第2話 同盟の報せ
「若! 北東のベルリ家から
領境付近での視察を終えた俺が、マリアとともに領都に戻ってから数日。毎朝恒例の軍略会議を始めるべく俺が上座の席に着こうとしたタイミングで、遅刻してきた騎馬弓兵隊長のヨーゼフ・ヴァルターが駆け込んでくるなり開口一番にそう告げた。
「見てくれ」
挨拶もそこそこに、長机を回り込んだヨーゼフがベルリ家から送られてきた手紙を手渡してくる。普通に無礼な行動だが、それをわざわざ咎める者は誰一人としていない(呆れる者がいないとは言っていない)。皆、言っても無駄だとわかっているのだ。ヨーゼフは仁義に厚く、礼儀を知らない直情型の忠臣である。
「ついに来たか」
渡された手紙を開くと、そこには達筆な文字で「ともにイゼルローンを攻め、領地を分け合おうではないか」という内容の文が長々と周りくどい表現でしたためられていた。どうせ守るつもりもない空手形のくせして、妙に文才があるあたりが実に腹立たしい。この文章を考えた家臣は、世が世ならさぞ高明な文筆家にでもなれたことだろう。
まあ、そんなことはどうでもよろしいのだ。
「やはりジーク様の予想通り、同盟を持ちかけてきましたね」
俺から手紙を受け取ったマリアが、目を通しながら恒例の「俺ヨイショ」をしてくる。彼女が俺を持ち上げて褒めるのはいつものことなので、あまり気にせず俺は疑問に思ったことを呟いた。
「ということは、イゼルローンにはザクセンから文が行っているわけか」
「『
俺の右側、隣から数えて三席目に座る壮年の男が低い、しかしはっきりと通る声で述べる。彼の名はハインリヒ・ハイドリヒ。「
ただし、その分仕事はきっちりとこなす。以前俺がイゼルローンに送った密偵も、何を隠そうこのハイドリヒに諸々の手配を任せたのだ。不自然でない越境のしかた。衆人に紛れ込みながらも、情報を得られる場所に近づくことのできる人物の選定。微妙な方言への対応。正体を隠しての、扇動による敵領内における世論の形成。
すべてにおいて非常に繊細なスキルを必要とするが、ハイドリヒならそれをこなしてくれるし、こなせるだけの部下を育成することができている。間違いなく彼はこのリントブルム家に必要な逸材なのだ。正直、一番敵に回したくないのはこいつかもしれない。
「どうせその主戦派とやらは、ザクセンかベルリのスパイなんだろ?」
「どうもベルリのようでございます」
「……話が早いな。『目』が優秀なようで何よりだ」
どうやら既にその
「これでベルリとザクセンが黒だということの裏付けが取れたな」
「連中、裏で組んでやがったのかよ!」
ここに至ってようやく東部情勢を完全に理解したらしいヨーゼフが、
「次からはもう少し丁寧に言い聞かせておきます」
「頼む。すまんな」
マリアが小声で耳打ちしてきたので、労っておいた。いつもご苦労様です。
「これで駒は揃ったな。あとはどう動かすか、だ」
こうなることは事前に想定していたので、既に兵を動員する準備は整っている。兵糧の備蓄も十分以上に足りているし、馬匹の徴収や城郭の整備、侵攻計画の案も複数吟味済みだ。
「ハイドリヒ。お前は領都に残り、東部全域に散らばった『目』を通して情報の収集と伝達に努めろ。
腕木通信とは、「腕木」と呼ばれる大型の木製の棒を動かすことで何千種類ものパターンを作りだし、それを望遠鏡で確認することではるか遠距離の味方に視覚で情報を伝達することができる手旗信号のような装置のことだ。
専用の建物を建ててその屋根に巨大な腕木を設置する上に、一定間隔おきに中継基地を設けなければならないので導入にはかなりのコストと大掛かりな工事が必要になるが、そこは土木チート持ちの俺の出番である。各地の関所を増改築するついでに腕木通信機を増設して回ったおかげで、今では領地の端から端までわずか数分で情報の伝達が可能だ。
ただ、その暗号パターンは機密中の機密事項。運用には細心の注意を払っているし、暗号パターン自体も解読されないよう頻繁に変更している。そのためにわざわざ数学者を雇ったりもしているのだが、そこは今回の話にはあまり関係ないので割愛したい。
「委細承知いたしました。若の耳目として、身命を賭して働く所存にございます」
「任せた」
ハイドリヒは大丈夫だ。彼は頭も良いし、忠誠心も強い。寡黙な奴ではあるが、軍議に際してはきちんと発言も多い、仕事のできる男だ。これでもう少し笑顔が多ければ女受けも良いだろうに、ハイドリヒの奴はまったく笑わないから怖がられるばかりである。
今回の戦に関して、ハイドリヒの寄与分は非常に大きいのだし、戦が一段落したら良い相手でも見繕ってやるか、と頭の中のメモ帳に記しておく。これは決して死亡フラグなどではない。俺はそんなもの、信じてはいないのだ!
「メルケル。お前にはオストへーエン城に詰めてもらう。あそこは今回、改めて修繕と増改築を済ませた中でも特に重要な、東部領境地域の拠点となる城だ。防衛戦の得意なお前にそこを任せる」
「御意」
アレクサンダー・メルケル。今は病床に伏せっている我が父に長年仕えてきた知将だ。父の幼馴染でもあるが、俺との接点はあまりない。だがことあるごとに父からその名前と武勇を聞かされて育ったので、俺が一方的に彼のことを知っている感じだ。
まあ、オストへーエン城は俺が手ずから整備した難攻不落の要塞だ。よほどヘマをしない限りは凡人でも城を守りきれるように設計してあるので、たとえ父から聞かされてきた評価が友人贔屓による過大評価だったとしても問題なく東部は持ち堪えられることだろう。
「ゼバス
「爺は若に頼りにされて、実に嬉しゅうございますぞ!」
以前も言ったが、この爺さんは軍事はイマイチでも内政をやらせたらピカイチのハイスペックジジイだ。ぶっちゃけ俺が内政を取り仕切るよりもよっぽどうまくやるので、正直悔しい思いがないと言えば嘘になる。
まあ、亀の甲より年の功と言うし、長年積みかねてきた経験やノウハウがあるがゆえの辣腕なんだろう。俺はこの老いぼれが天に召されるよりも前に、こいつから色々なことを学びとらねばならないのだ。正直、戦なんぞをやっている暇はない。
そこまで言って、俺は一同の顔を見回した。そして今日一番の大きな声で命令を下す。
「残りの者は俺について北へ進軍だ。早速明日にでも軍を動かすぞ。目標はイゼルローン伯爵家領都、領主の館だ!」
「「「はッ」」」
リントブルム領は大きくない。ゆえに四方から攻められては容易に滅んでしまいかねない。だからこそ俺は動く。動いて、戦って、勝ち進んで、もってして
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます