第30話 人間
「面倒くさ……」
メビウスは眼下の虐殺と破壊を見下ろしながら、無表情でため息をついていた。
魔王軍四天王ではあるが、魔族を守ろうという気概はまったくない。
自然と流れに身を任せていれば、いつの間にか四天王なんて面倒な立ち位置にいただけの話だ。
だから、この騒動に心を痛めることもなければ、守らなければならないという義務感に駆り立てられることもなかった。
「戻ってくるの、もう少し遅らせたらよかった……」
むしろ、もっとゆっくり魔都に戻ってきていれば、このような暴動の対処をする必要もなかったのではないかと思うほどだ。
悲鳴が聞こえる中、ボーッと彼女は見下ろす。
「まあ、やるしかないんだけど。もしかしたら、この中にもいるかもしれないし。人間だし」
そう言って、メビウスはふわりと降りていく。
降り立ったのは、平時は多くの出店が並んで繁盛している大通りである。
倒れ、血を流す魔族が大勢いる。
今も、帝国の軍人に一人殺される。
返り血を顔に浴びて凄惨な笑みを浮かべていた男は、降り立ったメイビスの姿を捉えてさらに笑みを深める。
「おっ、新手の魔族か。死ね、薄汚い劣等種!」
剣を振り上げ、一気に迫る。
よく見れば、随分と見栄えもいい。
ボブカットに切りそろえられた黒髪越しに覗ける目は、宝石のように冷たく美しい。
豊かに実った胸部や臀部を見るだけで、笑みがこぼれる。
ただ殺すだけではなく、様々な楽しみ方があるだろう。
他者を貶め、痛めつけることに酔っている男は、よだれを垂らしながら迫り……。
「――――――?」
グチャッと音が鳴った。
鳴ったのは、男の顔面。
メビウスの小さな拳が叩き込まれたのである。
男の鍛えられたそれとは比べものにならないほど華奢なのに、たったの一撃で男の顔面を破壊し、はるか後方へと吹き飛ばしたのであった。
「私を殺すのは、君じゃない」
ピクリとも動かなくなった男を見据え、メビウスはそう呟くのであった。
◆
「……騒がしいな。まあ、眠気が覚めてくれるから、構わないが」
ユリアは遠くから聞こえてくる音に、クマの濃い目を窓に向ける。
彼女も生物である以上、眠気は感じる。
しかし、眠る時間も惜しく、研究に没頭したいため、身体が限界を感じて意識を飛ばすまで起きているユリアからすれば、この騒乱もありがたさしか感じない。
「ふむ……悲鳴か。あまりいいことではないようだ」
とはいえ、ユリアが身の危険を感じることはない。
彼女のいる研究室は、通常ではたどり着くことのできない凶悪な迷路の先にある。
ほとんどたどり着ける者はおらず、迷路の片隅で誰にも看取られることなく死体をさらすことになる。
「しかし、魔族が苦しむのであれば、それは結構なことだ。気にせず、研究を続けることができる」
普段から温かい感情の宿ることがない目は、さらに冷たく氷のように凍てついていた。
再び研究に戻ろうとするユリアは、赤い髪を揺らしながらふと立ち止まる。
「だが、そうだな……暗黒騎士に死なれるのは困る。四天王最強が、そう簡単に死ぬとは思えんが……」
この研究室にやってくる数少ない存在である暗黒騎士。
ああ、そうだ。彼には死んでもらっては困る。
他の有象無象の魔族はどれほど死んでも構わないが、彼だけはダメだ。
きゅっと手を豊満な胸の前に持ってくれば、柔らかく形を変えて歪む。
そして、彼女はまるで恋する乙女のように、青白い病的な肌を赤く染めた。
「私にとって、【あれ】は大切な研究資料なんだからな」
◆
「行け、『追円刃』!」
デニスの振るった剣から、回転する円盤が飛び出す。
その回転数は非常に多く、触れるものをたやすく切り刻むだろう。
それが、複数ルーナに迫った。
姫にはふさわしくないかもしれないが、飛びずさってそれを避ける。
とはいえ、あまり激しい運動や回避行動が得意ではない彼女の褐色の肌は、『追円刃』によって切り刻まれる。
肩を裂かれ、血が噴き出す。
激痛が走っているだろうに、ルーナは顔色を変えずにデニスを見据える。
攻撃は避けた。では、次はこちらの番だ。
しかし、そう簡単には進まない。
「避けても無駄だ! そいつは、お前の身体を切り刻むまで止まることはない!」
一度通り過ぎた『追円刃』は、転回して再びルーナに襲い掛かる。
この技は、一度放たれれば対象が切り刻まれ命を落とすまで止まることがない。
デニスの切り札であり、必殺の確信がある技だった。
事実、これほど鬱陶しい技はないだろう。
避けても避けても追いかけてきて、触れれば切り刻まれる。
「この私の前に立ちはだかり、魔王への道を邪魔したこと……あの世で後悔するがいい!」
バカな言動を繰り返し、行楽にふけっていた妹に、対処できる技ではない。
デニスは勝利を確信し、妹を殺すというのに凄惨な笑みを浮かべ……。
「――――――子供だましですわ」
ゴウッ! とルーナを中心に風が吹き荒れた。
淡い色をまとった、魔力を帯びた風である。
それゆえに、デニスの切り札である『追円刃』は、あっけなく吹き飛ばされて消失した。
「は……っ!?」
唖然として、デニスは何が起きたのか分からなかった。
風が、自身の技を無効化した?
いや、それは理解できる。
理解できないのは、それを為したのがバカで無能なはずの妹だということである。
そんなことをできる力なんて、ルーナにはないはずだ。
だというのに、いったいどうして……。
「つまらない……つまらない技ですわね。お兄様、謀略ばかりに力を注いでいたから、こんな子供すら殺せない技しか使えないのですわ」
「わ、私は魔王になるんだぞ? 自分を鍛えてどうなる!?」
声を張り上げ、ゆっくりと後ずさっていくデニスを、憐みの目で見据える。
「護身術程度は鍛えておいた方がよろしかったのでは? このように、兄妹で殺しあうことだって想定しなければなりませんわ。継承争いというのは、そういうものです」
デニスに向けた掌に、淡い色をまとった風が収束する。
球体になったそれは、デニスに打ち込まれ、彼をさらに後方へと吹き飛ばす。
「がはっ!?」
壁に背中を激突させ、息ができずにもだえ苦しむデニス。
こんな苦痛を味わうことは、人生で初めてのことだった。
それもそうだ。彼が命のやり取りをしたことなんてないのだから。
魔王の息子として生まれ、どうして激しい戦闘訓練をするというのか。
そんなものは、部下や下々の者にやらせればいい。
そう思っていた今までのことを、デニスは深く後悔していた。
ゆっくりとにじり寄ってくるルーナが、恐ろしくてたまらない。
「ひぃ……ひぃっ!? ま、待て……よせ! 私は、まだ……!」
「ここに至っては、もはや待ったはありませんわ。外患誘致は、即座に処刑です。お兄様は、それほど魔族の未来を潰しかけたのですわ。しっかりとあの世で反省してくださいまし」
実兄の必死の命乞いも、魔族の未来のために情を一切切り捨てているルーナには届かない。
敵対種族である人間を引き入れ、魔都を混乱に陥れたデニスを生かしておく理由はない。
仮に生かしていたとしても、必ず火種となるだろう。
だから、殺す。
別に、命を狙われたことなんてどうでもいい。
ただ、彼が生きているということは、魔族にとって悪いことだ。
だから、殺すのだ。
「おっとぉ。それ以上されるのは、困りますねぇ」
そんな男の柔らかい声が聞こえたと同時、ルーナの肉厚的な褐色の太ももに矢が突き刺さる。
矢じりが皮膚を裂き、肉をえぐって血を流させる。
それでも、ルーナは顔色一つ変えずに動きを止め、矢の飛んできた方向を見据える。
「……人間ですか」
薄気味悪い笑みを浮かべるアルマンドが、そこに立っていた。
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