第26話 バカ姫



「状況はますます好転していっていますわ」


 魔王城の一室で、ルーナは冷たい表情のまま言った。

 ここは、ルーナに与えられている私室である。


 そこに招かれた俺は、嫌々やってきていた。

 まあ、ここにいるほうが安全かもしれないしな。


 以前、オットーが襲い掛かってきたときも、あれは魔王城から離れた場所だったからというのも大きいだろう。

 しかし、この城の中なら、デニスもあからさまな行動には出にくいはずだ。


 ……いや、四天王を暗殺に使っている時点で、かなりなりふり構っていられない状態なのかもしれないが。

 そんなわけで、俺は魔王城にやってきていた。


「姫様が魔王になるまで、あと少しだな」

「わたくしが魔王になるかどうかなんてどうでもいいですわ。魔族が繁栄するかどうか。それだけが重要ですの。お兄様が魔王になっては、それが叶えられることがない。だから、わたくしは戦っていますの」


 我欲ってものがないのか、こいつには?

 普通、自分が何をしたいとか、そういうものがあるだろうに。


 魔王ともなれば、やりたい放題できるのだから、なおさらだ。

 ルーナの異常性が際立って見えてくる。


 ……まあ、俺もいざ魔王にどうぞと言われても困るがな。

 責任って言葉、あるじゃん? あれ、一番嫌いなんだよね……。


「暗黒騎士様、オットー、トニオが天爛派に加わりましたわ。魔王軍四天王のうち、三人です。最後の一人であるメビウスは、そもそもこの派閥争いに無関心。もはや、主流派は主流ではなくなっていますわ」


 四天王の力は大きい。

 それぞれが人類の一国を個人で落とすことができるだけの力を持っている。


 ……俺の場合は、鎧が。

 そんな四天王の半分以上が集まっていれば、たとえほかの魔族すべてが主流派に加わったとしても、勝つのは天爛派となるだろう。


 まあ、オットーもトニオも負傷しているので、一概に言うことはできないが、それでも四天王のネームバリューは大きいのだ。


「四天王がほとんど天爛派に加わったことにより、他の魔族たちもこちらに参加してきていますわ。いずれ、数でも主流派を上回ることができるでしょう。油断はできませんが、ほぼ詰みと言って構いませんわ」


 誰だって勝ち馬に乗りたいだろうしなあ。

 以前までは、勝ち馬は主流派だった。今は、天爛派。それだけのことである。


 デニスも、あと少しのところまで魔王の座が来ていたのになぁ。

 すまん。これも、この訳の分からない鎧のせいなんだ……。


「これも、すべて暗黒騎士様がわたくしの呼びかけに応えてくれたからこそですわ。感謝いたします」


 ルーナは俺を無機質な目で見据えると、深く腰を曲げて頭を下げる。


【必要ない。私には、私の目的がある。それさえ果たしてくれるのであれば、誰が魔王になっても構わん】


 そう。もし、デニスの方が先に何でも言うことを聞くと言っていたら……俺は、主流派に与していたかもしれない。

 タイミングの違いだ。


 ルーナは、ちょうどいいタイミングで、俺の望むものを差し出した。

 だから、俺は彼女を支援した。それだけのことだ。


 魔王になったら、俺を一刻も早く四天王から退職させてね。


「ええ、約束は違えませんわ。魔王をペットにしたいと申されても、お答えする次第ですわ」

【しない】


 無表情でドレスを脱ぎ去ろうとするルーナに、即答する。

 豊満な褐色の胸元が見えてうひょーっと歓声を上げたいのだが……だが! この鎧がある限り! 柔らかさも温度も楽しむことができねえんだよお!


 それゆえに、ルーナを好き勝手できるというとんでもなく魅力的な提案も、俺は頷くことはない。

 やはり、まずは四天王を辞めてから、この鎧を脱いで……。


「そういえば、この戦いに勝った後、デニスはどうするんだ? 殺すのか?」


 フラウがルーナにそんなことを聞いていた。

 お前はどうして笑えないことをズバズバ聞けるの?


 やっぱり、頭のネジが何本かぶっ飛んでいるよね?


「いえ、いきなり殺しはしません。まずは、隠居を進めますわ。大人しく従ってくださるのであれば、ある程度の制約はあれど、不自由なく暮らせるように配慮いたしますわ」


 平然と答えるルーナに少し引くが、それ以上に彼女の言葉に強く惹かれる。

 それ! それ俺がしてほしいやつ!!


 俺も隠居したい! 四天王辞めて働かなくても生活できるようにしてほしい!

 よし、これをルーナにお願いすることにしよう。


 まったく……天才的だな、俺の頭脳。


「家族はそう簡単に切り捨てられるものではないか。私は捨てるが」


 ドクズ発言のフラウである。

 まあ、肉親の情みたいなものは普通にあると思うけどな。


 血のつながりっていうのは、案外大きいものだ。

 俺みたいな捨てられた奴以外ならな。


 この冷血魔族繁栄マシーンも、さすがに……。


「いえ、それは微塵もありませんわ」


 ピシャリと言うルーナ。

 微塵もないんですか……。


「問答無用で殺せば、それを見ていた魔族たちはわたくしを厳しい王だと思い、人心は離れますわ。そうなると、後々の火種となりかねません。だから、殺さないだけですわ」


 ルーナは淡々と語った。

 うわ……さすが絶対魔族繁栄させるウーマンだわ。


 ここまで突き抜けていると、もはやすがすがしい。

 まったく理解できないから恐ろしいが。


 こいつの心の中って、どうなっているんだろうか。

 知りたいが、知ってしまったら大変なことになりそうなので踏み込まない。


 そんな時、コンコンと扉がノックされる。


「失礼します。あ、暗黒騎士様……デニス様がお呼びです……」


 ルーナの許可を得て入ってきた使用人が、俺を見てどもる。

 顔が青ざめており、小さく震えていた。


 そんなにビビらなくても……。俺、何もしていないじゃん……。

 むしろ、俺からすれば魔族らしい異形のお前の顔の方が怖いんだが。


 しかし、デニスが俺を呼んでいる……?

 ……絶対ロクでもないことだ。行きたくない。


 しかし、いくら派閥が違うとはいえ、いまだに敗北しているわけでもない魔王の息子を無視するわけにはなぁ……。

 やんわりと命令を拒否するくらいはもはやいけるだろうが、さすがに無視はダメだろう。


 まあ、デニス自身が強いというわけでもないし、別に行ってやっても構わないのだが……。

 さて、俺の派閥のトップは、どういう反応を見せるのだろうか?


「むー……でしたら、わたくしも行きますわー!」


 頬を膨らませ、ルーナはブンブンと両腕を振ってアピールしていた。

 胸も一緒に揺れる揺れる……じゃなく。


 すっげえ。一瞬でバカ姫に切り替えやがった。

 先ほどまでの冷徹無感情な繁栄マシーンはすっかり姿を消していた。


 この切り替えの早さこそが、彼女の異質さを際立たせている。

 こんな少しも似ていないもう一人の自分を演じられるのは、賞賛したくなるほどだ。


 ルーナがバカ姫をしながらもついていくと言っているのは、単に面白そうだからとかそういうことではなく、デニスに対するけん制だろう。

 俺を引き込もうとしていることは許さないと、行動で示そうとしているのだ。


「ですが……デニス様からは、暗黒騎士様だけと……」


 困ったように顔を歪める使用人。

 当然、デニスは俺だけを呼んだのだろう。


 妹とはいえ、敵対派閥のトップまでも呼ぶはずもない。

 しかも、傍から見れば引き抜きのようにも見えるのに、だ。


「むっ……わたくしの好きにさせてくれないんですの? 泣きわめきますわよ? ゴロゴロ地面を転がりますわよ?」


 どういう脅迫の仕方だよ……。

 とはいえ、使用人もこれ以上強く言うことはできない。


 バカ姫とはいえ魔王の娘だし、今では主流派を押している派閥のトップなのだから。


「い、いえ、私にはこれ以上申し上げることはできません。では、ご案内します」


 結局折れた使用人は、そう言って案内を始めるのであった。



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