第63話 謀略

「あはぁ。大変ですねぇ、ツァルトさん。武断派に押しつぶされそうじゃないですか」


 ヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべるアルマンド。

 彼の言う通り、窮地にいるツァルトは怒鳴りつけても不思議ではないのだが、苦笑いを浮かべるばかりである。


 アルマンドがそういった他人の神経を逆なでするような男であることは昔から分かっていることだ。

 まあ、腹が立たないと言えば嘘になるが。


「そう言ってくれるんだったら、君が友愛派に入ってくれて力を貸してもらえると助かるんだけどね」

「いやいや、私などの力なんて必要ないでしょう。ツァルトさんの能力は高いですから」

「よく言うよ」


 期待していない誘いだ。

 いわば、挨拶みたいなものだった。


 アルマンドの断り文句もこちらを煽っているように感じられるが、いちいちこの程度で苦言を呈していれば、彼と話すことは不可能である。


「それにしても、武断派は凄いですねぇ。魔族にあれほど巨額の賠償金を支払っておきながら、まだ元気だ。友愛派の勢力をゴリゴリ削っているようではないですか」

「情報を売ったのが僕たちだってばれたようだから、一気に押し切られそうだね。もともと、弱小勢力だから、抗うことすらままならない」


 最初に、アルマンドが大変だと言った。

 まさに、その通りである。


 現在、ツァルトがトップを務める友愛派は、帝国最大派閥である武断派によって押しつぶされようとしていた。

 魔都襲撃での失態で勢力と求心力が衰えてもなお、である。


 武断派には多数の敵対派閥があり、まだ情報を売ったのが特定されていない時期は大丈夫だった。

 その分、戦力も攻撃も分散されていたからだ。


 しかし、友愛派が犯人だと気付いてからは、みるみるうちに友愛派は損耗させられていった。

 もはや、風前の灯である。


「普通だったら、武断派の勢力が縮小してもおかしくないんだけどね。さすがはノービレといったところかな」


 そう言って、正しくないと自分で判断するツァルト。

 武断派は確かに縮小している。


 しかし、それを立て直し、友愛派への報復に動き出しているのは、ひとえに頭目であるノービレの高い能力ゆえにだ。

 おそらく、ノービレがトップでなければ、武断派はさらに名声を落としていたことだろう。


「彼女はまさしく英雄ですよ。女性で若くなければ、今頃帝国を手中に収めていても不思議ではありません」

「女性、ね。性別なんて本当にどうでもいいことなんだけど」


 帝国は、男社会である。

 ノービレは最大勢力のトップに上り詰めているが、それは彼女が特別優秀で血を吐くような努力を続けてきたからである。


 他の女は、社会的な要職には務めていないのが実情だ。

 ツァルトは、それを愚かなことだと思っている。


 優秀な人間が上に立てばいいのだ。

 そこに、男も女も関係ない。


「おや。帝国人にもかかわらず、ツァルトさんはそのような考え方なんですね」

「平和を齎してくれるのであれば、それが男であろうが女であろうが構わないよ」


 重要なのは、ツァルトの望む平和な世界を作り出してくれるかどうか。

 もし、ノービレが友愛派にいれば、ツァルトはトップに就こうとは微塵も考えず、献身的に彼女を支える人生を送っていただろう。


「しかし、魔族に情報を流したのは悪手だったかもしれませんねぇ。確かに武断派の勢力は衰退し、帝国統一を成し遂げられるのがかなり遅れることになるでしょう。これからの勢力争いでは、苦戦を強いられることにもなる。しかし……友愛派もまた消滅しています」

「ああ、それは困るんだよね。別に、友愛派が帝国を治める必要はまったくないし、僕もそれを望んでいるわけではないんだけど……殺されるのは困る。だから、抗わせてもらうよ」


 世界が平和になれば、自分が死んでもいい……なんてことは思えない。

 その平和な世界を謳歌するために、ツァルトは尽力しているのだから。


 武断派に殺されるわけにはいかないのである。

 この言葉に、怪訝そうに顔を歪めたのがアルマンドだ。


「……抗う? 失礼ながら、友愛派に武断派とやりあえる力はありませんよねぇ? もともとが弱小。武力も大したことがないからこそ、ここまで押し込まれているのでは?」

「はっきり言うね。まあ、その通りなんだけど」


 苦笑いするツァルト。

 怒ってもいいのだろうが、しかしアルマンドの言っていることは事実だ。


 友愛派は、武断派に抗えるほどの戦力は有していない。

 そもそも、軍人にシンパが多く、最大派閥である武断派に抗える勢力自体がほとんどないのだが。


 ツァルトは歩き出す。

 アルマンドは疑問が解消されず、困惑に顔を染めてその後に続く。


「君の言う通り、友愛派には有力な戦士はいない。その分、文官にはそれなりにいるんだけどね。まあ、それは仕方ないさ。軍人や力に自信があれば、いずれ武力が必要なくなる世界を目指す僕たちの元に来るはずもないからね」

「では、どのように? 申し訳ありませんが、私が力を貸すことはできませんよ?」


 泥船に乗るつもりはない。

 もっと楽しい世界を謳歌しなければならないのだから、死ぬわけにはいかないのだ。


 ヘラヘラと笑いながら言うが……。


「そもそも、君って別に強くないじゃん。いらない」

「…………」


 むすっと顔を不機嫌に染めるアルマンド。

 確かに、戦闘能力に優れているわけではないが、直接言われると腹立たしい。


「ちゃんと対策は立てているさ。じゃないと、僕がこんな余裕を見せているのもおかしいだろう?」


 そう言って、ツァルトは扉の前で立ち止まり、笑顔を見せた。

 柔和な笑みだ。


 しかし、アルマンドはこの扉からにじみ出てくる、底冷えするような冷たい雰囲気に、顔を歪めた。

 恐怖ではない。


 これは、歓喜だ。


「(なんだ……。お坊ちゃんかと思っていましたが、さすが激しい勢力争いを生き残った男。ただの優男のはずがありませんよねぇ)」


 まだだ。

 まだ、判断はできない。


 しかし、ツァルトの下につくのも、また面白いかもしれない。

 そう思うアルマンドであった。


「これは、君への信頼のために見せるんだ。そのことを覚えていてね」


 そんな彼の考えを見透かすように、ツァルトは笑って扉を開く。

 中は薄暗く、そして恐ろしいほどに冷えていた。


 ただ気温が低いというよりも、暖かなものが一切ない無機質な部屋だから、という理由が大きいだろう。

 なにせ、広い部屋は石がむき出しになっており、カーペットや壁紙は一切ない。


 そして、極めつけに、広い部屋には【たった一つ】のものしか置かれていないからだ。

 それを見て、アルマンドは笑みを浮かべず、無表情でそれを見上げる。


「……彼女は?」

「とても強い子だよ。少なくとも、僕や君なんかより、はるかにね」

「たった一人で、武断派を相手にできると?」

「できるさ。なにせ、彼女は……」


 ツァルトは、普段の柔和なものではなく、悪意に満ちた笑みを浮かべた。


「――――――勇者なんだからね」



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第2章、完結です。

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