異世界バット～魔法が使えないので、バットで戦います～

０９戦闘

　目の前にいる豚の化け物――オークという名前がつけられているらしい化け物は、見るからに獰猛で野蛮で、理性など持ち合わせてはいないであろうということが一目で分かる醜悪な容貌だ。

　顔は豚のようだが、人間と同じ二足歩行で体は巨大で丸々としている。お腹は脂肪が蓄えられ、まるで膨らんだ風船のように張っているが、腕は丸太のように太く血管がまるで血が外へ飛び出そうとしているかのように浮き出していた。

　ガタガタの歯が口の間から覗き、二本の長い牙を持っている。よだれがボタボタと口からもれ、悪臭を放つ。

　そして手に持つこん棒は大木の幹をそのまま切り出したように巨大なものだ。

　対して俺が持っているのは金属バット一本。どう考えても今すぐ背を向けて逃げなければならないだろう。生物としての格が違う。

　彼は明確に捕食者であり、俺の方は被捕食者だ。

「逃げるなよ。オーク程度じゃ、今の君に何もできやしない」

「頑張れ～。ファイト～」

　後ろの二人が俺を応援する。約一人の方は、まるで花見で出し物をする後輩に向けるような緊張感がない言い方だ。

　俺はバットのグリップを力強く握りしめ、オークを睨み付ける。オークの口から森を揺らすような砲口が放たれ、こん棒が振り上げられた。

　オークが俺に向かってこん棒を振り下ろすその動きが異常なまでにスローに見えた。

　先程まで抱いていた恐怖が嘘のように心臓の鼓動は落ち着いていて、俺はオークの攻撃を紙一重で避けていた。

　こん棒が地面に叩きつけられ、地面にヒビが走る。

　――こんな威力のある攻撃を当たり前に避けたのか。

　俺はその事実に驚き、自分が以前までの自分と明らかに違う存在になったのだということを実感した。

　オークは苛立ちを帯びた咆哮を上げ、こん棒を再び頭より高い位置まで振り上げる。

　人間と同じ二足歩行で、道具を扱う程度の知能は備えているのだろうが、あくまで本能に任せて戦っているだけなのだろう。攻撃の方法は先程と全く同じだ。

　そして、俺はライカさんの言葉を信じ、その攻撃を一切避けなかった。

　こん棒が勢いよく俺の頭に向かって振り下ろされた。本来であれば体はぺしゃんこになり、俺の血肉がこん棒と地面にベッタリと張り付いていたはずだ。

しかし、俺の体はびくともしなかった。

　衝撃は感じたが痛みは一切ない。

　まるで頭を優しくコツンと叩かれたかのようだった。血が一切流れないどころか、たんこぶさえできていないだろう。

　下卑た笑みを浮かべていたオークの顔が驚きで歪んでいる。

　俺の心の中から一切の疑問やためらいが消えた。今度は俺が攻撃をする番だ。

　バットを打席に入ったときと同じように構え、目の前にいる化け物を野球のボールに見立ててバットを振る。

　野球のボールとは比べれば圧倒的にでかい的だ。外すはずがない。

　バットがオークの体にぶつかると、まるで風船が破裂するかのように弾け飛び、下半身だけを残して消し飛んでしまった。

　残った下半身は砂のように霧散し、化け物がいた場所に残ったのは青色の魔力の結晶と二本の太い牙だけだった。

「おーラッキー。オークの牙が残ったね。オークは素材のドロップ率がそんなに高くないんだよ。最初のモンスターの討伐で、ドロップするなんて幸先がいいね」

「珍しいものなんですか？」

「いや。ドロップ率こそ低いけど、オークは個体数が多いモンスターだから、珍しくは全然ないね。売っても、特別高いわけでもないよ」

　なんか喜んでいいのかどうかよく分からなくなってきた。

　いや、まぁ運がいいことには間違いないんだろうけれど。幸運の量が一定で、運をどこかで使ってしまったら、どこかでその分の不運があるだなんていう理論は眉唾ものの理論なんだろうが、理解していても何でか無駄に使ってしまった気分になる。

「ていうか、何で消し飛んだはずの牙が普通に残っているんですか？」

　上半身と一緒に粉々に消し飛んだのか、ホームランボールのようにどこかに飛んでいったのかは分からないが、確かに先程までオークの牙はどこにもなかったはずである。

「そういうものなんだよ」

「それが何かおかしいのか？」

　まぁ、全く違う世界なのだから常識が違うのは仕方がない。

　何かしら理屈はあるのかもしれないが、この世界のこともまだよく知らなければ、サインコサインタンジェントさえも魔法の呪文のようにしか聞こえない俺では、考えても正解にたどり着くことなどできないだろう。

　魔法やモンスターがいる世界だ、そういうものなのだろう。

　世の中には自分の理解を越えたことなんてたくさんある。それにいちいち真面目に思考を巡らせていたら時間も人生もいくらあっても足りない。有限なものは有効に使っていかなければいけない。持続可能ななんちゃらかんちゃらだ。

「そういうものなんですね」

「そう、そういうものだよ」

「そういうものだね」

　これはなんの会話なのだろうか。有限なはずの時間が無駄に消費されている。

　こうして、俺は冒険者としての一歩を踏み出した。