第4話 イゼルローン伯爵を引きずり出せ

 最初に敵を発見したのは、ヨーゼフの命で斥候に出ていた騎馬弓兵の二人組だった。

 領境の山道を抜けた先にある小さめの盆地。そこに差しかかる直前あたりで、イゼルローン軍の見回りの兵士とばったり遭遇したそうだ。

 はじめから警戒態勢を取っていたこちら側が先に発見し、その場で奇襲を仕掛けたという。勝負自体は一瞬で片が付いたらしいが、念のため報告をしようということで、二人組のうち片方が馬を飛ばして戻ってきたという話であった。


「もうじき相方が帰還する頃と思われます」

「ご苦労だった。下がってよい」

「は」


 斥候の兵士を下がらせた俺は、臨時で設営した机に周辺の地図を広げ、たった今報告のあった敵兵遭遇地点へと赤い石を置く。


「左右を山に挟まれた山道ここからは周囲の様子がよく見えないが、盆地の向こう側――――この丘陵地帯からなら戦場の様子が一望できそうだな」


 もちろん、それは敵方からもこちらの布陣の様子がよく見えることを意味する。もし敵にこの丘陵地帯を押さえられでもしたら厄介なことこの上ないだろう。大軍ゆえに足の遅いリントブルム側からしたら、あまり長いこと手前ここで留まっていたくはない。


「できれば本陣はもう少し遮蔽物の多い場所に敷きたいところですね」


 マリアが地図に物差しを当てて、丘陵地帯から見える部分の広さを測っている。これだけ広い範囲が見えるということは、その分ここを奪われた時に自軍が発見される確率も上がるということだ。

 どうせならあの丘の上に城でも築いてやりたいが、その前にまずはその先の盆地を攻略する必要がありそうだ。もし盆地に敵の城でもあれば、工事中に手痛い反撃を喰らいかねない。


「ひとまずはもう一人の斥候の報告を待ってから、どうするかを決めようと思う。この先の盆地が戦力の空白地帯ならすぐさまここを押さえる必要があるし、もし敵の要塞があるならばそれなりの対応策を考える必要がある」


 まあ俺の予想では十中八九、何らかの軍事的拠点が設けられているはずだ。これだけの要衝である。敵方からしたら城を設けない理由が無い。


「報告します!」


 と、そこで件の斥候の相方が戻ってきた。かなり息が荒いので、相当馬を飛ばしてきたんだろう。これは何かあると見た。


「先ほど敵の見回りの兵と交戦し、これを撃破したのち偵察を続行したところ、山を越えた先の盆地に小規模な敵の要塞があるのを発見いたしました!」

「敵兵の数はわかるか? 概算で構わない」 

「は。あの規模ですとさほど大勢で籠城することも難しそうでしたので、多く見積もってもせいぜいが一〇〇〇かそこらかと推察いたします」


 たったの一〇〇〇か。これならただ囲むだけで、戦うことなくイゼルローンの本軍を引きずり出せそうだ。盆地の敵兵には悪いが、せいぜい味方を誘き出すための餌になってもらうとしよう。


「でかした。相方ともども褒美を取らせよう。些細ではあるが受け取れ」

「ははーっ!」


 マリアに目配せして、ほんの気持ち程度ではあるがボーナスの金一封を下賜してやる。こういう時のために少額ながらボーナス袋を複数用意してあるので、論功行賞には事欠かない。

 あまり高額だと虚偽の報告を上げてくる者が増えるし財政にも悪影響を与えるので額自体は小さめだが、それでも俺の労う気持ちが伝わり、かつ小遣いが増えるのであれば兵達はそれで充分に喜ぶのだ。


「さて、少し作戦を考える。マリア、付き合え」

「はい」


 斥候の弓兵を下がらせ、この場に居合わせる人間が幹部のみになったところで、俺は再度地図へと向き直る。


 現在いるのは前後左右を深い山林に囲まれた険しい山道。交通の要衝であるこの道が封鎖されていないのは実に単純な話で、戦前の特需に応えるだけの物資を山積みにした商人達がこぞってこの道を通るからだ。

 イゼルローン領は山がちであり、さほど裕福な土地でもない。ゆえにぶつかるギリギリまでリントブルム領から物資を搾り取るつもりだったのだろう。……残念ながらその考えは甘いと言わざるをえないわけだが。

 まあそのようなことはさておき、だ。

 この先の道を抜ければあとは開けた土地になる。大軍を生かすならばここを除いて他にない。となればいかにして敵を盆地および地続きの丘陵地帯に引きずり出すかだが――――。


「マリア。敵の本軍……できればイゼルローン伯爵本人を、この盆地にまで誘き寄せたい。そのためにこの敵方の砦が使えると思うんだが、さてどうしたら良いかな?」


 敵はわずか一〇〇〇。対するこちらは二万だ。まともにぶつかれば勝てないわけがない。

 ただ、ここはリントブルム領に近いこともあって物資の集積拠点でもあるのだ。籠城するにあたって敵方が兵糧に困ることはほぼありえないだろう。

 あまり悠長に構えて攻めあぐねていたら、東のベルリ家とザクセン家の戦準備が整ってしまう。そうなったら流石にリントブルム軍単体では太刀打ちできないだろう。三対一の構図だけは絶対に避けたい。ゆえにイゼルローン家は可及的速やかに攻め落とす必要がある。


「籠城させるというのは、悪い手ではないかもしれません。ただし、そのためには敵の倉庫を落として兵糧攻めにする必要があります」

「ほう。なるほど?」


 ここであえての兵糧攻め。その真の狙いは「兵糧攻め」自体ではない。別に兵糧攻めなんぞしなくても、たかだか一〇〇〇程度の敵兵など簡単に押し潰せてしまうのだ。

 ここで兵糧攻めを選ぶ理由はただ一つ。いわばイゼルローン伯爵にとっての人質である。


「兵糧を失った盆地のイゼルローン軍に、籠城戦を戦い抜く余力は無い。結果としてイゼルローン伯爵自ら本軍を率いて救援に来ざるをえなくなるというわけか」

「そういうことになります」


 良い案を思いついて気が上向きになったのか、少し嬉しそうなマリアがこくりと頷く。


「どうやる?」

輜重しちょう部隊の馬匹を商隊に偽装させましょう。積み荷は少数精鋭の兵士です」

「そう簡単に騙せるかな?」


 丁寧に臨検されたらその時点でおしまいな気もするが。だがそこはクラウゼヴィッツ子爵家の才女、マリアの言うことだ。何かしら秘策があるのだろう。


「偽装した商隊をヴァルター殿の騎馬弓兵に襲わせましょう。しかも騎馬弓兵にはあえてリントブルム家の旗を掲げさせるのです。に追われている真っ最中ともなれば、悠長に検問などしている余裕もありません」

「なるほど……。考えたな! マリア」

「そんな、もったいのうございます」


 恐縮して、しかしちゃんと嬉しそうにはにかむマリア。うむ、実に可愛い。幼馴染の贔屓目もあって、撫で回して「良い子良い子」してあげたくなるタイプの健気さだ。

 だがここは戦場である。そういった規律を緩めかねない行いは厳に慎むべしと、愛読書の兵法書にも書いてあった。

 第一、そこまで可愛がるとマリアが蕩けて使い物にならなくなるので、いずれにしてもやらないほうが吉である。


「よし。作戦を伝える」


 幹部勢の顔を見回してから、俺は羽根ペンと指示棒を持って地図に向かう。


「まず、盆地の手前の山中に目立たない城を築き、そこに大多数の味方を潜伏させておく。数は……そうだな、一万と五千ほどでいいだろう」

「四分の三を潜伏させるのですか」


 家臣の一人が不思議そうに訊ねてきた。むろんその気持ちもわからんではない。圧倒的な兵力差を見せつけたほうが、勝負は早く着くだろうと誰でも思うに違いないからだ。

 だがそれではいけない。目的はあくまでイゼルローン伯爵率いる敵本軍である。手前の雑魚一〇〇〇人ではないのだ。


「そうだ。あまり多いと伯爵が恐れをなして攻めてこなくなる恐れがある。だからこそあえての五〇〇〇だ。……そしてその五〇〇〇で盆地の城を攻める。それでも戦力比は一対五だ。敵はまず間違いなく籠城を選ぶだろう」


 ただ、それだけでは足りない。籠城できるほどの兵糧が敵方にあれば、イゼルローン伯爵は安心して収穫を終えてから軍を整えて進軍してくるだろう。

 だからこその騎馬弓兵隊と輜重部隊による迫真の演技が重要になってくるわけだ。


「商隊に偽装した輜重部隊を城内に潜入させる。詳細は先ほどマリアが言った通りだ。多対一でも負けないほどの手練れを送り込むぞ。……マリア、行けるな?」

「もちろんでございます。ジーク様は本陣でごゆるりと吉報をお待ちください」


 マリアは一騎当千という形容詞がこれ以上ないほどに似合う戦乙女である。彼女より白兵戦闘に秀でた戦士を俺は一人として知らない。

 マリアは間違いなく東部最強の女だ。だからこそこういった盤面をひっくり返すような重要な場面で、彼女の個としての強さが大きな意味を持ってくる。


「潜入工作部隊の人選はマリアに一任する。そして同じくらい重要な追い剥ぎ役だが……またしてもヨーゼフ、お前の出番だ」

「任せてくれ! ようは商隊に扮したクラウゼヴィッツ達を襲えばいいんだろ?」

「そうだ。ただし決して傷つけないようにしつつ、しかも本気で襲っているように見せなければならない。芸者並みの演技力が必要になってくるぞ。……できるか?」


 できる、できないではない。やってもらわねば困る。そしてこういうふうにあえて煽ってやれば、ヨーゼフは間違いなく乗ってくると俺は知っていた。


「なめんなよ、若! 弓に関しちゃ、オレにできねえことは何一つねぇ! 何しろ一年中訓練に明け暮れてんだからよ!」


 並みの兵士のものよりも一回りも二回りも大きな弓を掲げて自信満々に言ってのけるヨーゼフ。そんな彼の様子を見て、ふと気になったので訊ねてみることにする。


「なあ、その訓練って何をやってるんだ?」


 よく山中を走り回って猪やら鹿やらを追いかけ回しているのは知っているが。それだけではあるまい。


「騎馬部隊の仲間が放り投げた鉄兜ヘルムをよ、よーく狙って空中で射抜くんだよ。うまく決まると鉄でも貫けるんだぜ!」

「そんなことが……できるんだろうなぁ、お前達なら……」


 大戦おおいくさを前にして、実に頼もしいヨーゼフ達騎馬弓兵であった。








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