第3話 弟は可愛い
人間の成長って自分が子どもの頃はよく分からなかったけど、弟を身近で見ていると、思っているよりも早い。弟の和義は両親の愛情を注がれてスクスクと成長していった。
気が付いたらハイハイをして私の後を追っかけてくるまでに成長していた。弟の和義には不思議人間と思われないように優しく接している。お母さんも「二人は仲良しねぇ」と嬉しそうに話していたのが聞こえたから、きっと仲良しなんだと思う。まだ、和義は私が分かる言葉で日本語を話してはくれないのだけど。
「あぅぅぅ」
「和義駄目だよ。お母さんは今トイレに行ってるんだから、大人しくしていて」
昼間は基本的にリビングに一緒にいることが多くて、休日だったからお父さんは買い物に出て行っていた。
動き回れるようになっていた和義は、制止をしても動き回りたくて仕方ないみたいだった。お母さんがトイレに行くときはベビーベッドに寝転がらせる。「少しの間見ていてね」って言われたけど、どうしよう。和義はとっても動き回りたいのか、ベッドの中をゴロゴロ動き回っている。そろそろその小さな体をベッドの中に留めておくのが辛い時期になったのかもしれない。
「ううううう」
ベッドの上で抗議の声を上げているように聞こえる。
「駄目だよ、降りたいの?」
「うううう」
和義は珍しく、転がった勢いでベッドの端を掴み立ち上がる。そして頭をベッドの外に乗り出して、バランスを崩した。
「かずよしぃぃぃぃぃー」
私は急いでベッドの側へと走っていき、和義の下へと潜り込む。死神だったときの力は残っていて何となくの寿命くらいだったら分かる。神様の魂の特権というやつかもしれない。
生まれたばかりの和義は今死ぬべき魂ではない。私の方が先にいなくなるだろうから、両親の心の隙間を埋めてもらう役割を担って貰わないといけないのだ。
「あううううう」
「……風よ、彼を守り給え」
神様の魂に残っている力を使い小さな風のクッションをベッドの落下地点に起こし、和義はちょうど真正面になるようにその場所に落ちる。
「きゃぁぁぁ」
お母さんの金切り声が後ろから聞こえる。私の上に落ちてきた和義を両手で支え、神の力を使ったことを誤魔化す。
「きゃっきゃ」
和義は私の腕の中で嬉しそうに声をあげている。まるでもう一回やりたいと言っているようにも聞こえてくる。
「二人とも大丈夫」
お母さんが慌ててしゃがみこみ、和義を私の腕から掬い上げ、怪我をしていないか確認している。
「珍しく藍那が声をあげるから急いで見にきたの……」
その声はいつもの元気なお母さんではなくて、どこか悲しそうに聞こえた。
「和義は怪我ないみたいね、藍那もよく見せて」
「だいじょうぶだよ」
「藍那、見せなさい」
和義を端に降ろして、お母さんは腕と頭などを触りながら私の反応を見ている。
「ここ触っても痛くない?」
「いたくないよ」
私と和義との間には魔法が展開されていたから、全く痛くなかった。心配の種を取ってあげたいと思いながらも、言葉に出せない誓約があった。私の気まぐれで死神の立場を交換したけど、輪廻転生の輪に入るときに大本の神様には事情を説明している。もし、神様代理が何か悪さをしたら私は強制的に神の職に戻ることになっているから。
私が戻るまでいい子でキッチリと代理人の仕事をしていて欲しいと密に願っている。
「藍那、本当に痛くないのね?」
心配しているお母さん。子どもを愛するその姿に私は本当に弟が産まれてくれてよかったと思っている。私が産まれなかったら、異質な子どもを信じて育てていることになる。まぁ、私を育てたら、来世の二人には神様子育てのご褒美をあげて欲しいと上位の神に願い出るつもりでいたのであるが。
「しんぱいかけてごめんなさい」
ぺこりと頭を下げる。本当は元気な和義が思ったよりも腕の筋肉があり、つかまり立ちをしようとしたのが活けなかったのだが。もしかすると、和義も私の影響で普通じゃなくなってしまっているのかもしれない。
「藍那、和義を守ってくれてありがとう」
抱きしめられると安心するのはどうしてなのかな。お母さんの肌のぬくもりの中で胸に顔を埋めた。
***
弟が産まれての一番の事件はきっと「ベッド落下事件」だと思う。それ以外は元気にスクスク育っていった和義とは五つ離れているから丁度いい観察相手になった。
しかしながら人の心って十五年、生きたくらいじゃ真意までは理解できないということだけが私には理解できた。
夢の中は自由だ。私はフワフワと浮かんでいる体で空を飛ぶように上へ、下へと動き回る。人間に生まれ落ちてから今までの間「代理の神様」が私の前に現れることは無かった。
多分大きな枠組みを壊すようなことを代理が犯していないからだと思う。自由に見てて割と神様の世界は秩序を乱した者に対する罰はしっかりとしている。
でも今日の夢はいつもの夢とは違う雰囲気を感じ取る。
「やぁ、久しぶりだね」
代理の神様だという事実を知っていない気がする彼は、色白で私の元に初めて来た時とは違う印象を受けた。中性的な顔立ちで、声変わりをす前の少年のような声。髪の毛は真っ白で腰まで伸びている。
「久しぶり、……神様」
なんと呼ぶのが正しいのか分からないからそう呼んであげたら、神様はどこか嬉しそうに口の端を吊り上げる。私は飛び回るのを辞めて神様の前に降り立った。
「人間の人生を満喫できてるか?時々水鏡を使ってお前の生活を覗き見るんだが、ちゃんと幸せそうにしているな」
「エッチ」
「何がエッチだ。そういうのは見てないし、キョーミねぇよ」
短気な神様は私の冗談も通じなかったみたいだ。生活を覗き見るなんて悪趣味だなと思いつつも、それを口に出したら怒られそうな気がした。神様になったとは言え、口調が直ぐに人間だった頃に戻る神様。夢の世界は私が前にいた世界に似ていて、何もなかった。色の濃淡だけがかろうじて分かる世界。神様と人間との狭間の世界とでも言った方が正しいのかもしれない。夢の世界なら私が自由に動かすことができるけど、仮にも力を分け与えた神様がいるのであれば、今はでしゃばるべきではない。一応一般庶民を装っているのだから。
「心配して身に来てやったのに、その態度なわけ?」
神様の目の前にだけ椅子が現れる。家で普段見かけるような物ではなくて、赤い布張りがしてあるもの。まるで権威を現す人間が座るような椅子に見えてしまった。
ドカッと効果音がしそうな座り方で椅子に座る神様(仮)は、不満そうな顔だ。
「心配してくれたんですか!ありがとうございます」
お礼を言うタイミングか分からなかったけど、私は四十五度の角度を守り頭を下げてみる。何かのドラマで見たことがある。謝る時は四十五度か、土下座をすると良いって。そして頭を下げても直ぐに頭をあげてはいけないって言うのも知識の中にある。
「わかればいいんだ」
声がしたので顔をあげてみると満足げな神様(仮)がいる。こんなのに死後の裁きを任せてしまったのかと後悔してしまう。自分の実力を過信している。何か間違いが起きればすぐにお役目ごめんなのに。
「それで今日は一体何をしにいらしたんですか?」
丁寧な態度を心掛けてみる。別に踏ん反りかえってもいいんだけど、神様としての心がそれを許さない。
「そう言えばお前が人間になりたかった理由を聞いていなかったと思って」
「今は藍那と言います」
気に入っている名前だった。個を特定する名前であり、大好きな両親が初めて私にくれた宝物でもある。
自然と“大好き”という感情がでてきたけど、これは私の事を好きだと話してくる彼が私に向けてくる感情と違う事は気が付いているつもりだった。
神様(仮)はふむと、顎に手を当てて考えている雰囲気を出す。
人間の成長で言えば十数年はとても長く感じるけど、神様の感覚だとそんなに長く感じない気がするのに、思っていたよりも本質がにじみ出ている。神様という皮を被った人間の動き。あぁ、逆に身近で見ている方がとても楽しい毎日が過ごせたかもしれない。魂の僅かでも神様の空間に残して来ればよかった。死神の姿が人間なのは、自分の姿を見た人間が怯えて逃げないための対策としてその姿にしているだけであって、形はあるようで無いのだ。粒子のように小さな概念が凝縮して神様になったと言えばいいのかもしれない。
だから、人間の皮が破れた魂は「本質」が丸見えの状態。丸裸で存在していると言えばいいのかな。そう考えると、最高神はもしかして、人間観察をしたくて私が入れ替わりをすることを無条件に許してくれたのかもしれない。
「そうか、人間らしいことを言うんだな。で、藍那はやりたかったことはやれたのか?」
人間観察をしたかったという点では願いは既に叶っていると言っても過言ではないかもしれない。でも私が一番知りたかったところはまだ知れていない。
「時間は有限です。寄り道をしないようにしているつもりですが、私の願いはまだ先です」
本当は高校に通うようになって惹かれる魂が二つもあった。
どちらも懐かしい波動を感じるから、もしかしたら私が探していた魂かもしれない。二つの魂に近づけたら私は、見つけたかったものを掴める予感がした。
だから、神様(仮)に邪魔される訳にはいかない。空の上でふんぞり返って私の事を眺めていて欲しい。
「ふぅん。そんなに難しいことを願っていたのか?人生を交換したんだ。俺にその理由を教えてくれてもいいんじゃないか?」
「日本には“話す”と“離す”という言葉遊びがあるのを知りませんか?」
悪夢をみたと和義が泣いているのを見たお母さんが言っていた。夢を見ることはあっても、肉体構造上のものか、面白いなと感じていたので普通は悪夢を視たりしたら泣きつくものなのかと、教えて貰った。
やっぱり弟という存在は私にとってすごく有難い。和義の魂は来世とても融通されるように私が願い出てあげなければと密に考えていたりする。
「一丁前に話すようになったんだな」
神様(仮)は私の返答が気に入らなかったのか、口を尖らせひじ掛けを使い、器用に頬杖をついている。
「私は今、人間ですもの」
人間の皮を被った神様というもしかしたら気が付く人には気づかれているかもしれないけど。
「そうだったな。お前……藍那が変わってくれたお陰で俺は神様に慣れたんだから!感謝しないと!」
一時のと、教えていなかったからとても嬉しそうだ。
椅子から立ち上がると同時に、姿が薄くなっていく。
「気が向いたら時々見に来るよ。俺の代わりの人間さん。お前には感謝しても、しきれない」
「いえ、私の方こそありがとうございます」
真実を知らない者からの感謝の言葉。何だろう。種明かしをした時に絶叫した顔を見るのが凄く楽しい。
自分が死んだのを認識して「生きたい」「まだやり残したことがあるんだ」「お前は悪魔か」と言われてきた過去の記憶が蘇り、なんだかおかしくて、初めて声を出して笑ったような気がした。
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