第16話 珍しく寝坊をしました
遠い記憶すぎて目を開けた瞬間、慣れ親しんだ天井に混乱してしまった。今世は加賀美藍那として生活をしている。
忘れていたと思ったのに、夢に見るなんて思ってもいなかった。あれから夏休みに入ったけど、九条からは何の連絡もなかった。所詮、弟が見てみたくて私の家で勉強会を開いただけなんだ。宮本先輩も学校で会わなければ接触を持つこともない。
控えめにノックの音がすると、夏ものの制服に身を包んだ和義がかおを覗かせた。
「ねぇちゃん、起きてる?そろそろ学校の時間だけど、体調悪いの」
滅多に寝坊をしない私が寝坊したからか、ドアを開けた和義の表情はとても心配そうだった。私は急いでベッドに起き上がり力こぶを作ってみせる。
「今日も元気だよ。寝坊したの、自分でもびっりした」
髪の毛を手櫛でとかしながら、さて新学期が始まるなと改める。
「お母さんが心配してる。体調悪いんじゃないなら、いいけど」
「分かった。直ぐに着替えて行く準備する。ありがとう、わざわざ起こしに来てくれて」
「ばか、ちげーし。お母さんが心配してたからだし」
そう言ってドアを勢いよく閉め、階段を駆け下りる音がした。
冷めた姉の筈なのに、本当に心優しい弟に育ってくれて嬉しい。両親もズレている私のことも平等に愛してくれている。
感謝しかない家族。夢で久しぶりにウサギとの過去を見て、今と寸分変わらぬ私の冷たさって、感じてしまった。教室で顔を合わせたらちゃんと挨拶をしよう。もしかしたら誤解をしているかもしれないから……。
でも、何の誤解を解けばいいのかな?
私はベッドから立ち上がり制服に着替え始める。寝坊をしてしまったから急がないと遅刻してしまう。
本当は、九条さんに今日見た夢の話、実際に私たちが交わした会話を伝えてみたい。
どんな反応をしてくるかな。前世なんて存在しないって言いきるかな?それとも信じてくれるのかな。
今の九条は寂しがり屋のウサギそっくりだ。人に憧れて転生したはずなのに、元々の性格が一切変わっていない。
憧れていた存在と同じになって、理想とのギャップに絶句したのかな?記憶がないから懸命に今に必死にしがみついて生きているのかな?
私は巡り合わないと思っていたけどこうして会えたのは奇跡だ。貴重なはずなのに私は今までの感覚のまま生きていたから、他の人に興味が向いてしまって流れてしまった。
宮本先輩に対しても同じ。
あの瞳に見つめられると、お腹がぎゅうってなって、見つめていたいって心の何処かでは感じてしまっていたけど、見つめ返すことができなかった。見間違うはずがない魂の彼。
毎度飽きずに私に愛を囁くのに、人間の姿の私には気が付かないのか、何も言ってこないのが謎だった。
「そうか、私が死神の姿じゃないから、分からないのか」
リボンをつけ、髪の毛を簡単に一つ縛りにまとめる。夏休みの間は浴衣も切るかもしれないからと少し伸ばしてみた。このまま伸ばしてみてもいいかもしれない。
「藍那ぁ、大丈夫?体調悪いのぉ?」
階段下から私を呼ぶお母さんの声が聞こえる。優しい人。気が付けば大好きになっている家族。
「ごめん、今行く」
背伸びをし、感情に引っ張られないように切り替える。冷静でいないと、判断が鈍るのに。
思っているよりも実際は、人に感化されているのかしら。感情を知りたくて来た意味は達成できているって考えても差し支えは無いのかしら??
そうだと嬉しいわ。神様(仮)の動向が少し怪しかったけど、夏休み時期は会いに来なかったから分からない。悪いことをしない限りは最高神様も罰を与えないはずだし。
実は他の神様にも、黙認されている私の遊び。
魂の入れ替わりは、時々神様の間でやることがあるので、物珍しいものではないのだけど。
人を学んだとて、愛を知ったからと言って私の仕事は決断をするもの。
鎌を振り下ろさない選択肢は残されていない。
人とは違う倫理で動かなければ、秩序は護れない。護るために居る存在の私が仕事をさぼってしまえば混沌の世の中が出来上がってしまう。
情を持ってしまえば、君を罰さないといけないかもしれないと生まれた頃に言われた気がした。
「藍那ぁ、もしかして夏休みが恋しいの?」
どこか楽しそうな声音を含んでいて、階段を上がってくる足音が聞こえた。
「今行きますから、夏休みは楽しかったよ」
声を張り上げながら昨晩用意をすませていたリュックサックを握りしめる。部屋を出るときに、三人で勉強会をしたのを懐かしく感じてしまった。
二学期は自分から誘ってみよう。芳田先輩のことも気になるけど、九条はウサギの生まれ変わりだ。心が寂しがり屋なのは変わっていない。宮本先輩にアピールしていてもそれは私には関係ないことだ。むしろ物事をハッキリさせてもらってもいいかもしれない。
愛を囁く彼が、あの子に恋焦がれるのか、聞いてみるのもいいかもしれない。
ドアを開けるとお母さんが携帯電話を片手に立っていた。
「学校休む電話、する?しない?」
穏やかな日常。私が産まれていなければ普通の家だったのにといつも思う。
それでもお母さんは常に楽しそうで、感情があまり動かない私もついつい笑顔になってしまう。
「ちゃんと学校に行きます。新学期早々休むなんて真似できません」
「残念。藍那は滅多に風邪もひかないし、たまには家でゆっくり休んでもいいのよ」
「元気だから大丈夫です。学校休んでいいって勧めてくるのもどうかと思うけど?」
高校生にもなるとお母さんとの身長差もほとんどなくなってきた。
「女子高生って、学校休んで遊びに行きたくなるものじゃないの?」
真顔で質問されても、私のほうが悩んでしまう。普通の女子高生じゃないからな。
学校は楽しくて行っている訳じゃないし、勉学を学ぶためって言ったら聞こえがいいけど、本音は人間観察。それを口に出せないから、黙って授業を受けているだけ。
なんとも悪い人間じゃない、私。そんな悪い娘に育ってごめんねと思いながら、心の中でこっそりと手を合わせる。
ただ幸あれと願う事だけが、人間である今の私に出来ることだから。
「どうしたの、藍那?」
「何でもない。早くご飯食べて学校に行かないと」
この当たり前と感じている毎日が突然壊れる。それが生きるということで、死神として仕事をしていたときに散々目にしていた「明日への後悔」ってこんなちっぽけなことでも感じるんだと知るとは思わなかった。
リビングに降りると私一人分の朝食が用意されていた。トーストが一枚とサラダに、目玉焼き。私のお気に入りの朝食。
「早く食べないと学校、遅刻しちゃうわね。途中まで車出そうか?」
お母さんは正面に座り、私の食べる様子を眺め始める。急いで自分の席について手を合わせる。
「いただきます」
手を合わせてお礼を言う。自分のために命を落としていった者たちに感謝を込める。
彼らが自分の糧になってくれるから生きられる。
「大丈夫。走ればまだ間に合うから」
寝坊をしたけど、いつもより十分くらい遅いだけなので、走ればなんとかなる。
「そう、ならいいわ。お母さんコーヒー飲み終わったら先にでるから、家の鍵だけよろしくね」
「うん分かった。お父さんは?」
いつもは新聞を読みながらゆっくりと朝食を食べていたイメージだけど、今日は珍しくいなかった。
「今日は、出張で早く出勤したの。お土産何が欲しいか聞かれてたの、忘れた?」
「特に欲しいもの、ないからな……」
おねだりを基本的にしない私は「何でもいいよ」といつも答える。寂しそうな顔をするお父さんに申し訳ないんだけど、無事に帰ってきてもらうことが嬉しいとか伝えたほうがいいのかな。
お母さんは飲んでいたコーヒーをグイっと飲み干す。私もコーヒーの匂いがとっても好きなんだけど、飲んでいる暇がなそうだ。
「たまには、お土産のリクエストしてあげたら?特産品とか調べるの、楽しいわよ」
お母さんは立ち上がり、サッとコップを洗いにキッチンのほうにいく。私も急いで朝ごはんを食べる。黒いトートバックを手にしたお母さんは、右手を上げる。
「じゃ、行ってきます。もしご飯買って食べるんだったら、後でお金あげるから。」
「分かった。行ってらっしゃい」
私が起きるまで待っててくれたお母さんの後姿。私も大人になったら、家庭を持てたとしたら愛情を出せる人になるのかな。
壁にかけてある時計を見ると、いつも家を出る時間を五分は過ぎていた。
「これはゆっくりしてたら、本当に遅刻するな」
教科書には私の疑問を解決させる答えが明確に載っていない。
学ぶことができたのなら、早くここを立ち去って元の世界に戻るのに。相反する気持ちが私の中にある。九条と宮本先輩と一緒にいたいと感じつつも、やはり人間にはなりきれない自分がいるなってところで感情がぶつかり合っている。
「……私が早く帰っていったら、“彼”はどういう反応をするかな」
代理神になったとは思っていない元人間の男の子。
人間の願いを一つ叶えてあげたような状況には変わりない。
彼の願いが自身のカルマを壊してしまうと知らずにいる。伝えなかったことを酷いと罵られるのか、でも聞かれなかったから答えなかった。次の転生が大変になるかもしれないと聞いても、交換したのか謎である。
望まれないことを伝えることは、私たちの中では常識じゃなかった。
罪に問われるかな?
それとも憤慨して狡いと、罵られるかしら。
小賢しい神様だと指を差されるのも、楽しいかもしれない。
今までの環境にずっといたら感じられなかったこと。
「ふふふ。人間の考えが身についてきた証拠かしら。でもそしたら一応、彼にはちゃんとお礼を言わないと失礼よね?それがマナーってものよね?」
昔は思いつかなかった考えに、私は楽しくなる。先を見据えた行動なんて今までしてこなかったし、する必要もなかった。
訪れた人間に正論を投げつけるだけ。
それ以外のことは言えないし、秩序を崩すことは許されないから。
私は残りのトーストを急いで口の中に押し押し込みながら、十数年間で学んだことを振り返りながら片づけて、家を出る準備をした。
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