第10話 危機的状況の中の楽しみ
「若! 斥候に出てた部下から報告が入ったぜ」
四連一夜城を完成させて、兵の休息を充分に確保し、ついでに本陣と、戦場となる予定の丘陵地帯の整備までもを粗方済ませた日の早朝。起き抜けに俺の部屋を訪れたのは、無骨な忠臣ことヨーゼフ・ヴァルターであった。
「朝っぱらからお前の顔を拝むことになるとはな」
「何だよ? オレじゃ嫌か?」
「誰だって朝一に野郎の顔を見たくはないものさ」
「そうか? まあいいや。それよりも聞けよ。ついにイゼルローン伯爵率いる本軍が丘陵地帯の向こう側に現れたぜ」
あまり深く考えずに行動する直情型のヨーゼフだが、これでいて意外と仕事は卒なくこなす男だ。ゆえに俺は彼を幼馴染のよしみだけではなく重宝しているわけだが、当の本人はそのあたりを理解しているかは怪しい。
閑話休題だ。話をヨーゼフの報告に戻すとする。
「敵の規模と正確な位置は?」
「数は約四〇〇〇。距離はそこの丘陵地帯から二〇キロほど先の谷だ。若の読みが当たったな!」
バシバシと背中を叩いてくる
「ちょっ、
「それは
心外だ、とばかりに目を剥くヨーゼフ。ちくしょうめ、今ので寝違えた首が元に戻りやがった。伊達に野戦慣れしていない。まったく、戦が終わって平和な世になったら整復師の資格でも取ればいい。きっと一生食うに困ることはないだろうさ。
「早速布陣しよう。ヨーゼフ、お前は騎馬弓兵の出撃準備を整えさせておけ。――――マリア!」
「はい、ここに」
スッと扉の向こうから姿を現したのは、第一の忠臣にして近臣であるマリア・フォン・クラウゼヴィッツ。俺の副官にして、先日から我がリントブルム軍の次席指揮官でもある。
彼女の将としての実力と実績は先のカスパー砦攻略戦において全軍の知るところとなっており、この人事に異論を挟む者は誰もいなかった。
もちろん俺は死ぬつもりなど欠片もないが、色々な事情で俺自身が戦場に向かえない場面はきっとこれから何度か出てくることだろう。急な病に倒れるかもしれないし、何か政治的な束縛によって本拠地を動けないことだってあるかもしれない。
そんな時に軍を任せられるのは、賢くて武勇にも長けたマリアしかいないと俺は思っている。乱世の戦国領主にとって、得難いものは有能な忠臣だ。無能な忠臣や有能な奸臣は例を挙げれば枚挙に暇がないが、仕事のできる忠良な家臣というものはそう多くは現れない。俺は本当に良い家臣達に恵まれたと思う。
まあ、恥ずかしいからわざわざそんなことまで口に出したりはしないのだが。ただ、言わずともマリアあたりには伝わっていそうな気はする。あいつは俺のことなら何でもお見通しだろうし、だからこそ喜んで次席指揮官を引き受けたのだろうから。
「これより全軍を動員し、左右に分かれて丘陵地帯の両側に広がる山林へ潜伏する。事前の計画に沿って、砦を囲っている部隊以外の兵を二つに編成し、待機させろ」
「かしこまりました」
これより行うは大規模な包囲戦である。俺がこの周辺の地形を練り歩き、数日間にもわたって熟考と議論を重ねた末に生み出した秘策で、イゼルローン伯爵を討つ。敵はすぐそこまで迫っているのだ。
「……さてと。リントブルム家が東国の雄となるか、はたまた歴史に名を残すことなく地図から消えるかを決める大決戦が目の前に迫ってきたぞ。ジークフリートよ、お前はどれだけ戦える?」
鏡の前に立ち、寝癖まみれの間抜け顔を見つめて俺は自分自身に問う。冴えない顔だと思う。少なくとも目鼻立ちがすっきりと通った好青年という感じではないし、猛々しい偉丈夫という感じでもない。
だが俺にしかできないことがあると知っている、自信に満ちた表情だ。…………否、これは自信なんかじゃないな。俺はいつだって自信なんて持っちゃいない。これは――――楽しんでいる顔だ。
「父上。誠に不謹慎ながら、どうやら俺はこの状況を楽しんでいるようです」
己の考えた策や城が、どこまで世界に通用するか。それを知るのが楽しくて楽しくて仕方がないのだ。賭けるのは己と家臣の命と領民の生活である。何があっても負けるわけにはいかない。
だがそんな一歩も間違えられない危機的状況の中にあって、俺は戦に楽しみを見出している。
「負けることはない。負けるつもりもない。だが、ここで圧倒的な勝利を手にしなければ、リントブルムはじわりじわりと滅びに近づいていく。それは――――あってはならならい未来だ」
自分に語り掛けるように、そうあえて口にする。これは暗示だ。俺自身の覚悟を今一度はっきりと自覚するための儀式だ。
「勝つ」
東部の歴史が今、大きく動こうとしている。
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