第5話




「そこを開けてくださいませ」


「妃殿下…!?何故このような場所に…あぁ、いえ、こちらは許可を得た者以外立ち入り禁止にございます!どうかお引き取りを…」


「まだ正式な婚姻を結んでいない私に敬称は不要です。


 そしてここに立ち入る許可は王妃様より頂いておりますわ」




目配せされた侍女が取り出したのは、紛れもない王妃からの許可証だった。


リーリエをここから遠ざけたのは王太子ソレイユだが、その母である王妃がよしとするならば逆らうことはできない。


とはいえ遠ざけている理由を知る兵士は迷い、確認も兼ねて上官に問い合わせようとするがそれを制止したのは常よりも硬いリーリエの声だった。




「私はソレイユ様ではなく王妃様よりこの牢にいる者について聞き、立ち入る許可をいただいたのです。


 そしてソレイユ様のいない時にやってきました。この意味がわかりませんか?」


「…しかし…」




上官に伝えれば時間がかかり、その間にソレイユまで伝わるだろう。


迅速に内密に事を済ませたいのだと告げられた兵士はそれでも数秒悩んだが…王妃であるジャネットが許可をしたのなら何か目的があり、それはきっと問題がない事なのだろうと判断し歩みを留める為の槍を降ろした。




「時間はそうかかりませんし、後ろからついてきても構いません。


 そして私をゾンヌに仇なす者であると判断したその時は躊躇わずその槍で心の臓を突きなさい」




社交の場で履くものよりも低い、けれどその分しっかりとした踵の靴は劣化し凹凸の目立つ石造りの床でコツ、コツと硬い音を立てる。


ゾンヌとブラン両国一人ずつ、計二人の侍女だけを連れたリーリエはゆったりと歩を進め最奥の格子の前に立った。




「…ビゴット・デュラン」


「はっ」




気配で訪れを察知していたのだろう、リーリエがその名を呼ぶよりも先に格子の向こう側の男…ビゴットは忠誠を誓う騎士として跪いていた。


自分よりも大きな体格が小さく屈んでいる、王族である事から見慣れている光景ではあったがリーリエはそれをひどく滑稽に感じ眉を寄せる。


聞いた話では既に騎士団はもとよりデュラン家からの除籍も伝えられている筈だ。


一平民に落とされているというのに何も変わらない、騎士のまま現実を認識しようとしないビゴットの姿はリーリエの心をこの上なく冷やしていく。




「私が誰かわかりますか?」


「はっ、栄光のブラン王国に輝く星、リーリエ・エトワイレ・ド・ブラン王女殿下にあらせられます!」




確かにソレイユとはまだ婚約関係である為ビゴットの言は正しい。


しかし、ついこの間まではブラン王国の王女ではなくビゴットの妻、リーリエ・エトワイレ・デュランだった筈だ。


神に誓い国にも認められた正式な夫婦だったというのに、そんな事実は元からなかったか狂気混じりの忠義が消し去ってしまったのだろう。


自分が過ごしてきた時間は一体なんだったのか…何度感じても、心を決めたとしても虚しさを感じずにはいられない。




(…このまま忠義に殉じるのは、この人にとって本望なのでしょうね)




ソレイユがいくら情報を規制し遠ざけたとしても万全ではない。


リーリエはジャネットからビゴットの捕縛と勾留、そして秘密裡に処理される事を聞いた。


罪を犯した者が裁かれるのは当然であり、生家であるブラン王家を侮辱しゾンヌの民を傷つけたビゴットを庇うつもりはない。もし万が一にも庇おうとすればリーリエの立場も危うくなりソレイユとの関係にも亀裂が入る事になるだろう。




だが、このまま処刑されてもビゴットは罪を自覚しない事をリーリエはうっすらと感じていた。


たとえ内々ではなくゾンヌの万民の前で処されたとしても王命を果たす為に必要な死なのだ、これはゾンヌによる一方的な断罪だと思い込んで死んでいく…黴臭く不衛生な牢屋の中でも真っすぐに輝く目が、その事をありありと予感させる。




リーリエは話を聞き、ここに来るまでずっと悩んでいた。


あと数日で散るだろうその命の在り方を、どうしてやるべきか。




最後まで信念と忠義で飾らせてやるのが、その忠義を受けてきた王族として…かつての伴侶としての情けだろう。




だが、




「……其方の不忠のせいです」


「はっ…は、?」


「私を守り切らなかった其方の不忠が、私を祖国から引き離したのです。


 父と母、兄達と共にブランで暮らす事叶わず、たとえ死したとしても私の魂は永劫この国に縛り付けられる。


 全て貴方の不忠が、貴方が、悪い。


 貴方のどこが騎士です。私を、王女を傷つけておいて、何が騎士です、恥をしりな…さっ…」




震える声はとうとう最後までは言えなかった。


己の意思とは違う…ただ目の前の男を傷つける為だけに、滅茶苦茶な嘘を口にできてしまう自分の卑しさに耐え切れずポロポロと涙を零すリーリエ。




そんな姿にビゴットは目を見開き、王女殿下と叫んだ。


痛々しいものを見るような悲痛なその表情がやがて自分の罪を認識し、より深い絶望へと変わっていく。


牢を守っていた兵士は万が一に備え後ろに控えつつ、望まぬ婚姻だったと言わんばかりのリーリエの言葉に表情を硬くしたが、その横に立つゾンヌ国側の侍女が小さく首を振るのを見、頷いた。


勿論それだけで全ての事情を察する事など不可能だが、これまでけして揺らぐ事のなかったビゴットの騎士然とした表情が崩れた事でリーリエの目的を朧気ながら理解する。




リーリエはビゴットを、幻想から引きずり下ろし罪を背負わせる為にきたのだ、と。




「……ゾンヌ王家のしきたりにより、余所者の私は明日王太子殿下と夜を過ごします


 正式な婚姻も結ばぬ内に、祖国へ逃げ帰る事ができぬようにするために。其方のせいで」




勿論ゾンヌ王家にそんなしきたりはない。


婚約期間で仲を深め、他国と同じように正式な婚姻を結んだのち初夜を迎えるのが常識だ。


しかしその常識をも消し去る狂気がこの男の中にあることを、リーリエは知っている。




「明日の夜、私はこの身を穢されるのです


 生涯閉じ込められる後宮で、尊厳も何もかも踏みにじられて…」




リーリエはそれ以上何も言うことはなかった。


ただ、唇をかみ、屈辱に震えるような顔をして俯き、ビゴットの前から去った。


ビゴットは慟哭もせずただ王女の言葉を飲み込み…やがて、表情を硬く引き締める。その目は宝石のように力強く輝き、爛々と見開かれていた。










「…明日の昼、食事を入れた後は鍵をしないように」


「は…?」


「既に国王陛下と王妃殿下には許可をいただき、ソレイユ様にもこれから全て説明するので貴方はその指示に従ってください」


「は…了解いたしました!」


「…貴方は、勤めて何年になるのかしら」




リーリエは実直な兵士にまっすぐ問いかけた。




「訓練校を卒業してすぐ見習いとして王宮に入り、その見習い期間を含めれば二十年ほどになります」


「他の仕事に就く考えはなかったのですか?」


「父が同様に兵士として務めております。


 その姿を見て育った私にとってこの任は幼い頃からの夢であり、何よりの誉です」


「…彼も、かつてはそう思っていたのかしら」




硬く強張っていたリーリエの表情が揺らぐ。


既に彼の名誉なき死は始まってしまった。覚悟をして踏み出したが、それでも後悔が一切ないとは言えない。




王家を守護し、盲目なれど忠誠を誓った者を屠る…ましてやそれがかつての伴侶となれば様々な思いが湧きあがり、せめぎ合うのは当然だった。




過去を見ているようなどこか切なさを秘めたリーリエの表情に兵士は目を伏せ、口を開く。




「忠誠は信仰に等しいと聞いた事があります。


 そして信仰は時に毒だとも……あの者はきっとその毒を飲んだのでしょう」


「毒…そうね、毒を飲んだのかもしれないわ」




リーリエはその言葉にようやく口元を緩め、牢を後にした。


ソレイユへ説明をし、夜までに王族居住エリアの封鎖を完成させなければならない。


たとえそれが非道であろうと定めた道を進むリーリエを、兵士は最上級の礼で送った。














その翌日、平民ビゴットは牢を出た所で捕らえられた。




ブラン王家への侮辱となる王命の偽称罪、またゾンヌでの傷害罪が重なった上に脱走した事で一切の改心がないとされ、王族立会の元で処刑される事となった。


翌日引き立てられた処刑場でビゴットはリーリエが王族席に座っているのを目にし、大声で謝罪を繰り返したが彼女は何の反応も見せることなく無表情で彼を見下ろした。


その表情がビゴットにどう見えたのかはわからない。


だが、身命を賭して守るべき存在を守れないまま無様に死んでいくしかない己を実感し絶望したビゴットは半狂乱になり暴れたが、数人がかりで押さえつけられなす術ないまま裁きの刃が落とされた。




誇りも名誉もない、満足とは程遠い死に様だった。














ゾンヌ王国は二人の婚姻以降ブラン王国との友好をより密にし、互いの特性を引き立て合いながら発展を続けた。


様々な素材の輸出で外貨を稼ぎつつブランと共同開発した魔道具により国内の治安維持を強化したソレイユ王は後の世で稀代の名王と評され、彼が唯一と定めたリーリエ妃は美しさと聡明さから民に愛され、ジャネット王太后を上回ったとも言われている。




しかし、そんなリーリエ妃がかつてブラン王国貴族と婚姻を結んでいた事は、歴史書でもごく一部にしか記されていない。


あらゆる歴史家が調査に乗り出したが、その夫となった貴族の名はおろかや子の有無、別れた原因など一切がまるで消しゴムで消し去ったかのように読み解く事はできなかった。


妃を深く愛していたソレイユ王、あるいは妹を気にかけていたブラン王国のロータス王。そのいずれかが故意に消し去ったのだろうというのが通説だ。




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とある王女の離縁、そして再婚。 氷下魚 @komai_0815

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