第10話 人生最大の間違い



 狭い路地裏を全力疾走する人影があった。

 俺だった。


 息が切れ、心臓はうるさいくらいに高鳴っている。

 これがいい意味だったらよかったんだがなぁ……!


 時折走る俺を見る人はいるが、一様ににやにやと笑ったり興味なさげに目を背けたりする。

 まあ、しょせんそんなものだ。


 助けなんて微塵も期待していない。

 スラムのゴミどもなんて、そんなものだ。


「ごらああ! 待てやクソガキ! 止まらねえとぶっ殺すぞ!!」


 そして、そんな俺を執拗に追いかけてくる鬼のようなおっさん。

 いや、もはや鬼だ。顔面が真っ赤になって般若のようになっている。


 どたどたと走りながら振りかざしているのは、巨大な肉切り包丁である。

 ひぇ……。


「ふざけんな! テメエ止まっても絶対殺すだろ! 誰が止まるかバカ!」

「殺さないから! ほんと殺さないから! ちょっと刃物が身体に入るだけだから!」

「誰が止まるんだよ、そんな言葉で!!」


 あんな包丁を身体に入れられたら、骨も砕けるわ!

 俺がこのように追いかけられている理由は、あのおっさんの店から食料を盗んだからである。


 確かに、盗みは悪いことだ。

 おっさん側からすれば商売にならないし、下手をすればつぶれてしまう。


 だが、少し冷静に考えてほしい。

 その盗んだものを、俺が食べるとすれば?


 だとしたら、おっさんはむしろ感謝するべきではないだろうか?

『盗んでいただいてありがとうございます! ぜひ食べてください!』と土下座するべきなのでは?


 やれやれ。世の中の道理をわかっていないおっさんめ。

 そんなことを考えながら、俺は入り組んだ路地を走り抜ける。


 ここの地理はしっかりと頭の中に入っている。

 しばらく全力で駆け抜ければ……撒くことは容易だった。


「ふー……まったく、あのクソ豚め。この俺にここまで手を煩わせるとか、早く死んだほうがいいだろ。地獄に落ちろ」


 荒くなった息が、ようやく落ち着いてくる。

 心臓が痛くなるほど走ったから、毒づきも止まらない。


 あのおっさんめ。また盗んでやる。覚悟しろや。

 そんなことを考えながら歩いていれば、俺の前を立ちふさがる人影が二つあった。


 邪魔だ、死ね。


「おー、景気よさそうじゃねえか」

「ちょっと俺たちに分けてくれよ。同じスラムの仲間としてなぁ」


 顔を上げれば、そこにはこのスラムにおいて、ガキ大将的な立ち位置のやつらだった。

 ガキ大将といえばほほえましい表現かもしれないが、そのあたりで死体が転がっているようなスラムでのガキ大将である。


 身体が大きく力が強いというのは、一般的なそれと共通しているが、何よりも違うのは、目の前の二人は平気で人を殺すことができる。

 罪悪感も躊躇もなく、自分のために殺すことができる。


 それが、スラムの住人だ。

 俺みたいな善良な性格がない。反吐が出る。


 えーと……こいつらがそういった性格の人間であることはわかっているが、名前が出てこない。

 なんだっけ……?


「へ、ヘドロ……?」

「おい、どういう意味でヘドロって言った。見た目か? 中身か? どちらにしてもぶっ殺すぞ」


 くそ、違ったか。

 見た目でも性格でも導き出される言葉を名前にしたのだが、失敗したようだ。


「俺たちは底辺だ。だからこそ、助け合わないといけないだろ? な? 俺らもいつかお前を助けるから、今回それ全部譲ってくれよ」


 こいつらが俺に声をかけてきたのは、俺の手柄を奪うためだ。

 お、お前……一部だけならまだしも、全部だと?


 交渉へたくそすぎるだろ。

 ……いや、交渉なんてするつもりはないのだろう。


 俺が断れば、徹底的に痛めつけて奪えばいいだけの話だ。

 これだって、盗品だ。助けを求めることなんてできないし、俺が捕まる。


 そもそも、スラムの魔族なんて守ってもらえないがな!

 さて、どうするべきか……。


 自慢じゃないが、俺は弱い。

 正々堂々正面から二人の冷徹なスラムの住人を倒せる力なんてない。


 だからといって、この手柄をみすみす渡すことだっていやだ。

 とすると……。


 ちらりと視界に人影が入る。

 誰かを探しているように、きょろきょろと視線をさまよわせていた。


 ……よし。


「ああああああああああああああああ!!」

「っ!?」

「うぉっ!?」


 大絶叫。俺が選んだ手段である。

 少なくとも、いきなり声を荒げるタイプではないと見ていた二人は、驚愕して身体を硬直させる。


 二人の注目がこちらに集まり……そして、あの人影も。


「わかりましたあああああああ! あなたたちにお渡ししますぅ! もともと、あなたたちが盗んで来いって言ったんですしね!!」

「は? そんなこと……」


 いきなり何を言い出しているんだと、俺のことを狂人でも見るような目で見つめてくる。

 声を張り上げろ。


 あの人影に届くように。


「『あの間抜けそうなおっさんなら余裕だから(笑)。どれだけ盗んでもばれないから(笑)』って言ってましたもんねえええ! 確かにその通りでしたああああ!!」

「い、言ってねえけど……まあ、それを全部渡すんなら……」


 冷や汗をたらしながら、しかし目的である食料を手に入れられるのであればどうでもいいと、二人は俺に手を伸ばしてきて……。

 俺は、勝利を確信して笑った。


「ほー、そうかそうか。間抜けか。確かに、今までさんざん好き勝手やられてるからなあ。間抜けだろうなあ」


 視界に入っていた人影が、すぐ間近まで迫っていた。

 満面の笑みを浮かべ……顔中に青筋を浮かび上がらせた、恐ろしいおっさんの姿がそこにはあった。


 ふっ……やったぜ。


「は? なに、このおっさん」

「あっ……も、もしかして……! こ、こいつ……!!」


 今更気づいたようだが、もう遅い。

 俺はすでに、こっそりと避難している。


 しっかりと楽しんでくれ。

 俺を追いかけまわしていた肉切り包丁を持ったおっさんとな!


「まずはてめえらからぶっ殺してやるわああああ!!」

「ぎゃああああああああ!?」

「た、助け……テメエ! 一切振り返ることなく逃げやがって!!」


 すでに、俺は彼らを見ていない。

 背中を向けて全力ダッシュである。


 ふはははは! バカめ!

 バカはバカ同士イチャイチャ殺しあってろ!


 俺とお前らとじゃあ、格が違うんだよ格が!

 ……何の格だろう?


「ふー……こんなにうまくいったのは久しぶりだな。めちゃくちゃ気分がいい」


 しばらく走れば、悲鳴も怒号も聞こえなくなる。

 俺は食料を手に持ったまま、邪魔ものを処分することができた。


 まさに、これ以上ない結果である。

 こんな風に、常に俺の都合のいいように世界は進むべきだよな。


 さて、セーフティーハウスに向かうとするか。

 そんなことを考えながら歩いていると……。


「……こんなところに、建物なんかあったか?」


 目の前に、大きな邸宅が現れていた。

 深いところ……というわけではないが、それでもスラムの中である。


 そんな底辺しか集まらないこの場所に、こんな建物が……。

 しかも、上等そうだ。


 陰気な雰囲気がなぜか醸し出されているが……おそらく、そこそこの金を持った邸宅だろう。

 ふーむ……別荘でもないだろ?


 こんなところに建てる意味なんてないしな。

 正直、怪しい。怪しいが……。


「ここで一発大きな稼ぎがあれば、あんな無茶をする必要もなくなるな……」


 この盗んだ食料で、どれくらい持つだろうか?

 せいぜい一週間程度である。となると、また一週間後に命がけの鬼ごっこをしなければならない。


 だとしたら、ここで一発大きいものに挑戦してみてもいいのではないか?


「よし、行ってみるか」


 俺はにやりと笑って、邸宅の中に侵入した。

 これが、人生最大の間違いだということに気づかず。


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