#2 1日目:ファースト・コンタクト

 身体が再生してすぐに、私はオペルさんの転移魔法で人間界へと送られた。


 転移した場所はまだ昼間にもかかわらず薄暗い深い森の中。


 フローレンスはここにある古びた屋敷に潜伏しているという。


「はあ……帰りたい……」


 ため息を漏らしながら、フローレンスを探す。


 木々が生い茂っているせいで視界は悪く、足元には木の根がうねっているため歩きにくい。


 どうせ送るなら、屋敷の前に飛ばしてくれればいいのに。


 と、一瞬そう思ってから、考え直して首を振る。


 ……いきなりフローレンスと対面というのも嫌だな。資料によると、相手は死神を粉微塵にするような奴だし……。


 それを考えると、いっそ本当に帰ってしまおうかとも思えてくるけれど、そんな事をすれば、オペルさんに粉微塵にされることになるだろう。


 どんどん憂鬱になりながら、私は森を進む。


 不意に、背後から何かが迫ってくる気配を感じた。


 咄嗟に後ろを振り向くと、そこには耳障りな羽音を立てて飛んでいる巨大な蜂の魔物がいた。


 普通の人間が刺されたのなら決して無事では済まないであろう大きく鋭い針を私に向けて、襲いかかってくる。


「ひっ……」


 私は腰を抜かして、その場にへたり込む。


 私は虫が大の苦手なのだ。カブトムシとクワガタ、それから蝶はギリギリセーフ。それ以外の虫は全部アウト。


 その中でも、蜂は私が特にダメな虫ランキング第五位にランクインしている。普通の蜂でも遭遇したら身体が動かなくなってしまうのに、魔物化した蜂の相手なんてできるわけがない。


 蜂の魔物は、動けなくなった私の背後に回り込むと、首筋を針で刺してきた。


 針が首を貫通し、私の喉元から突き出てくる。同時に首から噴水の様に血が噴き出した。


 けれど、私に痛みは無いし、この傷のせいで死ぬことも無い。


 私は死神。冥界の住人。死という概念は私には存在しない。


 致命傷を与えたはずにもかかわらず死にそうも無い私に止めを刺そうと、巨大蜂は文字通り何度も私を刺してくる。刺される度に、そこから血が吹き上がり、巨大蜂を赤く染める。


 そろそろ諦めてどこかに行って欲しいんですけど。


 蜂がここにいたのでは、私は動けない。


 視界に蜂を入れないように、固く目を閉ざす。


 不快な羽音が聞こえないように、強く耳を塞ぐ。


 そうやって蜂がいなくなるのを待っていると、やがて蜂の攻撃が止まった。


 やっと諦めてくれたんですかね?


 恐る恐るまぶたを開くと、目の前にいた蜂が激しい炎に包まれて地面の上でもがいているところだった。


 突然の事に呆気に取られていると、


「大丈夫?」


 やや低い落ち着いた雰囲気の女性の声が聞こえてきた。


 その声の方に目を向けると、整った顔立ちの少女が私を見つめていた。


 歳は十代後半くらいに見える。少しウエーブのかかった眩い金髪。キリっとした釣り目。


 身に着けているのは白いローブ。手には長い杖を持っている。


 杖からは魔法を放った直後に発生する魔力の残滓を感じる。おそらく、この子がさっきの蜂を焼き払ってくれたのだろう。


「……どう見ても大丈夫じゃなさそうね。というか、むしろよく生きているわね」

 私に近寄ってきた少女は、そう顔を引きつらせた。


 まあ、そんな反応になるのもわかる。今、私の身体は刺し傷だらけで血塗れだ。普通の人間だったら、間違いなく死んでいる有様なのだから。


「ええ、まあ。こう見えて私、死神なので」


 そう答えている間にも、私の傷はみるみる塞がっていく。


 ただ服や身体に付いた血はそのままなので、私は血塗れのままだけど。


「死神……」


 途端に少女が杖の先をこちらに向けてくる。


 魔法でも放つつもりなのだろうか。


「ああ、ちょっと待ってください。死神って物騒な名前だからそんな風に警戒するのもわかりますけど、別にいきなり襲いかかったりしませんから」


 私は両手をあげて、戦う意思が無いことを示す。


「だったら、お前は何しにきたのかしら……」


 少女は杖を下ろし、ふてぶてしい態度で私をまじまじと見つめている。


 ちょっとばかり顔がいいからって、初対面の相手をお前呼ばわりなんて……。


 少しムッとしてしまう。


 私は気を取り直すように咳払いをし、少女に語りかける。


「私はヴィータ。この近くの屋敷に潜伏しているっていうフローレンスって人の魂を回収しに来たんですよ」


「……やはり、私が目的か」


「……え?」


 一瞬、少女が口にした言葉の意味がわからず、間抜けな声をあげてしまう。


 今、この子、私が目的って言いましたよね?


 それって、つまり……。


「私がフローレンスよ」


 言いながら、少女は私に杖を向ける。


 そして、その杖が淡く光った思った次の瞬間、そこから炎が迸り私に襲いかかってきた。


「ちょっ……!」


 私は咄嗟に身体を捻り、炎を超至近にギリギリでかわした。


 この子がフローレンス? 魂だけになっているはずなのに、なんて存在感。


 本来、魂だけになった人間は、もっと揺らぐような気配を持っているはずなのだ。


 それなのに、フローレンスの気配は生きている人間とほとんど変わらない。


 これは確かに、普通の死神ではどうにもできない相手かもしれない。


「悪くない身のこなしね。この前の死神よりは多少戦えるみたいじゃない」


 先ほどの私の立ち回りを、フローレンスは低い声で称賛してきた。


「いきなり人に火炎魔法を放つなんて、人間性を疑うんですけど……」


「それは悪かったわね」


 フローレンスは私の抗議をモノともせず、今度は杖から氷の刃を飛ばしてくる。


「悪かったって言うなら、魔法を放つのをやめて欲しいんですけど!」


 私はどうにかそれを顔面ギリギリに避ける。氷の刃がわずかに頬を掠め、顔から血がドクドクと流れだす。


「痛みは無くったって、身体に傷をつけられるのは精神的にくるんですけど……」


「だったら、私を冥界に連れて行こうとするのは諦めて帰って」


 そう口にしたフローレンスの姿は、気づけば十歳くらいの見た目になっていた。


「……ん? あなた、ちょっと縮みました?」


「……」


 フローレンスは無言で攻撃魔法を放ち続ける。


「ひょっとして……魔法を使い続けると、小さくなっちゃうんですか?」


「……」


 またしても無言。


 そこで私は合点がいった。


 三十四歳と聞いていた割には、十代後半の少女のような見た目だったのは、私の前任者を粉々にした時に魔力を使った反動が残っていたからなんだ。


 それならば、もう少しの間、回避に専念して魔力を消耗させてしまえば、簡単に魂の回収ができるのでは?


 私がそう考えた矢先、いきなり地面から何本もの土製の棘が突き上がって来た。


 フローレンスの杖から放たれる魔法に意識を向けていた私は、棘を避けられず、グッサリと腹部を貫かれる。


「かはっ……」


 続けて、四方八方からも土の棘が伸びてくる。


 瞬く間に、私の身体は棘で完全に固定されてしまった。


「小さくなろうと、お前を粉々にしてやるくらいできるわ。私を誰だと思っているの?」


 勝ち誇るフローレンスの周囲の空気がビリビリと震えだした。


「二度と私に向かってくる気が起きないように、とっておきであの世に送ってあげる」


 フローレンスが使おうとしている魔法を浴びたら、間違いなく私は粉微塵にされるであろうことは容易に想像できた。


 私は、決して死ぬことは無い。


 にもかかわらず、意識が飛びかかる程の恐怖を感じた。それほどまでの圧がフローレンスにはあった。


「私にはやることがあるの。これに懲りたらもう来ないでくれる?」


 フローレンスの杖が眩く輝いた。


 太陽をそのままギュッと凝縮したような、直視できない激しい光。


 その光に目を眩ませると同時に、何かが私の心を引っ張ったような気がした。


 恐怖が絶頂に達した私の中で、何かが心から剥ぎ取られていくような気がした。


 私は今までの任務をちゃんと成功させた記憶が無い。


 任務を言い渡され、逃亡を図り、オペルさんに折檻され、嫌々任務に出て、回収対象と接触し――。


 そして、気づいたら目の前で回収対象が倒れている。


 私はその隙に冥界に連れていっているだけなのだ。


 どうして任務の度に、回収対象が都合よく倒れているのか、いまだに私はわからなかった。


「……もう、やけくそなんですけど」


 ぼそりと呟いたところで、私の身体は一筋の閃光に貫かれ――。


 私の意識は、ここで一度途絶えた。

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