死神と大魔導士(霊体)の四十九日冒険譚

風使いオリリン@風折リンゼ

#1 プロローグ

「そろそろ勘弁して欲しいんですけど……」


 冥界の真っ暗な道を私はひたすらに駆ける。


 私――ヴィータ――のすぐ後ろには、ケルベロス。


 三つの首を持つ大きな犬の魔物だ。


「こんなのけしかけてくるなんて、オペルさんの人間性を疑うんですけど……」


 オペルさん本人に聞かれていたら、間違いなく怒られるであろう呟きを漏らしながらただ走る。


 背後から、私を追い立てるようにケルベロスが吠えている。


「もう無理……」


 そろそろ体力が限界に近づいてきた。


 しかし、どこかに身を隠して休もうものなら、瞬く間に捕まってしまうことになるに違いない。


 ケルベロスは普通の犬の一億倍、嗅覚が優れていると言われているのだ。


 今からどこかに隠れても一瞬で見つかってしまうだろう。


「……あ、そうだ」


 私は自分の鞄におやつのビスケットが入っていることを思い出した。


 すぐさま、それを取り出し、後ろに放り投げる。


 ケルベロスがビスケットを食べている間に、逃げ切ってしまおうと考えたのだ。


 そんな私の目論見は外れ、ケルベロスはビスケットに見向きもせず、私に向かってきた。


 ケルベロスは甘い物が好物だと聞いていたのに……。


「さすが、オペルさんの犬……よく訓練されていますね……」


 そうこうしているうちに、少しずつケルベロスとの距離が縮まってきた。


 私の体力はもう限界だった。


 それでも走り続けなければならない。なんとしても、私は逃げ切ってみせる。


 やがて、前方から川が流れる音が聞こえてきた。


「どうにか、ここまで来れた……」


 冥界と人間界を隔てるステュクス川だ。


 ケルベロスはこの川を越えられない。


 そのため、この川にさえ入ってしまえば逃げ切ったも同然なのだ。


 と、川を前に気を緩めた瞬間。


 突然、私の足元に魔法陣が浮かび上がった。


「っ⁉︎」


 その輝きに、思わず目を閉じる。


 それから数秒後、恐る恐る目を開けると――。


 私は光の檻の中にいた。


 ケルベロスは、檻の前まで来ると、私を見張るように座り込む。


「はぁ……逃げ切れると思ったのに……」


 観念するように、私はその場にへたり込んで膝を抱える。


「甘いわね、ヴィータ。今まで何度あなたを追い回したと思っているの?」


 ケルベロスの背後から、黒いローブを身に纏った黒髪ロングの糸目の女性が現れた。


 私の上司、オペルさんだ。


 その姿を見るなり、ケルベロスは尻尾を振って、彼女の元に駆け寄った。


「よしよし、ケルちゃんも、ベロちゃんも、スーちゃんもみんな良くやったわ」


 そんなケルベロスの三つの頭を交互にわしゃわしゃと撫でてから、


「まったく、あなたは毎回毎回……。任務が与えられる度に逃げようとするのはやめなさい」


 オペルさんは、ため息まじりに檻の中の私を窺った。


「そうは言いますけど、今回はちょっと私には荷が重いっていうか……」


 膝に顔を埋めながらそう答える。


「大丈夫よ。あなたはなんだかんだ毎回ちゃんと任務を成功させているじゃない」


「それはまぐれというか、なんというか……」


「……とにかく、もう決まったことなのだからごねたってしょうがないでしょ。今そこを開けてあげるから、さっさと出てきなさい」


 オペルさんの言葉に、私は小さな声で答えた。


「……やです」


「……なんて?」


「……嫌です。出ません。今回の任務に行くくらいなら。この中で一生暮らす方がマシです」


「……」


「……」


 私達の間に、少しの沈黙が流れ――。


「あなたの気持ちはよく分かったわ、ヴィータ」


 オペルさんが私に、糸目をより細めて微笑んだ。それから、ケルベロスに向き直ると、


「ケルちゃん、ベロちゃん、スーちゃん……さあ、おやつの時間よ」


 私を囲っている光の檻を消して、そんなことを口にした。


「ちょっ、待っ……あっ!」


 抗議するより先に、ケルベロスに押し倒される。


 そして、そのまま――。


「ああああああああああああああああああああっ!」


 ケルベロスに腹部を引き裂かれながら、私はこんなことになった経緯を思い返す。


 それは、遡ること二時間前――。


「ヴィータよ。汝れに大魔導士フローレンスの魂の回収を命ずる」


 オペルさんに、「『特別回収課』から異動させてあげる」なんて言われて、死神の長、タナトス様の館まで連れて行かれた私は、そこでタナトス様から、そんな任務を命じられた。


「済まないな、ヴィータ。俺、あいつにボコボコにされちゃって、ここに連れてこられなかったんだ。でも、お前の力なら、抵抗するあいつにだって勝てるはずさ」


 恐らくは、元々フローレンスを担当していたであろう男の死神がエールを送ってくる。


 私は、その励ましに恨みを込めた視線を返す。


 ――私の気も知らないで……。


 私たち死神は、死んだ人間の元に行き、冥界へ連れてくるのが仕事だ。


 人間が魂のみで長いこと現世を彷徨い続けると、ゴーストやゾンビといった魔物に変貌し、生きている人間たちに悪影響を与えてしまう。


 それを防ぎ、また、魂の円滑な転生をサポートすることが、死神の使命なのだ。


 だけど、心残りがあるとかで、素直に冥界までついて来てくれない魂もいる。


 ただの人間ならば、普通の死神でも無理やり冥界まで連れていけるのだけど、それが名の知れた魔導士とかになってくると話は別になってくる。


 そういう人間は、たとえ魂だけの存在になっても、並の死神より全然強い。抵抗されようものなら、死神の方が負けてしまう。


 そんな人間たちの魂の回収を担当するのが、私が所属している『特別回収課』だ。


 死神たちの中でも、特に強力な者が所属する、死神の花形部署。


 だけど、私は――。


 一刻も早く、この部署から異動したい。


 抵抗する者を取り押さえるという仕事柄、任務に出ればほぼ間違いなく戦う羽目になる。


 戦って負けても死ぬことは無い。でも、武器や魔法に向かっていくのは普通に怖い。


 私は、怖いのは嫌なのだ。


 普通の人の魂を、普通に冥界まで導く。そんな仕事をしていたいのだ。


 タナトス様から任務を告げられた後、私はオペルさんに今回の回収対象者の資料を渡された。


 私は気乗りしないまま、それに目を通す。


 フローレンス・ファー・メイザース。


 享年、三十四歳。若くして大魔導士と呼ばれていた天才魔女で、魔王を倒しうる人間の一人とされていた。しかし、魔王軍に寝返った仲間の手によって殺されてしまったらしい。


 ……また魔王軍のせいか。


 近頃、人間界では魔王が世界を滅ぼそうとしているらしく、あちこちに魔物を送り込み、甚大な被害を出している。


 そんな世界を救おうと、名のある英傑達が魔王軍に戦いを挑んでは命を落としている。


 普通の死神の手に負えない力を持つ者がたくさん死んでいる。


 そのせいで、毎日のように『特別回収課』に新しい任務が入ってくるのだ。


 本当に勘弁して欲しい。


 はぁ、と大きく息を吐き出してから、私は資料の続きを読む。


 それによると、前任の死神は魔法で炎に焼かれ、凍らされ、召喚獣に引き裂かれた挙句、粉微塵にされて冥界に帰ってきたという。


 ……ちょっと待って。嫌だ。行きたくない。確かにさっき前任の死神からボコボコにされたとは聞いていたけれど、粉微塵って……。


 ……逃げよう。いつも以上に本気で。


「あの……オペルさん」


「ん? どうしたの?」


「ちょっと、あの……私、トイレに、ですね」


「ああ、そう」


「すいません。ちょっと、お腹がアレして、アレなんで」


 トイレに行く振りをして、そのまま館を抜け出し――。


 それから、十分も経たないうちにオペルさんのケルベロスが追ってきて、さっきの追いかけっこが始まったんだった。


 私の腹わたを食い散らし終わったケルベロスが、尻尾を振ってオペルさんの元に駆け戻っていった。


 ケルベロスを撫で回しながら、オペルさんが目をカッと見開いて、私に視線を送る。


「身体が再生したら、すぐに任務に行きなさい。もしまた逃げようとしたら、次は腹わたどころじゃ済まさないから。いいわね」


「はい……」


 その眼光の圧に、私は力なく返事をした。

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