第5話 カスパー砦・攻防戦

Side:カスパー砦・城代 ヘンゼル・フォン・カスパー男爵



 ヘンゼル・フォン・カスパー男爵はカスパー砦の城代である。イゼルローン伯爵領南部を所轄するこのカスパー砦は、リントブルム領に隣接していることもあって地政学的に重要な拠点だ。その要衝を任されているカスパー男爵とはそれだけの信頼を寄せられる武人であり、政治家であった。

 そんな彼がいつものように執務机に向かっていた時のことだった。


「助けてくれぇっ!」


 そんな声とともに、馬のいななきと馬車の車輪が立てる騒音が突如として窓から飛び込んでくる。何事かと代官執務室の窓から身を乗り出して眼下を見やれば、十数騎の騎馬弓兵リンドブルム兵に追われ、今にも殺されそうになっている商隊が我がカスパー砦へと全力疾走している光景が目に飛び込んでくるではないか。

 商隊の規模は小さい。わずか三両の馬車と、護衛と思しき傭兵が数名程度。鍛え上げられた騎馬弓兵の集団には到底太刀打ちできそうにない貧弱な戦力だ。


「南からの商人か」


 つい数ヶ月ほど前にリントブルム家の当主ゴットフリートが病に倒れ、城好きのぼんくら嫡男ジークフリートが領政を引き継いでからというもの、かの領地では政治が混乱の極みを見せているという。何しろあそこの嫡男はまだ若い。確か今年で一七になっただろうか。もう充分に大人と呼べる年齢ではあるが、経験など皆無に等しく、およそまともに領地の経営などできはすまい。

 ゆえにリントブルム家に愛想を尽かした現地商人達がこぞって周辺領地へと物資とともに鞍替えしだしたのが、ここ数週間以内の出来事。カスパー男爵もまたその商人達を保護しつつ、リントブルム産のの穀物や衣類などを買い占めていた一人であった。

 何しろリントブルム領は豊かだ。肥沃な平野部が領地の大部分を占め、やや南寄りゆえに日当たりも良く、冬季の雪も少ない。四方を山地に囲まれた立地ゆえに他家の侵攻にも遭いにくく、面積の割には多くの人口に恵まれている。

 欲しい。実に欲しい。たかだか代官風情のカスパー男爵すらもそう思うのだ。その主君たるイゼルローン伯爵が同じように考えるのも、ごく当たり前の話であった。

 ゆえにリントブルムからの商人が豊富な物資を携えて北に逃れてくるのは、山がちで物資に乏しいイゼルローン家にとっても実に渡りに船だったといえよう。物入りということもあって多少足下を見られた値段で売りつけられたのは若干癪ではあるが、それも南部を平定すれば余裕でお釣りがくる程度のものだと彼は考えていた。


「門を開けてくれぇッ」


 馬車の幌に矢を突き立てた御者が、必死の形相で叫んでいる。ここからではやや遠いが、顔中にびっしりと脂汗が浮いているのがありありと予想できるほどだ。相当焦っているとみえる。


「いかがいたしますか?」


 書類を胸に抱いた秘書が訊ねてくる。カスパー男爵はチラと手元の資料を見返し、倉庫にもう少し余裕があったことを思い出して頷いた。


「入れてやれ。命を助けた見返りに、積み荷をすべて徴収しよう」

「反感を買いはしませんでしょうか」

「こちらはから助けてやっているのだ。文句を言うならその場で斬り捨てるまでよ」


 リントブルム商人がどれだけ喚こうが、カスパー男爵の知ったことではない。彼の関心はイゼルローン領の繁栄と、己の武人としての評判のみに向いている。リンドブルム領からより多くの物資を獲得し、もってイゼルローン軍の戦力拡大に寄与するならば、それがカスパー男爵の名誉向上に繋がるのだ。武人として、政治家として、名を上げる良い機会である。

 ゆえにカスパー男爵は気付かない。軍功を挙げることに注力するあまり曇った彼の目は、馬車の挙動がことを見落としてしまっている。



     *



「倉庫から火の手が上がりました! 城内に詰めていた兵で賊の鎮圧を図りましたが、あまりの強さに手も足も出ませんっ」

「城門が開け放たれています! 誰だッ、勝手に門を開ける許可を出したのはッッ」

「ま、まずい! まずいぞッ、城の外に敵兵が……リントブルムの軍勢が集まってきている!」

「数はどのくらいだ⁉︎」

「……か、数えきれません! 五〇〇〇はいるものと思われますっ」


 阿鼻叫喚の地獄絵図とは、まさしくこのような光景を言うのだろう。欲に目が眩んでろくに積み荷を調べもせず商隊を城内に入れてやったのが運の尽きだった。

 荷台に潜んでいたリントブルム兵どもによって、溜め込んだ小麦には火を放たれ、うまやの戸は破壊されて馬達は脱走。狂乱した馬に蹴られて死ぬ馬鹿どもも出ているとの報告が上がってきている。


「クソッ、どうしてこうなった!」


 騒がしい城内の廊下を早歩きで進みながらカスパー男爵は苛立ちを秘書にぶつける。だがそんなことをしても意味は無いと彼は理解していた。深呼吸を一つ。即座に意識を切り替え、カスパー男爵は秘書に命じる。


「剣を取ってまいれ」

「剣、でございますか?」

「そうだ! 私自ら戦い、陣頭指揮を執る! これだけの混乱、収められるのは代官たるこのカスパー男爵しかおらん!」


 暑苦しいだけの貴族服を脱ぎ捨て、カスパー男爵は私室の奥に飾ってあった板金鎧へと着替える。この鎧は彼が男爵を襲爵する時に父より受け継いだ、先祖伝来の鎧である。これを着る時はいざという有事のみ。今がまさにその時なのだ。


「いかに敵が卑怯な手を使ってこようと、真正面からそれを斬り伏せる。それこそがシュナイダー流魔剣術四段にふさわしい戦い方というもの」


 「魔剣術」というように、シュナイダー流では魔法の扱いにも習熟しなければ段位が授けられることはない。そのシュナイダー流で四段。間違いなくこれは才能といえるだろう。


「リントブルムの田舎騎士どもめ……。我が剣の錆にしてくれる」


 秘書から剣を受け取り、腰にく。全身に金属を纏うのは年齢的にも少し堪えるが、そのようなことで戦意を鈍らせるカスパー男爵ではない。

 幼少より鍛えし我が剣の腕。数十年にわたる修行により修めた武人としての実力を、仇敵リントブルムの者どもに知らしめてやるのだ。



     *



「我が名はヘンゼル・フォン・カスパー! 畏れ多くも先代国王陛下より男爵の位を賜りし、このカスパー砦の城代である! 汚い策を弄しての貴様らの蛮行、目に余る! これより成敗いたす!」


 カスパー砦内、倉庫付近の中庭にて。カスパー男爵は抜剣し名乗りを上げた。背後には砦内に屯していた数百の兵が控えている。賊の数は三〇に満たぬほど。圧倒的にカスパー男爵方の有利である。


「リントブルム伯爵家が家臣、クラウゼヴィッツ子爵家のマリア・フォン・クラウゼヴィッツ。これより我が主君の名により、貴殿らを討ち取る」


 騎士姿の若い女が抜剣し、名乗りを上げた。騎士で女とは珍しい。まったくいないとは言わないが、基本的に女騎士とは高貴な女性の護衛を務めるものである。このような戦場に姿を現すことはまずもって無いと言っていい。

 得物のほうもまた珍しかった。剣身が真っ直ぐの伝統的なではなく、一〇〇年ほど前に東方から伝来したと呼ばれる類のものだ。「折れず曲がらずよく斬れる」らしいが、盾を用いない戦法がなかなかロムルス人の気風に合わず、かなり使い手を選ぶと聞いている。


 クラウゼヴィッツ家。刀。何か引っかかる。


「…………ま、まさかっ、クラウゼヴィッツ家の才女か⁉︎」


 噂には聞いたことがある。弱冠一六にしてシュナイダー流魔剣術の錬士、六段相当を認められた才媛。もしそれが本当なら、まず間違いなく「東部最強」は目の前のこの女騎士だろう。しょせんはリントブルム家の流した根も葉もない噂だと思っていたが……。


「汚い策を弄したのはイゼルローンそちらが先でしょう。我々は自らの身を守るために立ち上がったまで。我が主に刃を向けたその咎、命をもってあがなっていただく」


 そう言うが早いか、クラウゼヴィッツの才女がカスパー男爵の下へと駆けてくる。


「――――速……ッ」


 辛うじて盾を構えるのが間に合ったが、一撃で弾き飛ばされてしまった。痺れる手と足で踏ん張りつつ、カスパー男爵は体勢を立て直す。

 信じられない。まさか全身を甲冑で包んだ騎士わたしを、この小娘が弾き飛ばしたというのか。

 彼は己の背中に嫌な汗が流れるのを感じていた。最近少しずつしわの増えてきた顔を歪めてさらに皺まみれにしつつ、ぎりりと音を立てて固く剣を握り直す。

 このような緊張感、久しく味わってはいなかった。若かりし頃に一度だけ従軍して以来だろうか。血湧き肉躍った当時とはもう体力も気力も抱える責任も、何もかもが違う。カスパー男爵はこの戦いに高揚感を覚えることはできなかった。


「……負けられぬ。負ければイゼルローン家に未来は無い」


 呟いたのは無意識だった。だがそれが決め手となり、カスパー男爵の覚悟が決まる。


「数で押し切れッ。これだけの数だ。負けることはない!」


 彼は己一人の力では目の前の小娘に勝てないと悟っていた。ゆえに武人としてではなく、政治家として勝つ道を選んだ。

 一介の武人として戦うにはどうやら少し歳を取り過ぎたらしい。シュナイダー流魔剣術四段の肩書きも、もはやこれまでのようだ。


「だがこのカスパー男爵自身は終わってはおらんぞ」


 女騎士クラウゼヴィッツがカスパー男爵目掛けて突っ込んできた。軽装とはいえ金属鎧に身を包んでいるというのに、信じられない踏み込みの速度だ。

 カスパー男爵が反応するよりも早く、部下の兵達が前に出て応戦の構えを取った。だがたったの一振りで数名の部下が下されてしまう。楔帷子チェーンメイルごと叩き斬られる兵士達。臓物を撒き散らして物言わぬ骸となった仲間の姿に、兵達がたじろぐ。

 身動き一つ取れなかった。先ほどの一撃は本気ではなかったのだろう。これが錬士の強さということか。どうやらあの噂は本当であったらしい。

 二回り以上も年下の小娘に圧倒される中年じぶんに嫌気が差す。だがそれでも構わない。最終的に立っているのが自分であればそれで良いのだ。


「下がるなッ。進め! 敵はたかだか小娘一人であるぞ!」


 部下に命じ、カスパー男爵自ら前に出る。後退あとずさってきた兵の背中が邪魔だったので、斬り捨ててそのまま前に突き進む。


「行け!」

「「「お、おおーっ!」」」


 逆らえば次は自分であるとわかっているのだろう。兵どもが槍や剣を手にして突進していくが、しかし次々に斬られ、蹴飛ばされ、地に伏してゆく。中庭の地面が味方の赤い血でだんだんと染められてゆく。


「……頃合いか」


 クラウゼヴィッツの才女が小さく呟いた。ふと倉庫のほうを見やれば、まだ燃えていない兵糧が次々に城外へと運び出されている光景が目に入った。


「な……してやられたッ!」


 まさか、まさか! 私を狙う素振りを見せたのは陽動で、真の狙いは兵糧だったというのか!


「撤収! 急げっ」


 クラウゼヴィッツの掛け声で、リントブルムの兵どもが即座に戦いを切り上げ、門外へと去ってゆく。後にはすっからかんになった倉庫と一〇〇名近い味方の死傷者、それから破壊されて使い物にならなくなった城門だけが残された。


「砦の周りを囲まれました! 逃げ場がありません!」


 肩を揺さぶられた。部下の声で我に帰る。過ぎたことは仕方がない。頭を切り替えて最善の道を選ぶしか、カスパー男爵達が生き残る術は無いのだ。


「ぐっ――――今すぐに城門を修理せよ! 急げ、最優先だ! 何としてでも敵本軍を砦に入れてはならん!」

「し、しかし籠城するには兵糧が!」

「……処分を承知で伯爵様に増援を乞う。カスパー砦は重要な拠点だ。見捨てられることはあるまい」

「かしこまりました。すぐに伝令の早馬を出しますッ」

「くれぐれも見つからぬよう、裏門からこっそりと出せ。わかったな?」

「はっ」


 このカスパー男爵、一生の不覚だ。武人としての評価は地に堕ちたし、政治家としても無能のそしりを末代まで受けることになるだろう。己と己の一族の未来を思うと、悔しくて、やるせなくて、無性に腹が立って仕方がない。


「…………この南蛮人どもめぇぇええッ!」


 ジークフリート・フォン・リントブルム。愚凡なうつけ者とばかり思っていたが……その名前、決して忘れまいぞ。











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2024年12月2日 07:26

軍略のリントブルム 常石 及 @tsuneishi

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