第31話 待て
「まったく顔色を変えず、ですか。本当に蝶よ花よと育てられた姫ですか? 精神の強さが異常です」
アルマンドは苦笑いする。
どうやら、自分は姫という存在に対して偏見を持っていたらしい、と思う。
王の血族だ。大切に育てられるのは当たり前だし、危険からも遠ざけられるだろう。
もちろん、矢で身体を射抜かれる苦痛なんて、経験なんてあるはずがない。
だというのに、ルーナは冷や汗一つたらさず、平然としている。
その精神力に、アルマンドは素直に驚嘆していた。
「痛みにもだえていても、何も好転しないですわ。ならば、無駄でしょう」
「その突き詰めた合理性……。なるほど、素晴らしい。あなたみたいな王がいれば、民は幸せでしょう」
合理性のない王は、有能とは言えない。
とはいえ、ルーナのように合理性を突き詰めてしまえば、今度は人間味を失うことになるので、一長一短なのだが……。
「では、お兄様を差し出していただけますか? 処分しなければならないので」
「申し訳ないですが、それはできませんねぇ。私に申し付けられた命令は、デニス様を魔王にすること。軍人である以上、命令には逆らえませんので」
矢傷よりも、兄の命である。
そんなルーナの要求を、アルマンドは笑いながら首を横に振って拒絶する。
彼は軍人だ。軍の命令は、『デニスを支援し、魔王へと押し上げること』。
それこそが帝国のためへとつながるのだから、命令に背くことはできない。
今は、まだ。
「どうも、あなたはそのようなことに固執するようには見えませんが……」
「おや、そうですか? そんなことはありませんがねぇ」
自分ほど帝国に忠実な軍人もいないだろうと、アルマンドは本気で思っている。
くだらない派閥争いにも関与せず、彼は帝国のため、軍の命令を粛々と遂行しているのだから。
腹に抱えていることは、誰にも気づかせずに。
「何をベラベラと関係のないことを喋っている!? 早くその女を殺せぇ!」
敵同士とは思えないほど呑気な会話をしていたルーナとアルマンド。
彼らに辛抱たまらなくなったのは、デニスである。
「おやおや……。実の妹をその女呼ばわりとは……。しかも、私はあなたの部下ではないのですが……」
アルマンドは苦笑いする。
殺し合いに至って、もはやデニスはルーナのことを家族だとは微塵も考えていないようだった。
そもそも、アルマンドの上に立つのは帝国と軍であり、デニスではないのだが……。
「では、諦めてくださいますか?」
「先ほども申し上げましたが、それもできませんねぇ。なにせ、あなたは優秀すぎる。魔族の王が優秀だと、矮小な人間としては恐ろしくて仕方ないのですよ」
「そうですか」
何でもないただの相槌。
それと同時に、ルーナの掌から強烈な風の弾丸が放たれる。
質量の大きさよりも、それは速さに重点を置いていた。
不意打ちであり、超速度の攻撃。
アルマンドの首筋を狙った致命傷へとつながる魔法は突き進み、それに対して彼も反応を見せることができなかった。
彼を始末した後は、兄である。
そう考えていたルーナであったが……。
「!?」
さらなる乱入者により、魔法がはじかれる。
「いてっ!? 結構いい魔法撃つなあ。甘やかされて育てられた姫って感じじゃねえな」
ルーナの魔法をはじいた女は、乱暴な口調で言葉を発しながら、ひらひらと手を振る。
その女は、拳でルーナの魔法を霧散させたのだ。
「楽しいのは分かるが、あんまり悠長にしてんなよ。この姫、かなり強い方だぞ。あんた弱いんだから、殺されるぞ」
「ええ、そうですね。ですが、あなたがいるので安心していたんですよ、フィリドーラ」
「はっ。よく言うぜ」
女――――フィリドーラの警告を、アルマンドは薄気味悪い笑みを浮かべながら受け流す。
本気で受け止められるとも思っていなかったフィリドーラも、また笑みを浮かべるのであった。
「新手ですか」
「私は弱いので。護衛がいないと、魔族みたいな強くて怖い人たちの前には立てませんよ」
確かに、アルマンドの実力は高くないと、ルーナも感じ取っていた。
不意打ちだったとはいえ、自分の攻撃に一切反応すら見せなかったのだから。
逆に言えば、それでも敵の前に堂々と立つことができるほど、護衛であるフィリドーラの実力が高いということだろう。
さて、どうしようか……と、ルーナは悩む。
まだ、魔力には十分余裕がある。
戦うことは可能だろう。
しかし、逃げるのは難儀しそうだ。
デニスの『追円刃』と、アルマンドの放った矢が身体を傷つけている。
全身を使って、全力で逃げることは不可能だろう。
「(ならば、ここにいる者を皆殺しにするだけですわ)」
魔力を高め、戦闘を始めようとするルーナ。
その時だった。
「……っ」
ぐにゃりとルーナの視界がゆがんだ。
まるで、水を通してその先を見るように、ぐにゃぐにゃと歪む。
立っていられなくなり、膝をつく。
「やっと効いてきましたか。ありがちですが、矢には毒を塗っていました。ああ、ご安心を。命を奪うような劇薬ではありません。ただ、即効性にだけ重点を置いた、弱い痺れ薬です」
聞こえてくるアルマンドの声も、どこか靄がかかっているかのように聞き取りづらい。
しかし、毒という言葉だけははっきりと聞き取れ、同時に『ああ、そうだろうな』と納得した。
力のない人間が強敵を殺すならば、毒はとても有用な手段となる。
「暗殺ならば、猛毒の方がいいんでしょう。ですが、このように致命的な隙を作らせるだけならば、これほどの弱い毒でも十分です」
致死性ではないということに少し安堵するが、だからと言って事態が好転したわけではない。
むしろ、動けないということは、ギロチンの前に首を差し出しているのと同じくらい危険だ。
「実行するのは俺だけどな」
「おや、私でもいいですよ? 動けない相手の首を刺すくらいならできます」
「止めとけ。失敗しそうだ」
「えぇ……」
さすがのアルマンドもショックを受けた表情を見せる。
動けない相手の首を刺すことに失敗するとか、とんでもないドジっ子ではないか。
そんなアルマンドを無視して、フィリドーラは動けないルーナに近づく。
「悪いな、姫さん。俺は別にあんたに恨みもないけど、帝国にとっては邪魔なんだとよ」
「わたくしは……まだ死ぬわけにはいきませんわ。魔族を繁栄させる義務がありますもの……」
「……あんたもアルマンドとは別方向で狂ってそうだな。まっ、どうでもいいけどよ」
自身の命の危機だというのに、心配するのは魔族の未来だ。
自分が死ねばどうなる?
愚物である兄が頂点に立てば、どうなる?
少なくとも、帝国からはこの件を材料に絞られるだろう。
そして、弱体化した魔族を、他の人間の国家が見逃すはずもない。
とくに、宗教国のように魔族を絶対敵視している人間たちは、魔族を滅ぼそうと躍起になるだろう。
有史以来続く争いを止めることができるのだから、それも当然だ。
だが、それは受け入れることはできない。
魔族を繁栄させるためだけに生まれてきた自分に、その意味を奪われてはいけないのだ。
「じゃあな、姫さん」
フィリドーラがついにルーナの目前に立つ。
後は、腕を振り下ろすだけだ。
ルーナの強力な魔法攻撃を打ち消した力があれば、動けない彼女を殺すことなど容易い。
彼女の命の灯が消えそうになった時。
【待て】
冷たく、絶対零度の海の底から聞こえてくるような悍ましい声が響いた。
後は手を振り下ろすだけだというのに、フィリドーラも身体を硬直させてしまう。
続いて聞こえてくるのは、ガチャッ、ガチャッという重たい鉄の音である。
その発生源は、暗い廊下の奥だ。
ルーナも、デニスも、フィリドーラも、アルマンドも、そちらを見る。
全員の視線を集め、その闇の中からゆっくりと現れたのは……闇よりも暗く、恐ろしい魔王軍最強の四天王。
【それを殺させるわけにはいかない。まずは、私と触れ合ってもらおうか(俺を四天王から退職させてくれる女神だぞ! 何さらしとんじゃおおん!?)】
暗黒騎士。
最強最悪の存在が、この場に顕現したのであった。
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