちは何とかそれを祓おうと考え、有名な僧侶に助けを求めた。
「僧侶たちは国津神の力を借りて、ようやくそれを封じました。しかしあまりにも強く、三つの依り代に分散して二度と元に戻らぬよう、封印したのです」
「……そんな事が」
昔の俺なら一笑に付しただろう。
でも実際にこの眼で異世界を見て、異形の存在と戦ってきた。何より、この地球にもダンジョンが出現している。科学では説明のつかないものが過去にも実在していたとして、何ら違和感はない。
「ええ。ですが、その封印が最近破られたのです。愚かな人の手で」
ダンジョンの職員が言っていた迷惑系か。動画映えなのか、承認欲求か知らないけどバカは本当にバカな行動しかしないな。
「町の人たちの態度がそっけないのもそのせいでしょう。町人たちからすれば、部外者に平和を脅かされたようなものですから」
「……なんか、すみません。私も事情を知らずに、町の事を色眼鏡で見てました」
「気にしなくて良いですよ。色眼鏡で見てるのは私どもの方ですから」
女将さんはパタン、と本を閉じた。
「それに封印は一つ破られただけです。明日には封印を受け持った僧侶と所縁のある方がダンジョンに入り、応急処置を施す手筈になっています。ハクア様がご滞在なさる内はご安心ください」
「………」
俺も手伝います、と言いたかったが……余所者だ。まず信頼されないし、余計な火種を生むだけだろう。
だけど、国津神ですら封印できたなかった化け物か……強そうだな。
*
女将さんとの話を終え、俺は一度部屋に戻ってから大浴場に向かう。夕食までまだ時間があるので先に汗を流しておこう。
暖簾をくぐり、曇りガラスのドアを開けると半裸のオッサンやお爺さん、若者が一斉に俺の方へ視線を集中させた。
「うわっ!?」
「え、ちょ、おい、男湯だぞ!」
「迷子かな? お父さん、ここにいるのかい?」
「あ、わ、す……すみません!!」
俺はぴしゃりとドアを閉め、急いで入り口まで戻った。
心臓はバクバクと鳴り響いている。
「うわぁあああ……やらかした」
つい、男のつもりで男湯に……!!
「くっそぉ、何してんだよぉ……」
手で顔を覆った。多分、今の俺の顔は真っ赤だと思う。
クソ、落ち着け! 今の俺はこっちに行かなきゃいけないんだ!
男ではなく、女と書かれた方へ再度入り直す。
……本当に入って良いのかこれ。なんか、凄い落ち着かないというか、悪い事をしている気分になる。
恐る恐る曇りガラスのドアを開ける。当然だがこっちにはオバサンやお婆さんがいる。
「……ッ」
相手の年齢なんて関係ない。ダメだ、見れない。
ああ、風呂の事をすっかり失念していた。
入り口で悶々としていると、着替え終わったオバサンたちは怪訝そうに俺を見ながら出ていく。
……あれ? もしかして今、誰もいないのか?
脱衣所のカゴにはぱっと見、どれも空っぽ。後から来る可能性もあるけど……でも、折角のデカい風呂を諦めるのは……。それに俺は風邪を引いても入浴は欠かさない主義だし。
フィオナが前に使ってた
……よし。もし誰か来たら薄目でやり過ごそう。
*
――ちゃぷん、と湯につかる。幸い、頭や身体を洗う間も誰も来なかった。長い髪の毛は湯舟に沈まないように頭の上で適当に纏めてある。
有名な旅館なだけあって、景観は文句なし。露天風呂から見る夜空……無理してでも入って良かったと思えるくらいの風情がある。
「……これが俺の身体」
腕を持ち上げ、そっとなぞる。未だに実感がイマイチ湧かない。
魔王の肉体になって……今までの身体が存在しないなんて。
理解しようとすると、夢でも見ている感覚に陥って気持ち悪くなる。だからさっきみたいに男として行動してしまうのだ。
あまりにも異常事態過ぎて、心が追い付いてこれないのかもな。
でもこの身体に心まで馴染んでしまうのは、とても怖く感じる。自分が自分で無くなってしまうんじゃないかって。
男の感覚が残っているからこそ俺が俺であると自覚できる。男と女の狭間で苦しむこの感覚こそが、俺と言うアイデンティティを保ってくれるのだと――そう思う。
「そうあって……欲しい」
俺は灰藤ハクア。TSしてしまった元勇者で魔王で……。
ガラガラ、と浴場のドアが開けられた音が聞こえてきた。話声もする。
誰か入ってきたようだ。
「……出よう」
俺は湯舟から身体を上げた。
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