第6話 戦の後の穏やかなひと時

「おい、若! 伝令の早馬が逃げていくぞ。追いかけなくてもいいのか⁉︎」


 カスパー砦の食糧を根こそぎ奪取し、砦を完全に包囲した数分後のことだ。馬に乗って砦の反対側から駆けてきたヨーゼフが焦った顔でそう訊ねてくる。彼一人でやってきたのを見ると、どうも部下に後を追わせているようだ。


「いや、大丈夫だ。逃してやれ」

「なんでそんなことするんだよ。イゼルローン伯爵がこの状況を知ったら絶対に攻めてくるぜ?」

「むしろそれが狙いなんだよ」


 カスパー砦は南部を抑える上で非常に重要な拠点だ。リントブルム産の物資をふんだんに貯め込んだカスパー砦がなければイゼルローン軍は長期間にわたる戦いを戦い抜けない。何としてでもイゼルローン伯爵は俺達を迎え撃って、奪われた兵糧を奪還する必要がある。そのためには逆説的に、数百人以上が籠城しているこのカスパー砦の重要性もさらに増すのだ。

 敵本軍が不完全な状態で攻めてきても、籠城しているカスパー軍がそれに呼応して行動を起こせば五〇〇〇のリントブルム軍でもどうにかできるかもしれない。逆にそれができなければイゼルローンは徐々に衰退し、やがてはリントブルムに呑み込まれて地図から名前を消すだろう。ゆえにイゼルローン伯爵は決してカスパー男爵を見捨てられない。


「兵糧を失ったカスパー砦の命運は風前の灯だ。一刻でも早くカスパー砦を奪還するために、敵本軍は準備が不十分な状態で出撃せざるをえない。つまり俺達にとってみれば、万全でない敵を叩きのめすまたと無い機会なんだ」

「イゼルローン伯爵はちゃんと来てくれんのか?」

「ああ、奴は必ず来る」


 俺はキッパリと断言してみせる。確かに本人が登場する可能性は絶対ではない。だが『アウゲ』の情報によれば、イゼルローン伯爵はつい先日家督を息子に譲ったそうだ。内政は息子に任せ、自分は軍の指揮に専念しているという。我が父ゴットフリートが病床に伏している今、奴は自らの手でリントブルムとの長年にわたる因縁に決着をつけようとしているのだ。


「不完全とはいえ、本軍相手か。……勝てるよな?」


 少しだけ不安そうなヨーゼフに対し、背後から声が掛かる。


「イゼルローン領はあまり豊かな土地ではないので、常備兵の数もそう多くはないですよ。多く見積もってもせいぜいが四〇〇〇といったところでしょう」

「マリア」


 砦のほうから馬に乗り、堂々と凱旋してくる今回最大の功労者。報告によれば獅子奮迅の活躍をしたというのに、その身には返り血ひとつ付いていない。どれだけ身のこなしが上手いのか。まったく俺にはもったいないくらいの戦乙女だ。


「多分だけどその数字は正しいよ。イゼルローン領の収穫高と人口を勘案した上で、収穫後に動員可能な兵の最大数や、年中動員できる常備兵の数を予測してみたことがあるが、その時はこのカスパー砦を含めても三〇〇〇から五〇〇〇程度が関の山だった」


 むろんこれは常備兵の話だ。農民兵も含めるなら一万とちょっとくらいは動員できるだろう。だが今は収穫期真っ只中だ。一ヶ月後ならともかく「今まさに」という意味でなら、イゼルローン軍の全力でもカスパー砦を包囲しているリントブルム軍の一部とトントンくらいである。

 流石に一万の兵を二万で攻めることはしたくないが、四〇〇〇ちょっとが相手なら話は別だ。兵力差は単純計算で約五倍。負けるほうが難しい。もちろんなめてかかってはいけないが、俺はいつだって全力である。一羽のウサギを追う時でも力を抜くことはない。


「それにしてもマリア、本当によくやってくれた。怪我は無いか?」

「はい。ジーク様に捧げたこの身体、傷一つございません」

「ちょ、ちょっ! その表現は誤解を招くからっ」

「ふふ」


 マリアの奴め、わかってわざと言ってやがる。落ち着き払った微笑が言葉にせずともそれを雄弁に物語っている。


「?」


 そばに居合わせたのが馬鹿ヨーゼフで本当に良かった。これがもしハイドリヒあたりだったら、一瞬であること無いこと勘繰られた上に、後日祝宴を企画されたり安産祈願の符を手渡されたりといった空回りした配慮をしてくるところだった。

 確かにマリアは俺に忠誠を誓った身。もし俺が一言口にすれば、マリアはその日の夜にでも俺の部屋を訪ねるだろう。

 だが主従である前に、俺達は幼馴染である。立場に物を言わせて無理やり――――とかになろうもんなら、マリアの気持ち以前に俺がしんどい。マリアは大切な俺の家臣である。みすみす信頼を損ねる真似なんてできるはずがないのだ。


「良い年頃でございます。ジーク様もこれを機に嫁の一人や二人、娶るべきです」

「一人や二人って」


 一人ならばともかく、二人は不誠実だろう。そりゃあ貴族たる者、お世継ぎは数が必要だし、俺にだって腹違いの兄弟姉妹くらい何人かいる。いつかは俺も側室を娶る日が来るかもしれない。

 だがそもそも正室すらまだいないのだ。父が病に倒れて俺が領政を引き継ぎ、それどころではなかったというのが実のところだが。確かにそろそろ俺もそういったとしての仕事を後回しにはできない年齢になってきているのだろう。


「そうだなぁ、ひとまず東部を平定したら少し考えるとするかな」

「それがよろしいかと思います」


 淡々と首肯するマリア。その表情からは本心は窺い知れない。


「結婚かぁ。オレもそろそろ嫁が欲しいぜ」


 ヨーゼフが腕組みしながらそんなことをのたまっていたが、確かに彼も既に二十代半ば。所帯を持つには良い頃合いである。


「お前に良い縁談がないか、俺が探しておいてやろう」

「いいのかっ⁉︎」


 目を爛々と輝かせてにじり寄ってくるヨーゼフ。気前は良いのだが、いかんせん荒々しくてがさつな男だ。今まで彼に言いよる女はそう多くなかった。伯爵家嫡男の近臣という身分もあって、下々の領民と――――というわけにもなかなかいかない。嫁探しに困るのはいつの時代も同じようである。


「これから我がリントブルム家は大きく躍進する。その近臣で実績も多いお前なら、良縁に恵まれるのもそう遠くない未来だろうさ」


 むろん、ただの善意だけではない。俺が縁談を斡旋してやればヴァルター家は生涯俺に頭が上がらなくなる。むろん現時点でもそれに変わりはないが、家と家を繋ぐ婚姻に介入するともなれば、その忠義はヨーゼフ個人のものではなくなるのだ。

 政権を拡大するにあたり、家臣をうまく統制することで確固たる地盤を築く。それもまた貴族として必要な政治手腕の一つだろう。


「ただ、ひとまずは追っ手を連れ戻すことだな」


 一応は監視に留めているようだが、万が一カスパーの伝令に勘付かれて交戦状態にでも陥れば、俺の計画が台無しである。追っ手を放ってくれたこと自体はありがたいが、今回は骨折り損だったと受け入れてもらうとしよう。


「おう、わかったぜ」


 馬に乗り直したヨーゼフが北へと駆けてゆく。心なしかウキウキしているように見えるのは、きっと勘違いではあるまい。


「部下思いなのも良いことですが、少しくらいジーク様もご自身の幸せをお考えになってはいかがですか?」


 馬から降りたマリアが、俺の顔を見上げながらそんなことを言ってくる。そんな彼女をチラと横目で見つめながら、俺は己の思うところを述べるのだ。


「俺はお前が隣にいてくれればそれでいいさ」


 他意は無い。ただ、疑う余地のない忠義を尽くしてくれる器量の良いマリアのような忠臣がそばにいてくれるなら、それで俺は充分に幸せなのだ。


「……そうですか」


 少しだけ照れくさそうに頬を掻くマリア。よく見たら耳が若干赤くなっている。これも昔から変わらない彼女の特徴だ。マリアは俺に何か小っ恥ずかしいことを言われると、こうしてそっぽを向いて照れていることを隠そうとする。幼馴染の俺にはすっかりお見通しなのだ。


「私は生涯ジーク様のおそばでお支えしていくつもりですよ」

「頼もしいな」


 戦の後の緊張感が少しだけ解れる。今回のカスパー砦攻略戦は俺の初陣だったわけだが、こうして無事に作戦通り終了する保証なんてどこにもなかったのだ。皆の前では表に出すことなどしないが、流石に緊張した。実のところを言えば、内心では冷や冷やだったのだ。マリアには本当に助けられた。


「これからもよろしく頼むぞ」

「もちろんです」


 秋の涼しい風が俺達の間をフワリと通り抜ける。なんてことのない会話に肩の荷が少し下りたような気がしたのは、気のせいではあるまい。やはり気を許せる相手とのひと時は大事なものである。











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