第55話 でゅくし!
「はぁ……」
ため息をつく。
いつからこれほどため息をつくようになったのだろうか?
覚えていないし、興味もない。
いつからかは分からないが、いつまで続くのかは分かっている。
ならば、それだけで十分だ。
「これだけのドラゴンがいれば……と期待していたんだがな」
男の近くには、何体ものドラゴンが倒れていた。
全員血だまりに沈んでいる。
「ここも期待外れか」
彼がいるのは、竜の巣。
最強の魔物が数多くいるこの場所は、人間にとって地獄そのものだ。
そこで恐怖を覚えているのは、ドラゴンたちの方だった。
『グオオオオオオオ!?』
また一体のドラゴンが地面に倒れる。
集まってきたドラゴンたちは、この信じられない光景に目を見開く。
『人間だと!? 竜の巣にどうして……』
『いや、あれはドラゴンスレイヤーだ! 竜の血がむせかえるほど濃い!』
『あれだけの匂いになるまで、いったいどれほどの同胞を……!』
ドラゴンの優れた嗅覚で、その人間から濃すぎるほどの血の匂いをかぎ取る。
まるで、竜の血で満たされた浴槽に浸かったようだ。
それほど、男はドラゴンを数多く屠っていた。
怒りと……明白な恐怖を抱く。
「数えきれない、数えきれないさ。はあ……」
ため息をつきながら、男が答える。
そうだ。自分の望み通りに事が進まないから、これほどドラゴンを殺さなければならなかったのだ。
「誰かが俺を止めなければならん。でないと、ドラゴンの屍が増えるだけだぞ」
『言われずとも、分かっておるわ!!』
『死ね、ドラゴンの怨敵め!』
明らかな挑発に、ドラゴンたちは一気に怒りを膨れ上がらせる。
そもそも、目の前で同胞を屠られたことだけでも、許しがたいことなのだ。
それ以上に同胞を殺すと言われて、黙っていられるはずもなかった。
ドラゴンたちは羽ばたき、一息に男に迫り……。
「……お前らじゃあ、ダメか」
ドラゴンたちの首が飛んだ。
大量の血が噴水のように吹き上がり、空から落ちてきた血が男に降りかかる。
彼から感じられる竜の血の匂いが、また濃くなる。
「ここでダメなら、もう……」
最強の魔物を屠ったとは思えないほど、男の雰囲気が弱弱しくなる。
まるで、追い詰められているようだ。
ここを逃せば、もう二度と目的を達成できない。
そんな雰囲気だ。
だから、彼は一縷の望みを彼女に託す。
「なあ。そういうことはないよな? 俺、まだちゃんとお前のことを覚えているぞ、ガキ」
振り返れば、人型のメビウスが立っていた。
そして、彼こそがメビウスの両親を殺したドラゴンスレイヤーである。
メビウスは少し顔を歪ませる。
「……私は結構複雑かな。殺したいほど憎いけど、殺されるってあきらめていたから」
「……そうか」
男の心中を満たしていたのは、失望である。
メビウスを生かしたのは、決してこのような諦観を持って目の前に来させるためではないのだ。
他の有象無象のドラゴンと同じく、彼女を斬り殺そうとして……。
「でも、同僚に言われて、思い直してね。あなたなんかに殺されるのは、嫌だと思ったの。だから、あなたを殺して、私は生きるよ」
ふっと笑みを浮かべる。
子供の時、両親が生きていたころ以来の笑顔かもしれない。
それはとても美しく、そして決意に満ちていた。
男は、感嘆のため息を漏らす。
「ああ、期待外れだと思ったが、よかった。お前なら、俺を……」
――――――殺してくれるかもしれない。
『オオオオオオオオオオオオオオオ!!』
メビウスが竜化する。
ドラゴンスレイヤーと魔王軍四天王のドラゴンの殺し合いが始まった。
◆
俺とフラウが、竜の巣に通じるたった一つの狭い道を歩こうとしているとき、とてつもない爆発が吹き荒れる。
大気が震えるような爆発に、思わず俺は硬直する。
そして、俺以上に驚いていた者がいて……。
「んほぉっ!?」
【どんな悲鳴だよ、お前……】
いや、確かにビビったけど。
お前、オークに犯される女騎士みたいな声を出しやがって……。
しかも、ちゃっかり白目をむいて舌を出したアへ顔である。
普通の絶世の美女のアへ顔なら俺も気にすることはなかったのだが、これをみすみす逃していいとは思えない。
「私の夫となる男が、くっころ女騎士属性かもしれないからな。その練習の甲斐があったというものだ」
ふっとニヒルにほくそ笑んで俺を見る。
こんなキリッとして褒めてほしそうだが、内容はんほぉっ! である。
んほぉっ! と練習しまくる女騎士。
なんてことに時間を費やしているんだ。
しかも、税金で暮らしているくせに……。
「しかし、えげつないな」
フラウの視線の先には、燃え盛る竜の巣があった。
最強の魔物が多数存在するこの竜の巣が、これほど大きな壊滅的被害を受けることはありえないだろう。
そんな中、ふと思い出に浮かび上がってきたのもカレーです。
【あの若いドラゴンは、このことを知って俺たちを遠ざけてくれたかもしれない。まさに、俺たちのヒーローだ】
「ああ、最高のドラゴンだった……」
俺たちは感謝の念を、突っかかってきた若いドラゴンに送るのであった。
あれだけ鬱陶しく怖かったドラゴンが、今脳裏に浮かぶときはキラキラと輝いている。
ありがとう、ドラゴン。さようなら、ドラゴン。
【よし、じゃあ逃げるか】
「ああ、異論ない」
余韻もへったくれもないが、俺とフラウはこの竜の巣からの離脱を開始する。
いずれ、ここも火の手が回ってくるかもしれない。
断じて巻き込まれたくないので、逃げる一択なのだが……。
【ん? ……待てよ?】
「どうした?」
俺はふと立ち止まる。
真っ先に逃げ出す俺が止まったということに、フラウはひどく疑問を抱いているようだった。
もちろん、俺は逃げる気満々だった。
大爆発や怒号が聞こえるような場所から遠ざかるのは、当然と言えるだろう。
「お腹痛いのか? よしよししてやろうか?」
しかし、少し視点を変えてみよう。
目先のことを考えるのであれば、ここから逃げるべきだ。
しかし、大局を見るのなら?
四天王どころか大将軍という訳の分からない立場にいる俺だが、無論ここに長くいるつもりはない。
「おい、無視するなよー。お前におんぶしてもらって帰るつもりだったんだぞー」
では、どうすれば退職することができるか?
やはり、敗北だ。
魔族にとって、敗北というのはとてつもなく大きい。
実力主義だからだろう。
自分たちの上に立つ者が、誰かに負けたということになれば、上に立つということを認めないのが魔族だ。
つまり、俺は敗北さえすれば、退職できる可能性は高いのである。
「でゅくし! でゅくし! ……鎧が硬くて私の手が痛い……」
【おい】
気が付けば、フラウの顔が目の前にあった。
どういう状況だ、これは。
「む、復活したか。その目の隙間からよだれを垂らしてやるつもりだったが……」
それやってたらぶっ殺してたわ。
あまりの衝撃に、俺は冷静に殺意をみなぎらせる。
もうそこまでされていたら、すべてを押し付けるという最大の目的も忘れていたかもしれない。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
俺は、フラウにある決意を告げる。
【俺、あそこ戻るわ】
「新手のダイナミック自殺か? 私は構わないが……自由になれるし。うん、私はいいことしかないな。よし、行ってこい。帰ってくるなよ」
俺の言葉に一瞬目を丸くして驚いていたフラウであったが、すぐさま脳内で計算をはじき出したのか、にっこり笑顔で俺を送り出そうとする。
そして、彼女には伝わらないだろうが、俺もまた兜の中でにっこりと笑顔を作る。
作って……細いフラウの腕を握りつぶさんばかりに掴んだ。
【ああ、行こう】
「ナチュラルに私の腕を引っ張りやがって……! クソ……離せええええええ!」
彼女の身体を引っ張りながら、逆戻りしていく。
向かうは、激しい戦闘音の聞こえる竜の巣だ!
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