軍略のリントブルム
常石 及
第1話 群雄割拠
先代国王が跡継ぎを残さず崩御してより数十年。一時は大陸のほとんどを版図に収め、世界中に覇を唱えたロムルス王国の玉座は空席のまま、既に四半世紀が過ぎようとしていた。広大な国土は荒れに荒れ、独立した群雄が割拠する戦乱の時代。初めのうちは王不在の中で権勢を振るっていた宰相も、今では名ばかりの存在となって久しい。
形骸化した政府と、各地で我が物顔に振る舞う諸侯ら。世はまさに戦国時代の様相を呈していた。
*
領都リントブルクから東に馬で数十分の距離にある、小高い山の頂上付近。木々の生い茂る中に一ヶ所だけぽっかりと開けた場所がある。そこに築かれた石塁の上に寝転がった俺は、何をするでもなくぼんやりと空を見上げていた。
「地上はこんなにも荒れ果てているってのに、空はいつも綺麗だな」
ほんの数ヶ月間ほど前の話だ。西隣の領主が南西の大領主、シュランゲ侯爵に攻められて滅んだという情報が入ってきた。隣の領主とはそこそこ仲良くやっていただけに衝撃は相当なもので、我がリントブルム家の当主たる父はショックで病に臥せってしまったくらいだ。
おかげで長男である俺が領政を引き継ぐことになったのだが、それはまだいい。曲がりなりにも貴族教育は受けてきた身だし、教育係の講師から課されるペーパーテストだって別に苦手というほどではなかった。
問題なのは、趣味の城造りが以前よりもなかなかできなくなってしまったということだ。俺、ジークフリート・フォン・リントブルムは築城の天才である。世間一般からどう評価されているかは知らないが、少なくともいつも俺を支えてくれる従者がそう言ってくれたので俺の中ではそういうことになっている。
城を好きになったきっかけが何だったかまでは、あまり覚えていない。たぶん実家の書庫とかで見かけた兵法書とか築城の指南書とか、そんなのの影響だろう。だが物心ついた頃には俺はもう城郭というものに魅入られていて、そしてその「好き」を実行に移せるだけの力が俺にはあった。
その力というのが、桁外れに膨大な魔力だ。俺は攻撃魔法となるとてんで駄目なのだが、工学魔法――――それも特に土木工事系統の魔法になってくると、途端に才能を発揮する。
魔法に目覚めた幼少期。庭で土弄りをしていたら、夕方には見回りの衛兵が腰を抜かすような立派な砂の城を完成させていた。
少年期。秘密基地を作ると言い出した俺は家臣の子供ら……俺の幼馴染達を連れ出して、近所の森にそれはそれは立派な木組の砦を作り上げた。
俺の暴走は留まるところを知らない。実家が伯爵家だったというのもまた大きく、五年ほど前からは父に兵を少し借り受けて、友人らと一緒についに本物の城の建築に取り掛かり始めた。最初のうちはうまくいかなかったが、領内中の資料を読み漁って築城のなんたるかを学び、実際に職人らに話を聞いて回って城造りに精を出した甲斐あって、一四の歳の暮れぐらいには最初の「城」と呼べるだけの城が完成していた。
そんな、山の中で木と土と石に囲まれて幼少期を過ごした俺である。周りの家臣達からは城造りへの情熱を(才能を、ではない。城の真価は戦になってみないとわからないからな!)認められつつも、変人として扱われることの多くなった俺は、余計に城造りに没頭することになった。今造っているのも、これで一五城目の城である。造りすぎではないかと呆れられるかもしれないが、これだけ短い期間に一五も城を建てたことの凄さだけは評価してもらいたいものだ。
今回の城も、ついさっきようやく石塁の整備が完了したところで、あとは基礎の上に城本体をでんと乗っけるだけなので、楽なものである。
最近、旧王都のほうで開発されたという「石垣」なる技術を耳にして、つい居ても立っても居られなくなって作ってみたのだが、これが思いの外うまくいかなくて工事が難航したのだ。この地域に限らず、城の土台は土を盛って堀と壁を形成する「土塁」と呼ばれるものが基本である。参考にすべきものがどこにもない状況で自分なりに試行錯誤してみたが、何とか形になるまでにかなりの時間を要してしまった。おかげで随分と疲れてしまったが、楽しかったので結果オーライだ。
「少し腹が減ったな」
まさかここまで時間がかかるとは思っていなかったので、あいにくと軽食の類は持ってきてはいない。最近は有り余る魔力を活かして一人で築城作業を進めることが多いので、友人や兵の誰かから飯を分けてもらうということもできないのだ。はてさてどうしようかと考え、結局ないものは仕方ないのだから帰って飯にしようという結論に至り、疲れて重たい身体を起こそうとしたその時。
「ジーク様ぁー!」
遠くのほうから俺を呼ぶ声が聞こえてきた。この声は……従者のマリアだ。
「ジーク様、そのようなところで居眠りをされてはお身体に障ります。ジーク様はリントブルム家の跡取りなのですから、大事があってはなりません」
「マリア。なんだよ、いいだろ? たまの休みくらい好きにさせてくれよ」
夏の盛りもようやく過ぎ去り、穏やかな秋の風が感じられるようになった時期だ。土木作業で汗をかいたせいか、やや肌寒さすら感じられる今日この頃だが、それでも俺が寝転がっていたのは簡単な話で、単に飯がなかったからである。飯があればあぐらでもかいて食っていたかもしれないが、飯がないのだから仕方のない話だ。俺はそこのマリアと違って別に狩りが得意なほうではないので、その辺の動物を仕留めて現地調達するということもできない。
というかそもそも武器を持ってきていない。この時期の熊は冬眠前に栄養を溜め込む必要があるので獰猛でたいへん危険だが、そもそも武器を持っていたところで太刀打ちできる相手ではないのだから意味がない。それなら俺は即席の要塞を作ってその中で助けが来るのを待つほうを選ぶ。弓も苦手だから空を飛ぶ鳥だって狙えないし、猪や鹿だって突進でもされたら一撃で俺は天国行きだ。自慢ではないが、運動神経に自信はない。
「マリア。飯持ってたりする?」
よっこらせと上体を起こし、短く切り揃えた
有能なマリアのことだ。俺が飯すらも持たずに築城に出かけたことくらい、すっかりお見通しだったというわけである。
「確かにここのところジーク様はたいへんお忙しくしておいででしたが、だからこそふとしたことで体調を崩されないか心配なのです。動いている時はともかく、休まれている間はせめて上着を羽織るなりなんなりしていただかないと……」
「わかったよ。まったく、マリアは心配性なんだから」
マリア・フォン・クラウゼヴィッツ、一六歳。彼女は俺の近臣で、うちの実家であるリントブルム伯爵家に祖父の代から仕えているクラウゼヴィッツ子爵家の長女である。俺が七歳の時に顔を合わせて以来、かれこれ一〇年になる長い付き合いだ。
あれこれと口うるさいのが少し玉に瑕だが、それも俺のことを思ってのことらしいから主人として強くは言えない。まあ、気立てもよく健気で良い子である。そんな彼女のことが俺は嫌いではない。
「お父上が倒れられて以来、ジーク様はずっと働き詰めでしたから。過労が祟ってジーク様まで倒れてしまわれては、リントブルム伯爵家は一貫の終わりでございます」
「弟達や家宰のゼバスティアンだっているし、父上だって別に話ができないほど重体ってわけでもないんだ。数日くらいどうにかなるさ」
「ジーク様!」
マリアがぷんすかしだしたので、俺は白旗を上げることにした。
「わかった、わかったよ。おとなしく館に戻るよ」
降参した俺は起き上がって、連れてきた馬(特に繋ぐこともせず、ずっとその辺に放置していた。こいつは放っておいても勝手に逃げたりしない優秀な馬である)に跨る。マリアはというと、どうやらここまで歩いてきたらしい。領都からここまでは結構な距離があるというのに、随分と健脚なことだ。流石に女の子を歩かせて自分は馬に乗るというのはいくら俺が主人でもやはり外聞が悪いので、俺は手綱を引いて馬を先導しようとするマリアを呼び止めて手を差し出す。
「マリア。お前も乗れ」
「しかしジーク様。非常時でもないのに家臣の私が主君の馬にご一緒するというのは、いささか外聞が……」
「その主君の命だぞ。乗りなさい」
「ジーク様……わかりました」
畏れ多い、といった様子のマリアの手を掴み、俺は彼女を馬上に引き上げる。マリアの座る位置は俺の前だ。理由は簡単で、後ろだと彼女の小柄な体格の割には意外としっかりある女性的な部分が俺の背中に当たって、色々と困っちゃうからだ。流石に股座を膨らませたまま領都に凱旋など俺はしたくない。「勃っちゃま」なんて言われた日には恥ずかしくて死ねる自信がある。
ただでさえ城好きの変態うつけ者扱いされているのだ。これに加えて女好きの評判まで立ってしまっては、俺はもうこの領地でやっていけなくなるだろう。第一そうなってしまったら、俺は伯爵家の威光と経済力を背景とした趣味の城造りができなくなってしまうではないか。それは何としてでも避けたい未来である。俺の城への愛情は本物なのだ。
手綱はマリアが握っているので、手持ち無沙汰になってしまった俺は仕方なく彼女の肩に手を置く。両手で感じる小さな肩は随分と華奢だが、これでも彼女は俺よりよっぽど強かったりする。
マリアはシュナイダー流魔剣術の錬士、段位にして六段以上に相当する実力の持ち主である。彼女の年齢で錬士の階級に到達した人間は、広い大陸を見渡しても一〇人いるかどうかといったところだろう。マリアは小柄な体格からは想像もつかないくらいの、そのへんの魔物や暴漢なんか目じゃないほどに強い子なのだ。
ではなんでそんなに強いのかというと、理由は単純で「俺を守るため」である。マリアは俺の近臣だ。リントブルム伯爵家が嫡男ジークフリート直属の家臣にして、唯一の近衛である。彼女は生まれた時から俺の護衛として、また忠実な家臣として振る舞うことを義務付けられているのだ。だからマリアは年頃の乙女のくせして動きやすい男装姿だし、髪も戦いに不利な長髪ではなく凛々しいショートヘアである。
そんな自由のない環境に嫌気が差したりはしないのかと以前訊いたことがあるが、マリアはなんの疑問も持っていない様子で堂々と言ってのけたのだった。
「それが私の存在意義ですから」
この小柄な、一つ歳下の少女が何を考えているのか俺にはいまいちわからない。表情だってあんまり大きくは変化しないし、自分の欲望や本心を語ろうともしない。常に俺の半歩後ろを歩き、俺の話に耳を傾けてくれる忠良なる家臣だ。
「少し冷えてまいりましたね。お寒くはありませんか?」
「いや、大丈夫だ。それよりも帰ってから俺を待っている政務のことを思うと頭が痛くなる」
「それも御当主代理のお勤めでございますから、諦めてください」
「それはまあ、わかってるさ」
肩に手を乗せられたままのマリアが、上目遣いでこちらを振り返って諌めてくる。マリアはいつだって真面目だ。おかげで俺も助けられている部分は非常に大きいのだが、たまには何も考えないでぼんやりとしたい日もある。
そんなことを思いながらマリアの薄紫色の瞳を眺めていると、初秋の少し涼しい風が吹いて彼女の髪がふわりと舞い上がった。
女にしては短く、男にしては長い髪の先が俺の鼻をくすぐってくる。良い匂いがして少しだけ興奮してきたが、同時にむず痒さのせいでどうしようもなくくしゃみが出そうになった。
「へっくし」
「ほら、言ったじゃないですか! 今日はもうお風呂に入って暖かくしてください」
「いや、これは違くてだな」
「違いません」
戦火の絶えない乱世であるが、こんな穏やかなひと時が俺は割と好きだった。
*
我がリントブルム伯爵家の歴史は古い。かつて大陸を席巻したロムルス王国の初代国王は、王太子を除く自らの息子達を三つの家に分けた。世にいう御三家である。
その御三家もまた、長い歴史の中でいくつもの分家を生み、その中の支流の一つが我がリントブルム家の始祖――――ということになっているらしい。
「らしい」というのは、歴史が長すぎて本当のことかどうだか誰にもわからないからだ。そもそも御三家ができたのが今から一〇〇〇年近くも前の話であり、そこから分家して、さらにまた分家したのが四〇〇年以上も前の話である。
で、中央の出世街道から外れて地方に赴任し、そのまま土着化したのが我が家のご先祖様だったということらしい。そんなわけで、一応は俺もロムルス王家に連なる名門と言えなくもないわけだが、その程度の繋がりであれば旧ロムルス王国圏内の貴族ならかなりの数が当てはまるし、没落した者も含めたら数万人単位で血を引いている人間なんていることだろう。
何はともあれ、うちは辛うじて中堅どころの貴族をやっていけているし、そのおかげで俺はこうして今日も今日とて執務室で親父の代理で領政なんぞに勤しんでいるというわけだ。
「領内の畑はまずまずの状況……今年も収穫高は期待できそうだな」
「御当主様が始められた『二毛作』が、なかなかの効果を生んでいますね」
正面に立って書類をペラペラとめくりながらマリアが言う。彼女は武芸に秀でた護衛の身でありながら、こうして秘書のようなことまでやってのけるのだ。実に働き者で、常日頃から関心しちゃう俺である。
「牛馬に
「そちらはジーク様の功績でしたね。流石は御領主代理です」
「褒めても給料しか出ないぞ」
「それは素直に嬉しいですけど……良いのですか? 私ばかり優遇しては、他の家臣からの不満が出かねませんが」
「仕事をこなす奴には報いる。そうでない奴にはチャンスを与え、次に繋げさせる。どうしようもなければ適当に仕事を与えて可もなく不可もなくの状態のまま飼い殺す。それが領主に必要な采配術だと俺は父から学んだ」
そうやって、長男ではなかった父は領政改革を成し遂げて、周囲に自分を認めさせた。その父の息子なら、俺も何かしらの実績を上げなければ家臣達はついてはこないだろう。まあ、目の前の
「国王陛下が崩御なされてから二〇余年……。この辺りも最近は不穏になってきておりますし、こうしてジーク様が立派に舵取りをなさっているのはリントブルム領にとって数少ない僥倖でございますね」
「お前は俺の後見人か何かか?」
まったく、言っていることが完全に「祖父の代から仕えてきた忠臣の爺さん」である。年頃の女の子なんだから、もっと乙女チックな会話にでも花を咲かせれば良いものを。
「話は変わりますが」
「なんだ」
マリアが神妙な顔をして、一枚の紙を差し出してくる。
「これは……商人の往来の記録か? 例年と比べるとやけに数が少ないな……。収穫前のこの時期は色々と入り用だから、比較的流入量も多くなる筈なんだが」
「物価もわずかにではありますが上昇傾向にあるようです。どこぞの領地で飢饉が起こったという話も聞きませんし、何か良くないことが起こる前触れかもしれません」
言われてみれば、日用品の値段が微増しているように見受けられる。貴重品で嗜好品でもある砂糖の値段が上がるのはまだ理解できるが、塩の値段がここまで顕著に上がるのはなかなか見ない。
「見つけたのはお前か?」
「いえ、御用商人のカフマンという者です」
「発見した褒美を取らせろ。そこまで大金でなくても構わないが、礼はしっかりと伝えてほしい」
「わかりました。そのように申し伝えます」
「それとこの件はもう少し入念に調査したい。具体的には、密偵を送る」
「……どちらに?」
少し緊張を孕んだ声で、マリアが疑問を口にする。
「隣の領地、イゼルローンだ」
イゼルローンとは、うちの領地を流れる川の上流に位置する大きめの領地のことだ。統治しているのはイゼルローン伯爵という男で、彼と我が父の間には昔、諍いがあったという話を聞いたことがある。領内の人口だけなら我がリントブルム家には劣るが、山間部ゆえに面積はうちよりも広く、支配領域だけならうちの二倍近い。
それだけではない。かの領地には鉱山があるので、領内で鉄が豊富に採れるのだ。おかげでイゼルローンを狙った紛争はなかなか絶えない。ほんの数十年前にも、うちではない別の家と抗争をした記録が残っている。当時は王が存命だったから仕掛けたほうの相手は改易の憂き目にあったと聞いているが……果たして今回、もし戦が起こればそれを止める者はどこにもいないのだ。
「……何か一波乱ありそうな予感がするぞ」
「こういう時のジーク様の予感はよく当たりますから……。杞憂であることを祈りますが」
「本当にな」
もし何かあれば、対処に奔走するのは俺なのだ。俺がミスをすれば、領民全員が路頭に迷う可能性だってあるわけで。
「マリア、よく知らせてくれた。ひとまず今日の仕事はこれでおしまいだな。早急にこの問題の対処に取り組むことにする」
「かしこまりました。あとは私の代筆で構わないものだけでも進めておきます」
「よろしく頼む」
書類を抱えて退室するマリアの小さい尻を眺めながら俺は考える。
この一件、もしかしなくても戦に発展するかもしれない。争いの火種には事欠かない時代だ。これをきっかけに、この東部でも大きな戦乱が起こる可能性は決して低くないのだ。
そうなったら俺はどう動くべきか。考えることは山ほどありそうだ。
*
「ジーク様。こちらが密偵の持ち帰った情報になります。ご確認ください」
「ああ、ありがとう」
領主の館が一室。長机の置かれた会議室には、重々しい顔をした我がリントブルム家の家臣らが顔を並べている。先日の報告を受けて、これからどう動くかを決めるべく俺は家臣らを集めて軍略会議を開いていた。
俺の副官ポジションを確固たるものにしているマリアが、俺に渡した資料と同じものを他の家臣らにも回す。一礼して受け取る家臣達。それを横目に、俺はマリアの淹れてくれた紅茶を啜りながらじっくりと目を通す。隣のイゼルローン領内の主要品目の物価変動記録や、検問の強化度合い、鍛冶屋への発注数、穀物の推定収穫量などなど。これらが示しているのは間違いなく戦の前準備が行われているという事実である。
しかもその戦の相手となるのは、間違いなく我がリントブルム家だ。兵糧や武器の保管場所を見れば一発でわかる。これは南側に向けて大規模な動員をかけるための前準備だ。
「続いてこれを」
同じく渡された資料。今度は我がリントブルム領内の関所の通行記録だった。
「東側からの流入が極端に多い……。しかもそいつらが塩と薪、それから鉄を買い漁っている」
「穀物の類もですな。どうやら東側が怪しいようだ」
「となると、怪しいのはベルリ家とザクセン家か」
家臣らが気付いたことをそれぞれ口にしあっている。目の付け所が良いようで、当主代理としては嬉しく思うばかりだ。
我がリントブルム伯爵家は旧ロムルス王国南東の内陸部に位置する、比較的小規模な範囲を所領としている。北には長年因縁のあるイゼルローン伯爵領が、そして東の国境沿いには一応仮想的であるベルリ伯爵家とザクセン伯爵家が所領を構えていた。
今回動いているのはどうやらこの二つの伯爵家であるらしい。おおかた、接している東の他国から資金援助でも受けて、西にいる俺達の所領を掠め取りにでも来るつもりなのだろう。そうなればこの東部一帯は隣国の傀儡一直線だ。肥沃な穀倉地帯でもあるこの東部を押さえられたら、かつては大陸を席巻した旧ロムルス王国の再興になどもう二度と手は届くまい。
先王が崩御したのは俺が生まれるよりも何年も前の話なので、俺は別に旧王家に対して特別な感情を抱いてはいない。だが一応は俺にも郷土愛のような感情はあるわけで、乱世にあるとはいえ己の祖国が他国に踏み荒らされるのを指を咥えて見ていたいかと言われたら「否」と答える自信がある。
何より、そうなったらここリントブルム伯爵領は他国の支配下に置かれることとなるのだ。まず間違いなく領民の生活は今より悪くなるだろうし、領主の我がリントブルム家は当然取り潰し。俺は良くて修道院送りで、最悪の場合は処刑台の上だろう。マリアの実家、クラウゼヴィッツ子爵家も似たような命運を辿るはずだ。マリアは可愛いからこの地を収める敵貴族の愛妾くらいのポジションには収まれるかもしれないが、それを受け入れる彼女ではない。俺への忠義に熱いマリアのことだから、きっと隠し持った短刀で己の喉を掻き切って死ぬ道を選ぶだろう。
――――当たり前だが、断じて許容できる話ではない。
「挙兵する」
「どちらに?」
俺がそう言うのを見越していたのか、驚いた様子もなく訊ねてくるマリア。俺は机の引き出しから東部の地図を取り出して広げると、ビシッと一点を指差して断言した。
「イゼルローン伯爵領だ。かの家とは父の代から確執があるが、他国の脅威が迫っている中にあって隣同士で争っている場合ではないだろう。本格的に東の他国が攻めてくる前に、まずはこの東部を固めておく必要がある」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
すると突然の決定に驚いた一人の男が声を上げた。彼の名はヨーゼフ・ヴァルター。家臣団の中でも比較的歴史の長いヴァルター家の若き嫡男で、俺より五つほど年上の幼馴染である。直情的で義に厚いと言えば聞こえはいいが、実態はむさ苦しくてうるさいだけの馬鹿だ。ただまあ、悪い奴ではない。
「若、いま北と揉め事を起こしてどうすんだ? その隙に東のベルリ家かザクセン家に攻められでもしたら、目も当てられねーぜ?」
「その北のイゼルローンが、ベルリとザクセンに
「そ、それはそうかもだけどよ……。で、でもやっぱり戦は良くねえよ! こっちから攻めるとなっちゃ、それなりに多くの兵が必要だろ? うちのほうが兵の数は多いって言っても、そこまで差があるわけじゃねえぞ」
「攻撃三倍の法則、とも言いますからな。実際、我が方の兵はイゼルローンの三倍もおりませぬ。となればやはり若お得意の城に立て籠り、籠城戦を選ぶのがよろしいかと」
老臣の爺さん(家宰のゼバスティアンだ)がヨーゼフに呼応してウンウンと頷いている。この爺さんは内政をやらせたらピカイチの手腕を発揮するハイスペックジジイなのだが、軍略となると途端にポンコツと化す不思議な御仁なのだ。つまり逆説的に、籠城戦は愚策であると断言できる。おかげで態度を決めかねている他の家臣達が少しずつ積極攻勢に傾きつつあるほどだ。本人的には意図していないだろうが、ナイス助っ人である。
「……幸い今は収穫期。やや南寄りで平野部の多い我がリントブルム家は既に大部分の収穫を終えていますが、山がちで北寄りのイゼルローン領はまだ収穫期の真っ只中。戦の準備と収穫が終わるまで向こうは大規模な兵の動員はできないでしょうから、それを踏まえれば期間限定で兵力差が三倍を上回るとジーク様はお考えなのですね?」
「その通りだ、マリア。賢い子は好きだぞ」
「っ……おっ、お褒めに与り光栄にございます」
不意打ちでベタ褒めを喰らったマリアが頬と耳を真っ赤に染めて恐縮しだした。こいつは昔から俺が褒めるとなぜかは知らないが異常なほどに喜ぶので、褒め甲斐があって実に楽しい。他の人間に褒められても割とクールに受け流しているので、やはり忠誠心が強いことの現れなんだろうか。
閑話休題。話を軍議に戻すとする。
「つまりだ。マリアが言ってくれた通り、まさに今が攻め時ということになる」
理解の早い者達が「なるほど」と頷いている。十を説明せずともきちんと理解し、そしてこちらの意の通りに動いてくれる部下がいることのなんたる僥倖か。むろん、そうでない者も言葉を尽くせば理解してくれる。腹の中に謀反の心を抱えていない限りは、人間そう誤った選択をするものでもない。
「なるほど……、理屈にゃ納得がいった。だが、やっぱり戦は不安だぜ。いざ戦になったらオレは全力で戦って若をお守りする所存だが、万が一ってこともある。若と、このリントブルム領を危険に晒す真似に加担はしたくねえよ」
どこまでいっても真っ直ぐなヨーゼフが、それでもと食い下がる。彼は俺を思ってあえて反対役を買って出ているのだ。事前に示し合わせていなくとも、俺にはきちんと伝わっている。
「ヨーゼフ。お前の心配ももっともだ。確かに何の準備も無しに北進しては、東のベルリ家とザクセン家に背後を突かれて終わるだけだと俺も思う。……ゆえに北進を完遂するには、奴らを欺くことが肝要となる」
「……もしや、両家と同盟を結ばれるおつもりですか⁉︎」
家臣の一人が立ち上がって叫んだ。その顔には驚愕と戦慄が浮かんでいる。
「そのつもりだ」
俺の見立てでは、近いうちに東のどちらかの家からか同盟の打診があると踏んでいる。
当然、罠だ。西のリントブルム家とイゼルローン家が争って両家ともに力が落ちたところを、連合したベルリ家とザクセン家が不意打ちして漁夫の利を得るという筋書きだろう。当然その背後には隣国がおり、真の意味で勝者となるのは隣国の王という流れである。
それじゃあつまらない。
「向こうが同盟の打診をしてからこちらが応じ、イゼルローンと戦を始めるまでには、収穫後であることを考慮に入れても数週間は掛かる。その隙にベルリ家とザクセン家は挙兵の準備を進めて兵を動員する計画なんだろうが――――俺達はその裏をかくぞ」
そこで俺は全員を見回して命令を下す。
「ゼバス爺さん、収穫後の徴税に偽装して兵糧と武具、
「御意にございまする」
「ヨーゼフ、騎馬隊の動員はお前に任せた。いつでも進軍できる準備を整える。お得意の騎馬弓兵の力を発揮する覚悟を決めておいてくれ」
「わかったぜ、若!」
「マリア。俺は東と北の城郭を今一度整備し、戦の作戦を考える。
「は、仰せのままに」
「各々、戦の準備にかかられよ。だが絶対に悟られてはならん。……東から同盟の打診が入り次第、間髪を入れずに動くぞ!」
「「「はッ」」」
声を揃えて頭を下げる家臣達。彼らの目には闘志と郷土愛の炎が強く灯っている。思えば、これが父から政権を引き継いで初めての戦となるわけだ。俺が陣頭指揮を取ることで、カリスマ指導者であった父に見劣りしないか心配だったが……この分なら問題なさそうだな。
軍略会議がお開きになり、早速家臣らが準備に取り掛かるべくいそいそと会議室を後にする。その様子を眺めながら、マリアが小さく呟いた。
「……流石はジーク様。お見事にございます!」
「内心じゃあ説得しきれるか、冷や冷やだったよ。さっきの助け舟は本当に助かった」
「私にできることといえば、ジーク様のお考えを汲み取って皆にわかりやすく伝えることくらいですから」
「それができるのが凄いんだ。マリア、これからも頼りにしてるぞ」
「か、買いかぶりでございます……」
*
――――ロムルス歴一〇五三年。
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