学サー1-21

 話の語り部たる現在の僕は二年半後の僕であるからして言えるのだが、みつきさんの話す事は全て真実だった。真実だったはずだ。正確に言えば今も確証が持てないのだが。だけれどもっとまともに聴いておくべきだったと後悔している。この時の僕は「誤魔化しの作り話に付き合ってやろう」といった心持ちだった。当のみつきさんが真剣そのものに話していたから揶揄やゆしたりはしなかった。その程度だった。これまでの僕が見てきた人生からは乖離かいりし過ぎていたのだ。そう感じても仕方が無い。それとは別に、カレーを頬張るみつきさんが幸せそうな微笑を見せるものだから、真剣さとの落差に毒気が抜かれたというのもある。基本的にみつきさんは馬鹿なんだ。見ろ、ビールを注文しやがった。まだ昼間だぞ。こちらのコップに瓶底をこつんとぶつけ、ほら、飲み下すこの表情を見よ。少なくともみつきさんは悪人じゃ無い。みつきさんは嘘を吐くような人物じゃ無い。

 肉の塊を咀嚼そしゃくするとスパイスの香りが鼻に抜けた。美味しい。今まで食べたことの無い類のカレーだ。本当に美味しいと心から思うのだけれど、黒みがかった濃緑のルウが先般の弾けて落ちた右腕を想起させにかかる。羊肉を飲み下せないまま僕はいつまでもぐちゃぐちゃと口を動かす。あの時、腕はぼろりと落ちた。視界の端に捉えたその腕は焼け焦げたサツマイモのように見えていた。そこからぶすぶすと煙がくすぶっていた。

「五稜は私の敵なんだ」

 みつきさんはもうビールをお代わりしていた。インドのものだろうか。見慣れぬラベルに描かれる青い鳥はみつきさんに束の間の幸せを連れてくる。彼女はいまとても穏やかな表情で僕に語る。

「五稜のせいで私は人間じゃ無くなった。もうずっと昔、荘園しょうえん侍女じじょだった私は神へのにえきょうされた。あの時代じゃたまにあったんだよ、こういうことが。夜、ひとり、川の中洲なかす、雨が降っていた。付け焼き刃で教え込まれたまいを、右にくるくる、左にくるくる、回りながら。こう、弓を、びぃんって、弾きながらね」

 言って、ビール瓶を持ったまま両手を頭上に掲げて見せる。腕をおもむろに下ろしていく。瓶を前方に突き出しながら。右の腕は折り畳みながら。静止。みつきさんは少し眉をひそめてんだ。姿勢を崩し酒を煽る。

「雨が冷たくてね。肩を上げている感覚はあれど、無事に寄紘よつらはできていただろうか。ずいぶん経って気がついたら倒れ伏していた。四肢は付け根から先の感覚が無く、川も満ちてきていた。水神さまに無礼だからととにもかくにももがいた。顔が水に浸かるんだ。たてまつる前に事きれる訳に参らんと顔を上げたら底筒男命ソコツツノオノミコトがおわした」

 寄鉉よつらとは神道しんとうにおける儀式のことだそうだ。後に調べた。矢をつがえず弓を引き、つるの音を響かす魔除けの儀式なのだとか。

 僕はようやくと口中のマトンを飲み下す。

「ソコツツノオノミコト?」

「神さまさ。大御神おおみかみ。知ったのは後になってだったけどね。ビルほどに大きな蛇だった。それで私は食べられた」

「先生がその神さまだったてことですか」

「違う。あいつが何者か私も知らないんだ。元は人間だったのだろうが。次、私の視界が再度開けた時には、すすのような人の影が立っていた。刀を持ってね。それが五稜昌綱だった。御神みかみ雄叫おたけびを上げのたうち回っていらっしゃった。私は吐き出されたようだ。いよいよ身体の動かぬ私は耳を塞ぐこともできなかった」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る