学サー1-15

 一連の出来事をこうして語る僕はいま四回生、もう大学には行かなくとも良い。卒論は出した。あとは卒業式くらいだ。企業の内定者研修をサボってしまった。もう籍は無いかもしれない。下河辺みつきは存在ごと消滅した。彼女の生を考えれば二年余りの歳月だなんて非常に短いものだ。みつきさんから教えられたことは多い。僕が与えたものはどれだけあろう。彼女はもういないのだ。

 ネックレスに纏わるこれらは二年次の夏に起きた。先に明かしておこうか。失踪した者らは皆生きていた。菊池さんはぷぅ太郎だが前原先輩なぞはマチ弁に連いて経験を積む。この最初の事件では誰も死なぬ。渚は再来月から大手出版社に勤める。囚われているのは僕だけなのかもしれない。

 ネックレスを動かしていたのは蛇帯という怪異だった。ジャタイと読む。嫉妬心がそうさせるのだという。元はお着物の帯に宿る怪であり、女性の恋慕と独占欲とがとり憑いたものだと聞いた。

「いまの時代、和服なんて一般的じゃ無いわけよ。蛇帯も徐々に適応していった。ある種は夏の浴衣の帯に憑くようターゲットを絞った。またある種はアクセサリーに。長髪に憑いた事例も見たことがある。宿主しゅくしゅが変われど奴らは女性のやきもちから出づることに変わりは無い。キャバクラがまるまる巣になっていたのも見たことがあるよ。ま、蛇帯なんていまの世じゃかなり数を減らしたけどね」

 ある日のある時、ビールを飲み飲みみつきさんはそう言った。

 枕の代わりに帯を小さく畳み敷くのだという。それが蛇帯に変ずる。僕も後になって文献を読んだ。蛇帯となった帯は夜な夜な居を抜け出し、間女まおんなを追い立てる。時には絞め殺したという記録さえも残る。

「就寝中は感情が漏れ出るのさ」これもみつきさんの言だ。「感情てのは陰の気だから体内を巡る。楽しいことなら良いよ。気骨に精が満ち満ちて心も充足する。良くない思いはストレスになる。体は常時緊張を強いられ疲弊していく。当人の意識が内に潜る時、気は外に滲み出していく。この漏れ出た陰の気が怪異を寄せる種となる」

「やきもちってことは恋愛に関する思いじゃないんですか。それがそんな、ストレスになったり人を殺したりってことに結び付かないような気がするんですけど」

「怪を成すほどに強い感情だよ。たとえば亭主に色目を使う女がいたらどうだ。邪魔に感じるかもしれないね。高嶺たかねの花に思うほどの男だったら? 自分の元に縛り付けておきたいのかも。もしかしたら蛇帯は、そういった強い嫉妬と女という性とがあるから、帯に宿るのかもしれないね。ほら、長いからさ。束縛という行為の具現化?」

「長く蛇みたいな帯だから蛇帯ってことですか」

「たぶんね。でも蛇ってのは少し厄介でね」

 みつきさんは立ち上がり、何やら棚をごそごそ漁り出すとツマミを手に戻ってくる。袋を開け、白い指の先で器用に摘み上げたのは裂きイカだった。よくもこんな長い爪で生活ができる。みつきさんはイカを振って見せる。この会話は根木さんの神社で交わしたものだった。香の匂いに紛れ磯臭さが漂ってきた。「蛇ってのは龍につらなるんだよ」

「龍って、あの龍ですか。ドラゴンの」

「そう、ドラゴン。正確にはちょっと違うけどね。あれは水神の現世での姿でね」

「その龍と蛇とが連なるからなんだって言うんですか」

「まあ眷属けんぞくみたいなもんでね」

 みつきさんはそこで言葉を打ち切るとビールを一息に煽った。何やら考え込むような表情を見せる。こうなるともうみつきさんは何も話してくれない。「少年。酒、お代わり」と言い出すまで待たねばならない。アル中だなんて菊池さんだけで充分だのに。

 突然オカルトめいたことを話し読者諸氏は面食らっているかもしれない。みつきさんとの二年半はこういった事象の連続だった。僕は世界を知った気でいた。しかし自身の裁量であがないきれない分野があり、そこも含めて世界なのだと否が応にも気付かされた。だって目前で繰り広げられるのだもの。体験してしまったのだから信じざるを得ない。何よりこれの否定はつまりみつきさんの存在をも疑うことに繋がるわけだ。みつきさんはもういないのだ。僕だけは一生覚えていなければならない。

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