第23話 えぇ……



 土がえぐれ、木々が飛び散る。

 がれきを蹴散らしながら毒蛇の剣から現れたのは、巨大な蛇だった。


 人よりも大きい……いや、そんな言葉では済ませられない。

 人よりも、ドラゴンよりも、何倍も大きい。


 それは、10メートル以上はある、三つ首の蛇だった。


【…………(でっか! いや、さすがにこれに踏まれたら死ぬぅ!)】

「なかなかのものだろう。私を四天王たらしめている力だ」


 誇らしげに胸を張るオットー。

 彼が四天王となり、人類から大きく恐れられることになったのは、この蛇が原動力である。


「さあ、殺せ!」


 オットーの命令に従い、蛇が襲い掛かる。

 少し動くだけでも地鳴りを生じさせ、大地をえぐる。


 巨大な質量のものがゆっくりと動くだけでも脅威となるのに、この三つ首の蛇は速さもあった。

 先ほどのオットーほどではないが、かなりの速度で暗黒騎士に襲い掛かる。


 鋭い牙をむき出しにし、食らいつきにかかる。


【(ひぃっ! 死ぬぅ!)】

「ははははっ! さすがの暗黒騎士様でも、逃げざるを得んか!」


 この時、初めて暗黒騎士が回避行動をとった。

 今まで不動であり、オットーの死の攻撃をすべていなしていた彼が、一見すると逃げの行動をとったことに、オットーは大きく笑う。


 しかし、一つの首を避けた程度では、この蛇の脅威から逃れられたとは言えない。


「ガアアアアアア!!」


 空中に逃れた暗黒騎士を、もう一つの首が襲う。

 本来では身動きのとりづらい空中だが、無理やり身体を回転させてそれをいなす。


 地面に降り立った暗黒騎士めがけて、最後の首が頭上から襲い掛かった。

 ズドン! と重たい音とともに、蛇の頭が地面に激突して粉塵を巻き上げる。


 吹き荒れる暴風により、ルーナの長い白髪が大きくたなびく。


「(これで終わり……ならば、どれほど楽なことか)」


 常人であればいざ知らず、オットーが今相手をしているのは、四天王最強の暗黒騎士である。

 この程度で決着がつくとは、微塵も考えていなかった。


 そして、その推測は正しい。


「ガ……ギ……!?」


 凄まじく重たい音とともに、蛇の頭が飛び上がる。

 自発的ではない。下から殴りあげられたのである。


 鋭い牙が砕け、口から血を吹き出す蛇。

 下から顎を打ち抜かれ、蛇はたったの一撃で頭を地面に横たわらせるのであった。


「ば、バカな……。あれほど体格差があるのに、たった一撃殴っただけで蛇を昏倒させた……?」


 身体の大きさは、戦闘において大きくかかわってくる。

 基本的に、大きなものを小さなものが倒すことは難しい。


 それが、大男とはいえ常識の範囲内にある暗黒騎士と、10メートルを超える巨大な蛇ならば、なおさら体術だけでどうにかすることは困難だろう。

 だというのに、暗黒騎士はそれを成し遂げてしまった。


 改めてその力の強大さに、オットーは愕然とする。


【(し、しまったああ! あのまま横になっていればよかったああ! でも、そのままにしていたら丸のみにされそうだったんだよなあ。それは困る。死ぬ)】

「……このままでは、二の舞になるだけか」


 三つ首があるゆえに、まだ勝負は続いているが、本来であればこれで終わりである。

 ならば、残った二つの首を、同じように攻撃させるわけにはいかない。


 この蛇には、また特別な攻撃手段があるのだ。


「蛇! 毒を使え!!」


 同じ身体を持つ一つの首を破壊されて、怒り狂っていた蛇は、しかし主人であるオットーの指示をよく聞いて、ゴプリとのどを膨らませる。


【(……毒?)】


 暗黒騎士が見上げる中、蛇はその膨らみをどんどん上にあげていき……。

 ゴプッとこみあげるように、蛇の口から毒々しい紫の液体が吐き出された。


 その塊はゆっくりと落ちていくが、その速度の緩慢さのために、暗黒騎士もルーナたちもみんな非難する。

 彼らがいた場所に着弾したその毒は、ジュワッと音を立てながら大地を溶かしていく。


「どうだ? なかなかの威力だろう?」

【(ひぇ……。地面が溶けた……)】


 その毒液は、酸性。

 それも、大きなクレーターを作り出すほどの、強烈なものだった。


 木々は枯れ、大地は削られている。

 硬い鎧で覆っている暗黒騎士でも、この毒は効果があるだろうと、オットーはほくそ笑む。


「私はこの力で、数々の人間の城塞都市を滅ぼしてきた。つまり、要塞のように屈強な建造物であっても、この蛇の前には無力ということだ。私を討伐するために、特級戦力である最上位冒険者も駆り出されていたが……この蛇の前には、みな膝を屈するしかなかったよ」


 オットーが誇らしげに思い返すのは、自身の前に立ちはだかった勇士たち。

 どういう基準で選ばれているかは知らないが、彼らが勇者となっていても不思議ではないほどの実力と人格を兼ね備えていた。


 そんな彼らも、自分に奥の手である蛇を顕現させるほどには追い詰めてくれたが、この蛇の前には屈するしかなかった。

 強者たちが悲鳴を上げて命を落としていく様は、とても見ごたえがあった。


【……だが、毒が遅いな。それでは、私を捉えられん(違う攻撃にして! それは食らったら死ぬから!)】

「ああ、分かっているとも。本来ならば、これだけ遅い攻撃でも、三つ首があれば十分なのだ。だが、お前に一つ潰されてしまっているからな……」


 確かに、一つの方向からの遅い攻撃ならば、避けることもできるだろう。

 だが、本来ならば、三つ首から同時に毒液を吐くという戦法だ。


 いくら優れた戦士でも、三方向から同時に触れるだけでも死に至る毒液を放たれれば、ひとたまりもない。

 しかし、すでに一つの首は暗黒騎士によって潰されてしまっている。


 では、どうするか?


「なら、攻撃範囲を広げ、お前だけの問題でないようにすればいい」


 オットーは巨蛇に指示を出す。

 それを受けた二つの首は、再び喉を膨らませてから口を開き……。


 次に吐き出されたのは、遅くとも驚異的な溶解力のある毒液ではなく、霧のような細かい水滴の毒だった。

 それらは、大気中になじんでいくかのように、ゆっくりと広がっていく。


 二つの首から発せられる大質量の毒の霧は、瞬く間に辺り一帯を飲み込んでいくのであった。


「霧状の猛毒だ。皮膚に触れるのはもちろん、吸い込んだだけでも脳を破壊する。この大地もしばらく魔族が住めない場所になるが……暗黒騎士を殺すためだ。必要な犠牲だろう」


 暗黒騎士が防ぐこともせずに飲み込まれていったのを見て、オットーはほくそ笑む。

 いや、防ごうと思っても、防げるものではない。


 重たいものが地面に落ちて飛び散った砂煙を、すべて防いだり避けたりすることができる者なんていないだろう。

 周囲数百メートルを一気に覆った毒の霧から逃れるすべはない。


 そして、これは猛毒。触れただけで皮膚ははれ上がり、血を噴き出させる。

 さらに、鼻孔から侵入すれば脳まで一気に届き、思考回路をめちゃくちゃに破壊する。


 この毒が放たれた小国は、すでに滅んでいる。

 今では、人どころか草木すら生えることのない、死の大地に変貌している。


 魔王軍四天王オットー。その力は、四天王の名に恥じないものだった。


「まずいですね」

「すっごい棒読みだな。本当に思っていますか?」


 その毒霧の中、ルーナとフラウはまだ生きていた。

 ルーナが、魔力壁をいくつも展開し、まるで箱のように自分たちを覆っているからである。


 これによって、毒霧が侵入してくることはない。

 ……のだが、これがいつまでも続かないことは、ルーナが一番よく分かっていた。


 魔力壁が、どんどんと溶かされていく。

 今は常時魔力を注ぎ続けているため、なんとか拮抗状態を作り出しているが、これがいつまでも続かないことは明白だった。


「思っています。この毒が非常に危険で、わたくしではどうすることもできないことも。……暗黒騎士様は無事ですの?」


 この現状を打破できるのは、暗黒騎士しかいない。

 もしかすれば、隣にいるフラウも可能なのかもしれないが、彼女の力はまったく知らないため、頼れるのは暗黒騎士しかいないのだ。


 しかし、その肝心の男は、濃霧ともいえる毒に紛れて見ることすら敵わない。


「うーん……奴の鎧は、物理攻撃はすべて防がれるが、毒はどうか……。さすがに私も試したことがない。そこまでやっちゃうと、殺されても文句が言えないし。吸い込むだけでもダメっていう毒は……。奴も、呼吸はしているだろうし」

「じゃあ……」


 終わりですね、とルーナはあっさりと諦めた。

 自身の作戦ミスだ。どうにもならない。


 魔族が滅ぶことは残念でならないが……。


「まあ、それでも大丈夫だ。奴は規格外……これくらいで死ぬのであれば、私もとっくに奴の傍から離れられている」


 ため息をつくフラウ。

 そんな彼女に応えるように、毒霧に包まれたこの場所で、変化が起こる。


 それは、黒い瘴気だった。

 濃い紫に染まっていた視界に、一つ黒ずみのような小さな点が現れる。


 徐々に広がっていき、ついには紫よりも黒が優勢になる。


「毒を……食らっている……!?」


 それを見たオットーの感想がこれだ。

 瘴気が毒を……黒が、紫を貪っている。


 では、それは清浄な力が毒を浄化していると言えるだろうか?

 否、違う。


 毒よりも悍ましい【なにか】が、意思を持っているかのように食い尽くしているのだ。

 そして、その瘴気の発生源は、すなわち暗黒騎士。


 毒が薄まり、あの大男が姿を現す。

 黒い鎧に全身を覆った暗黒騎士は、目を赤く光らせる。


 ゆっくりと、ゆっくりと大剣を掲げる。

 オットーはその動きを妨害することすらできず、ただそれを見ていて……。


【(んもう! 毒は止めろぉ! それは多分俺に効く!)】


 暗黒騎士が大剣を振るえば、轟ッと暴風が吹き荒れた。

 一瞬ののちに毒霧が霧散し、そして……。


「――――――」


 巨大な三つ首の蛇が、両断されていた。

 悲鳴を上げることすら許されなかった。


 身体の半分を消し飛ばされ、巨大な蛇は轟音と共に地面に崩れ落ちていくのであった。

 そして、その余波は巨大な影に隠れていたオットーにも及び……。


「がっ……!?」


 彼の片腕をパッと切り飛ばすのであった。


【えぇ……】


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