学サー1-19

 テストの出来は散々なものだった。当たり前だろう。あんな体験をして平常心を保てる訳がない。必修科目の単位を落としてしまったかもしれない。

 後藤先生の受け持つ風俗史についても阿鼻叫喚あびきょうかんだった。あれから先生の行方が知れぬようなった。警察が来、先生の居室も何やら調べられていた。上野の件と違い連絡板に貼り出されなどしない。みつきさんからは「物音が聞こえたから踏み込んだらなぜか誰もいなかったと、そう申告すること。見たこと、私がいたことについては触れぬように」との言いつけがなされていた。事務方へ駆け込んだ僕は息も絶え絶え、とにかくそのようにまくしたてた。気は大いに動転していた。込み上げる胃液を何度も飲み込んだ。そうでなくともあの異質な出来事を言語化できようはずがなかった。後藤先生はすぐこの後の会議を無断欠席した。学校側も事態を飲み込んだ。先生の話題は瞬く間に学内へ広まった。床に散らばる不審な紙についてもだ。曰く、先生は何かの呪術行為を試して神隠しに遭ったのだ。曰く、生きることは物質的に不安定な活動だからこそ安定を求め虚無と成り果てたのだと。不謹慎に過ぎる。僕が上野のことを俎上そじょうに乗せた時、もしや大翔も同じことを感じたのだろうか。だとして、それを指摘してくれたことに感謝したい。やはり僕は良い友を持った。

 実は上野だけで無く菊池さんや前原先輩とも連絡が取れなくなり、やがてこれら一連の事案は全国ニュースにまで上るようなる。お盆前にはサークルでバーベキューをするつもりでいた。やはり中止にするしか無いよね、先輩達どうしたのだろうか。アプリのトークルームにそんなぼやきを投稿してみたけれど、誰からの返事も得られなかった。ただ時間とともに積み上がる既読数があるだけだった。みな言い知れぬ不安感を抱えていた。大学からは一斉送信のメールが飛んできただけだ。新しい情報は何も無い。ただ危きに近づかぬよう夏季休暇を過ごせとの文言に、ああ、人が数人いなくなろうが予定はそのままに進むものなのだなと思い知らされた。

 僕は先生の掻き消えた部屋でみつきさんに詰め寄っていた。今のは何だ。先生をどこにやった。先生が燃えていた。先生の腕がとれた。散らばる紙はなんだ。お前は一体何者なのだ、と。下河辺みつきは人差し指を口元に立てた。不思議なもので、僕の追及はそこでぴたりと止んだ。先生の右腕と踏みにじった吸い殻とを拾い上げ、みつきさんが言う。

「また今度詳しく話す。また連絡する。今は何も聞かないでくれ」

 部屋にはまだ汚臭が立ち込めていた。僕は顔を押さえて頷いた。頷くことしかできなかった。

 当然、風俗史の期末試験は流れた。テスト期間最終日、配られた紙に名を書き提出しただけで終えた。当の先生がいないのだから仕方が無い。テストの無い代わりに出席率で算定すると言い渡され室内は騒然となった。けれど僕にはそれどころで無かった。あの日の後藤先生のことがいつまでもこびりついて離れない。隣席の渚も浮かぬ顔をしていた。美咲渚は馬鹿じゃ無い。突如現れた不審な女が先生のことを気にかけたのだ。彼女は何かに気づいたかもしれない。そしてこれは僕も同様に思っている。オタ飲みモンスの周りに何かがうごめいている。菊池さんも前原先輩も上野も、先生の一件と同じようにして消失したので無いか。そうだとするならばおもちゃのネックレスだかに悩まされる渚も近いうち消えてしまうので無いか。もしや元凶はあの女なので無いか。思考はぐるぐると巡るままあった。

 そうして僕らに夏休みが訪れた。

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