第8話 加賀美家での勉強会

 盛り上がった二人を止められなかった自分が悪いんだ。話が出た週の土曜日に、なぜか先輩の宮本も一緒に私の家に来ることになった。九条が「先輩、勉強教えてください」と可愛くおねだりをしていた。そのおねだりの効果なのか、一瞬言葉に詰まった様子をみせたけど宮本も私の家に来ることになった。

 真っすぐ家に来るのもと思い、私は二人を家の近くの公園に迎えに行くことにした。土曜の昼下がり、子どもたちが元気に走り回ったりしていて、小さい頃に和義とよくここで遊んでいたのを思いだす。


「ごめん、待たせた」

 私が公園に到着すると二人とも木の陰に寄り掛かるようにして話していた。九条は小さな花柄のワンピースを着ていて、夏らしく涼しげな水色だった。キャンパストートを持っていて、少し重そうだ。しっかり勉強をするつもりなのかもしれない。一方宮本は何が入っているのか、軽そうなリュックサックに、赤のシャツとジーパン姿だった。二人の様子を公園にいる保護者の方などがチラチラ見ていた。私は服の興味がないのでお母さんと一緒に買いに行ってその時に服を買うことが多い。今日は家にいることを想定していたから、リアルなウサギが書いてある薄いピンク色のシャツと、夏らしい薄手の白いスカートを履いていた。


 私に気が付いて九条がこそっと、耳打ちをしてくる。

「大丈夫、話していたから楽しかった……」

 今日のシャツの柄は私が珍しく自分から買いたいと言って買ったものになっていた。大好きなウサギを思いだしたいときに着る洋服で、今日はそのウサギちゃんが居るから、すっごく嬉しかったりする。

「加賀美チャンは普段着でスカート履くんだね。イメージ無かったから驚き」

 一歳しか離れていないはずなのに、学校で見かけるときよりも大人っぽく感じる。今日は髪の毛をワックスで固めているのか、オールバック風のような気がした。


「母親の好みです」

 私はスカートの裾を持ち一回転する。和義は段々母親と買い物に行くのが恥ずかしいと言い始めて一緒に買い物に行けないことをお母さんは嘆いていた。私が一緒に出掛けようと誘うとすっごく喜んでくれる。私は自分に似合うものが分からないし。

 九条が私のシャツを指さす。

「ウサギも、すっごく可愛い」

「でしょう?」


 君の魂をイメージしているんだよと心の中で言葉を紡ぐ。

「二人ともすみません。暑い中待たせてしまいまして。早速家に行きましょうか」

 私は二人を案内するように先頭にたち歩き始めた。



「お邪魔します」

「お邪魔しまーす」

「ただいま」

 土曜日、今日は和義の部活にお父さんが付いて行っていて、お母さんと私が家に残っていた。

「あら、藍那お帰りなさい」

 玄関入って直ぐに二階に行く階段があり、廊下を挟んで右側がリビングだった。リビングから顔を出したお母さんは私の他に二人いるのを見てまぁと口を抑える。

「藍那、二人は??」

 瞳がキラキラしている。和義はよく友達を連れてくるけど私が連れて来ないのを、気にしていたのを思いだした。

「テストが近いから勉強しようって。期末赤点とったら夏休み学校に行かないといけなくなるのが嫌なんだ」

「ごめんなさい、急にお邪魔して……」


 九条がペコっと頭を下げる。唯一男性の宮本はええと、とどこか恥ずかしそうにしている。そう言えば誰か来るとは家族に話していなかったからな。

「すみません、急に」

「いえいえ、いいのよ。藍那が何も話していなかったのが悪いんだから。お茶用意するわね」

 リビングの奥の方へとお母さんは消えて行くので、私は二人を自分の部屋に案内した。二階には部屋が四つあり、階段上がって直ぐが私でその隣が和義、向いには両親の寝室と、小さめの部屋が物置になっている。


「部屋で待ってて。直ぐにお茶持ってくるから」

「手伝うよ」

 部屋に入ろうとしていた九条が立ち上がる。先に部屋に入っている宮本は落ち着かないのかキョロキョロしていた。

「お客さんは座ってて。部屋特に何もないけど寛いでいて」

 家に来ると聞いて、とりあえず勉強机だけじゃなくて、ローテーブルがあってよかった。一応先輩には私の机で勉強してもらう形で良いかなと考えながら、階段を降りて行く。

 リビングでとても嬉しそうに叫んでいるお母さんの声が聞こえる。


「藍那が初めて友達連れて来たから、今日はお赤飯かしら。でもどうしましょう。何か出せるお菓子あったかしら」

「テスト勉強に来ているだけだからお菓子とかあんまり気にしなくていいよ。麦茶ある?二人を公園で待たせてたから」


 後ろから声をかけるとお母さんは、ビクッと分かりやすいように驚いた。

「もう、藍那ったらちゃんと言ってよね!!」

「テスト勉強に来ただけだよ」

 そう半強制的に決まったから拒否したかったと言ったら怒られるかな。でも人と勉強をするのは少し楽しみだったので、ワクワクしている。


 和義には勉強を教える立場だし、両親に勉強を教わらなくても授業中で何となく理解ができる。

 先輩が来てくれたけど、何を聞けばいいのか正直そっちの方が悩ましかった。折角来てもらったのに何も質問することが無かったら先輩は自信を無くしてしまうかもしれない。

「そう、でもお勉強したらお腹が空くわよね?お夕飯食べて行くわよね?」

「食べて行かないよ。そういう約束していないし」


 いきなり決まった勉強会だから、どうするのが最善なのか自分で何も考えていない。

 発案者の九条ならなんとかしてくれるでしょうと他人任せで考えているのは内緒だ。

「もしうるさくしてたら、声かけて」

「どうしましょう。折角の初めてのお友達なのに何もおもてなしできないのって……」

「和義のときはそんなことしてなかったでしょう」

「だって、あの子は小さい頃から友達が多かったもの。保育園でもあまり誰かと一緒じゃなかったから、つい、でもどうしましょう」


「……分かったから、大丈夫だよ。ごめんね事前に話しておかなくて」

 私は慌てているお母さんから麦茶を受け取り、そのままリビングを後にした。

「ちょ、え、藍那まだ何も決まってないのに」

「大丈夫だよ、お母さん。夏休みも遊ぶかもしれないし、そのときに美味しいお菓子を用意してくれれば」


 学年も違うから宮本と夏休み遊びに行くかは分からない。九条の連絡先は知っているけど、私は宮本の連絡先を知らない。九条はぬかりなく連絡先を聞いているみたいだけど。

 今日の待ち合わせについても「何かあったら連絡しますね」と話していた。恋愛で自信がなくなっているかのように見えたけど、彼女は思っているよりも強かかもしれない。私が手を差し伸べなくても自力で立ち直れる力を持っていたのかなと思ってしまった。


「二人ともお待たせ」

 部屋の扉は開いたままで、どこに座るか悩んでいたのか、二人は立ったままだった。私の部屋はベッドと勉強机、今日は物置にあったローテーブルがあるくらいで、カーテンなどの家具の色はお母さんの好みで作っているのでピンク色ベースだったっりする。

 余計なものを置いていない。興味が持てないのだ。

「手伝うよ」

 カバンを足元に置いて九条は私がしゃがみやすいように麦茶のボトルを受け取る。

「ありがとう」

 先輩は私たちの様子を見ているだけ。やっぱり先輩は来る必要性が無かったのではないかな?

「どうしたんですか?いつも元気な先輩が静かだと意外過ぎます」


 ローテーブルにトレーを一旦置く。立ち尽くしている先輩の瞳が揺れている。何かに動揺しているような気がした。

「先輩は女の子の部屋が初めてでドキドキしているとかなんですか?」

 九条から麦茶のボトルを受け取りコップに注ぎながら聞いてみる。これまでの先輩の雰囲気だと誰にでも話しかけられるような印象を受けていたから。それに自分から私の部屋に来たいと話していた。それなのに固まるとか意外過ぎた。

「ちげーし。何もなくて整っているの、どこかで見たことあるんだよな」

 そう言いながら部屋の中を一周眺める宮本。揺れる瞳は、今の景色から何を受け取ろうとしているのかしら。家族には殺風景な部屋でもう少し可愛くしたらいいじゃないと不評なのに。楽しさの欠片が無い部屋だと言われてしまう。

 私は最初に宮本が気が付いてくれなかったから、このまま気が付かないでいて欲しいのだ。私の心が揺れるとしたら多分彼だけ。“彼”が気になって私は今ここに来ているのだから。大好きなウサギちゃんと敵対したくない。数少ない自分が大切にしたい魂たちと争いをしたくないのだ。

 私が反応をしないのを察したのか、九条はわざとらしく私の勉強机の方にいき座って見せる。

「こういう机ってよく見かけるからじゃないですか?藍那ちゃんの性格が出ていてすごく整頓されている部屋ですよね!」

 よく言えば整頓、家族から言わせたらつまらない部屋。上手く言い換えた九条には拍手を送りたい。

「それより二人とも、さっき炎天下にいたから水分補給してください。私が心配なんで。後、勉強しないんだったら今日は解散にしません?勉強するならちゃんとやりましょう。後ごめんなさい。私が確認不足だったんですけど。二人が見たがっていた弟は今日部活でいないんです」

 弟が見たいのは口実だったと私は思っていた。だって別に弟を見ても何も変わらないじゃない?



 その後の勉強はつつがなく、と表現していいのかな。初めて勉強会というものをしてみてどうなるのか心配だったけど、個人的な感想としては一人でやっても変わらないなって感じてしまった。提案してくれた九条には大変申し訳ないけど、特別聞く事もなくて宮本を気にして質問をしている風景が自分が別にここに居なくても成立するものだと感じて。一回体験したからもうお腹いっぱいみたいな感じになった。

 階段を上がってくる足音が聞こえる。遠慮がちなノックをして、軽く返事をしたらお母さんが顔を覗かせる。

「藍那、二人はご飯食べていかないんだよね?」

 お母さんは部屋を覗き込みながら先輩と九条をチラッと見ている。私と九条がローテーブル、勉強机を宮本が使っていて、何も入っていないと思ったリュックからは二冊の問題集が出て来て、サクサク記入をしている後姿が意外だった。

「そうか、もうそんな時間か。俺そろそろ帰ります九条サンは勉強大体わかったかな?」

 私も勉強を教えられる所があったけど、ニコニコしながら話しかけに行ってたから私は二人の様子を見ていた。

「はい、先輩ありがとうございます。わたしも家に帰りますね」

「そう、またいつでもいらっしゃい」

 お母さんはとても嬉しそうで、今日二人が家に来てくれたのは私が思っていたよりもよかったのかもしれない。



「じゃぁ、俺はこっちだから」

「さようなら、宮本先輩」

「先輩、また連絡しますね」

 集合場所だった公園まで三人で来て、先に宮本が手を振る。私と勉強をしたいというよりも、宮本と話したい口実が欲しかっただけのように感じてしまった。

「ちょっと話していかない?」

 私は公園のベンチを指さす。集合したときは元気な子どもの声が聞こえていたのに、今は誰も居なかった。

「いいよ」

 九条の隣に腰を降ろしながら何を話そうかなって考える。

「わたしが本当は性格悪いなって思っているでしょ?」

 九条のことを、ウサギちゃんのことを知りたくて話しかけたんだけど、何か誤解しているみたいだった。いつも見せている表情とは異なり、どこか強い表情をしている。学校にいるときよりも女性らしい雰囲気。私は普通に可愛いなって思った。私が知りたいことを、実践してくれているのが九条さん。愛を知るということは自分の行動そのものが変わるという認識で間違えてないのかもしれない。


「全然違うよ」

 拳三つ位の距離しか離れて座っていないから、相手の呼吸まで聞こえてきそうで、普通だったらここは怒るべきなのかなって頭の隅で考えてしまった。

「どうして?藍那ちゃんはそうやっていい子ぶるの。今日のわたしは先輩と話したくて勉強会開いたんだよ。二人きりだと駄目だと思ったから、藍那ちゃんをダシにしたんだよ。連絡先を交換したときに、二人きりで出かけようって言っても、全体にしてくれないと思ったから。わたしが先輩のことばっかり見ているの、気が付いてないわけ無いよね」


 一番近くで二人を見ていたから気が付かないわけないし、一生懸命九条がアピールをしていても、宮本はそれを全く気にしていないのも、何となく察してしまった。

観察対象として二人を見ていると正直に打ち明けたらどんな顔をするかな。恋を知りたかった。愛というものはどこからやってきて、人間の行動原理になるのかを知りたかったのだ。知りたいことを知れるのであれば、私は文句を言うつもりは無い。今日私の家に来たことで、宮本の中の「彼」の感覚が目覚めたかもしれないけど。


 この子の本質はウサギちゃんだから寂しがり屋なのは間違いないはずなのだ。そばにいてくれるのが誰でもいい、寂しさを紛らわすためならどんな人でも受け入れてしまうのではないか。

 ただ、中学生のときに失敗してしまい選ぶ立場にいないだけで、私が近づいてきたから都合よく一緒にいるだけ。

 人としての心が充実してきたからか、想像がついた。

 私が他人に興味を持てなくても、全てを包み込んでしまう家族の中では得られない、感情を教えてくれるのは彼女しかいない。


 和義だけは時々私のことを不審そうに見てくるけど、「人間」として生きてきた時間よりも「生まれたて」の感覚が強いからだ。

 だから、どうして毎回記憶をリセットさせられても、間違えなく私を見つける彼がいるのか、知りたいんだ。愛を教えて欲しくてここに来たと言っても過言ではない。

 ぎゅっと口の端を結んだ九条の顔は幼くてこんな私に嫌われることすら怯えているようで愛おしいと感じてしまう。ウサギに感じていたものと同じ感情。

 そうか、私は死神をしていたときですら愛おしいというものは感じていたんだ。新たなはっけんである。


「九条さんは私と友達になってくれたんだよね?」

「いきなり、何をいいだすの?相手にされてないって分かっていても、わたしは自分のことしか考えてないんだよ」

「誰でも自分が一番可愛いのは分かっていることじゃない」

 そう、誰もが自分のことが大好きなのだ。可愛いのだ。守りたいのだ。

 幸せに生きたい、その一つが愛を知ることなら、今の九条は生きることに一生懸命向き合っているということで良いんじゃない。


 誰が悪いも、何が正しいもないわ。それが人間が生きる上で真っ当なことなのだから、褒めることはあってもけなす必要はないじゃない。

「藍那ちゃんは変だよ」

 大粒の涙を流し始める九条。私はポケットに手を入れるが、ハンカチをもってきていないことを思いだす。彼女の涙を拭いてあげられるものは何も持っていなかった。

「変じゃないよ、九条さんが自分の気持ちに正直で私が不器用すぎて何も気が付いていないだけなの」

 知りたくて、知りたくて、でも宮本が部屋にいたときの表情が頭を過る。何かに気が付いたようなそんな顔をしていた。


「だって、友達なんだよ。これじゃ、わたし中学時代に言われた、ことと変らないことしてる」

「でもあのときは、九条さんは相手のことを好きでもなんでもなかったなら、別に問題ないじゃない」

「……藍那ちゃんは怒らないの?」

「怒るもなにも、気持ちは九条さんの自由じゃない?私がどうにかできるものではないわ」

 __そうだから例え宮本が貴方の心に気が付かなくても、それはどうしようもないの。誰かに心を操作されていると知ったほうが人間は傷つく。


 教えてあげるべきか悩んだけど、言わないほうがいい気がしたので私は言葉を飲み込んだ。好きな人に対する感情は良いも悪いもないから。

「ありが、とう。なら先輩にアプローチするとき協力してくれる?」


 キョウリョクシテクレル?


 その言葉を珍しく嫌だと感じてしまった。私にとって大好きな二人が仲良くすることは良いことで幸せなことのはずなのに。

「ワカッタワ」

 心のこもっていない声しか出なかったはずなのに、九条はとても嬉しそうに笑った。

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