第57話 復讐
300年前のメドラという男は、ごくごく普通の人間だった。
村で過ごし、農作業をして一日を終える。
そのことに不満を抱かないわけではなかったが、特別贅沢はできなかったが、基本的には不自由なく生きていくことができるため、大きく生活を変えようとは思わないような男だった。
村人たちとの関係も悪くない。
頼り、頼られ、そつなく生きていく。
友人もいたし、恋人と呼べる女性も同じ村で見つけることができた。
そして、愛を育んだ彼女とは結婚をした。
子供も生まれ、順風満帆だった。
他人から見れば、あまりにも平凡な日常だったかもしれない。
しかし、メドラはこの幸福こそが、人生で最も得難く大切なものなのだと考えていた。
愛する人と一緒に、自分たちの血を継ぐ者がすくすくと成長していく様を見るのは、それだけで幸せだった。
「あ、あ……」
だから、その幸せがこんなにもあっさりと、理不尽に破壊されるものだと、彼は知らなかった。
街へ農作物を下ろしに行ったメドラが帰ってきて見たものは、燃え盛る村だった。
焼死体となって転がっているのは、今日もふざけあった友人ではないか?
何か巨大なものにかみつかれてはらわたを失っているのは、自分の両親ではないか?
そして……。
「あああああああああああああ!!」
丸焦げになった小さな子供と、それを守るようにして焼け死んだ女の死体は、自分の……。
メドラの目が空へと向かう。
遠く離れた空に、かすかではあるが確かに見た。
悠々と空を飛び、不遜にも我が物顔で去っていく複数のドラゴンを。
「ドラゴン……! お前らか……お前らがこの村を……!!」
燃え盛る炎は、ドラゴンのブレス。
噛み砕かれた死体は、ドラゴンの牙。
上半身と下半身を切り裂かれたのは、ドラゴンの爪。
災厄と称される最強の魔物。
彼らの気分一つで、人間は今回のように容易く蹂躙される。
力のない者は、ただ震えて膝を抱えるしかない。
メドラもそうだ。
戦う力なんて微塵もない。
もし、ドラゴンの襲撃があったときに村にいたとしても、妻や子供を逃がすことすらできず、ただ死体が一つ増えていただけだろう。
そんな圧倒的な力の差を知りつつも、なおメドラはドラゴンを睨みつけた。
多くの者は諦めるだろう。
天災と同じく、仕方のないことだったと自分を慰め、そして忘れていくだろう。
しかし、メドラは少数の……強烈な怒りと恨みを抱いた側の男だった。
「絶対に許さねえ。お前らを、皆殺しにしてやる!!」
血涙を流し、ドラゴンを睨みつける。
メドラはその光景を、生涯忘れることはなかった。
それから、彼は復讐を果たすための力をつける旅を始めた。
農作業しかしてこなかった男だ。
最初は、弱い魔物にもボコボコにされていた。
だが、彼は決してあきらめることなく、何度も同じことを繰り返し……着実に力をつけていった。
そして、そんな彼の元には、いつしか仲間が集まっていた。
まだ、ドラゴンの猛威が現代よりも振るわれていた時代。
ドラゴンによって故郷を焼かれ、大切な者が食い殺されるといったことも、そう珍しくはなかった。
それゆえに、メドラのように心を折らず、ドラゴンに復讐をせんとする者も、数は少ないが存在した。
人は、個々の能力だとドラゴンにひどく劣る。
しかし、団結して協力することによって、上位個体を圧倒することができる種族だ。
次々に増えていく仲間たち。
妻と子供を殺されてから、人間らしい生活も感情も捨てていたメドラであったが、彼らと行動するときは、人間らしい感性を取り戻すことができた。
そして……。
「……もう、十分だろう。ドラゴンを、殺すぞ」
自分たちの村を焼いたドラゴンたちを特定した復讐者の一団は、ついに反撃を開始する。
そのドラゴンたちは、高位の個体ではなかった。
だからこそ、通常は群れないにもかかわらず、群れを作って行動していた。
それが厄介である。
もし、一体一体個別に行動していれば、彼ら復讐者の一団は数で押して圧殺することができただろう。
しかし、だからと言って彼らが復讐を止めることはない。
ドラゴンたちは、ろくに反撃すら受けたことがなかったゆえに、人間のことを侮っていた。
見張りを立てることもなく、夜になれば全員が寝静まっていた。
『に、人間が襲ってきた!?』
油断していたからこそ、メドラたちの夜襲に大きな混乱が発生する。
人間を侮り、構えすらしていなかった寝ぼけ眼のドラゴンたち。
一方で、復讐を果たすため、決死の覚悟を持って襲い掛かった人間たち。
個体能力では大きくドラゴンに分があるのにもかかわらず、ドラゴンたちは一方的に殺戮されていった。
自分たちの村を焼き、大切な人を切り裂いたドラゴンを殺し、返り血を浴びて歓喜の声を上げるメドラたち。
しかし、それも長くは続かなかった。
『相手はしょせん人間だ! 冷静に対応しろ!』
ドラゴンたちが、混乱を収束させていったのである。
冷静になれば、しょせんはただの人間。
返り討ちにすることは容易だった。
復讐者の中に、A級以上の冒険者などがいれば、話は別だっただろう。
高位のドラゴンもいないため、皆殺しにされていたことだってありうる。
しかし、復讐者の中にそれほどの力をつけている者はいなかった。
もともと、彼らは村で暮らしていた農民である。
こうして、夜襲とはいえドラゴンを屠ることができるまでに力をつけた時点で賞賛されるべきことだ。
だが、それだけではドラゴンには届かない。
だからこそ、最強の魔物と称されているのだから。
仲間たちが、次々に倒れていく。
血にまみれ、地面に突っ伏す。
それでも、確実にドラゴンも倒れていった。
仲間たちが倒れた際に表情に浮かぶのは、悔しさでも恐怖でもない。
復讐を果たした充足感と、後のことは頼むという強い表情だった。
それを受け、メドラは必死に剣を振るった。
そして……。
『がはっ……!』
最後のドラゴンが倒れ伏す。
大量の血をまき散らし、メドラはそれを避けることができないほど疲弊していた。
立っているのは、メドラだけだった。
ドラゴンたちは倒れ伏し、そして自分と同じ思いを持って切磋琢磨した仲間たちも、皆倒れていた。
激しい戦闘の後と、血だまりと、死体。
凄惨なこの場で生き残ったのは、メドラだけだった。
『まさか、人間がここまでやるとは……。褒めてやろう、人間』
「……今から死ぬっていうのに、随分と楽しそうだな」
メドラは冷たくドラゴンを見下ろす。
こいつが、この群れのリーダーだ。
ひときわ身体が大きく、力も強かった。
すなわち、このドラゴンこそが、自分の仇である。
それゆえに、恐怖や悲しみではなく、心底楽し気に口をゆがめているのが気に食わなかった。
『ははははははははははははっ!!』
メドラに問いかけられ、声を張り上げて笑う。
口の端から吐血しているが、それでも大声で笑う。
まるで、勝者が自分であるかのようにふるまう。
ギロリと爬虫類特有の鋭い瞳が、メドラを捉えた。
『楽しくないわけがないだろう!? 俺たちを殺した人間が、地獄の苦しみを味わうことになるんだからな!』
「なに……?」
まだ何も理解できていないメドラに、ドラゴンは今にも死にそうだというのに、嬉々として語り始める。
『お前、随分と俺たちの……ドラゴンの血を浴びたなぁ。なあ、人間。ドラゴンスレイヤーという忌むべき異名を持つ人間たちがいる。お前のように、ドラゴンを殺した人間のことだ。そいつらが、まともな人生を歩んだという話、聞いたことあるか?』
「…………」
ドラゴンを殺すために行動してきたメドラ。
そのため、竜殺しを達成した人についても調べたことがある。
物語では、よくあることだ。
悪のドラゴンを討ち果たし、人を救ってハッピーエンド。
めでたしめでたし。
……では、その後を描いた物語はあるだろうか?
メドラは知らないし、またその先のことなんてまったく気にしていなかった。
目的は、ドラゴンを殺すこと。
それを達成さえすれば、その後のことはどうでもいい。
答えられないメドラに、ドラゴンは意地悪く笑う。
『そりゃあ、ないだろうなあ。なにせ、ドラゴンの血を浴びすぎた者は……死ぬことができなくなるんだからなあ!』
「なっ……!?」
目を見張る。
そのような話、聞いたことがない。
血とは、魔性の力を秘めるものである。
たとえば、何らかの儀式を行う際にも、血というものはよく用いられる。
ドラゴンの血には、呪いが込められているのだ。
自分を傷つけて、命を奪った者に対する、強烈な呪いが。
『永遠の命は、お前ら人間が求めるものだってのに……大抵耐えられなくなって、廃人になる。その不死の秘密を暴こうと、同族の人間に捕まって解剖される。それを、地獄と言わずになんと言う?』
物語がドラゴンを殺したところで終わっているのも当然だ。
その先に待っているのは、ハッピーエンドなどでは決してない。
ただただ悲惨で、憂鬱になるバッドエンドにしかつながらないのだから。
『まあ、安心しろよ。廃人になれば、竜の呪いからも解放される。死ぬことはできるさ。それまで……せいぜい、地獄を……楽しめ、よ……』
「ま、待て!!」
メドラは呼び止めるが、すでにドラゴンは命を落としていた。
数時間前まで多くの命が立っていたこの場所は、今ではメドラただ一人になっていた。
そんな場所で、ドラゴンの言葉が心臓に突き刺さり、気にかかり続ける。
この言葉が真実であることに気づくまでに、それほど時間は要さなかった。
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