学サー1-12

 その次の日の昼食会に渚は来なかった。会費は今度立て替えるからとメッセージが入っており「大丈夫か?」との言葉には既読マークが点るのみで何のコメントも返されなかった。どころかサークル長たる菊池さんも現れない。電話を試みるも繋がらない。前原先輩が怒りを露わに「あの馬鹿はまたどっかで酔い潰れてんだろ。放っとけ。始めよう」と。

 初めて来る店だから不安はあったが、バイキングの品数も多くおおむね好評であり、幹事を務めた身としてほっと胸を撫で下ろした。しかし菊池さんがサークルの行事に顔を出さぬのも珍しい。ちゃらんぽらんな性格なれどサークルへの愛が大きい人物であるからして長と任命されたはずだ。前原先輩も首を傾げていた。新入生がまた何人か入会したところでもありその顔合わせを兼ねている。いつもならドリンクバーの飲み物を適当に混ぜ合わせ一発芸と称し煽る菊池さんの姿があるはずだのに、上野健二の失踪と被り内心は穏やかでいられない。

「ねえ、ナギちゃんは? 今日ナギちゃんも来るんじゃなかったっけ?」

 食事そっちのけでスイーツばかりを皿に盛る奈々子は今日も相変わらずだ。この暑さのなかピンクのフリルブラウスで武装している。新入会生が女の子ばかりだから面白くないのだろう。ふくれっ面でケーキをつつく。普段より大人しいのは楽でいい。

「ん、分かんないけど、最近体調悪いみたい」

「ふーん、ナギちゃんいないとナナつまんない」

 ならば新入会生のところにでも行けば良いものを。

「ナギちゃん前にビーズのアクセとか言って悩んでなかったっけ」

 ああ、奈々子は独善的に見えて他者の話をきちんと覚えている。あからさまな猫かぶりの癖にして交友が途切れないのは根の生真面目さが透けるからだろう。僕はスマホで撮ったネックレスの残骸を奈々子に見せる。

「まだ悩んでるみたい」

「ナギちゃんの言ってたネックレスてこれ?」

「ああ」

「たしかにおもちゃのビーズね」

「渚も身に覚え無いって」

「んーこれ、ナナが子供のころ持ってたのと似てる」

「食玩で良くあるデザインだしな」

「ナギちゃんかあいそ。ナナこわーい」

 出たよぶりっ子。奈々子はそのまま前原先輩にくっつきに行った。最近は上野から前原先輩へ鞍替くらがえしたようだ。大翔はどう感じているだろう。彼は席の隅のほうで肉を頬張っている。大翔の中で奈々子はどういう存在なのだろう。地下アイドルのようなものか。それとも恋愛対象なのか。

 そのうちに渚から返事が来る。

「ももかさんにバッグもらっちゃった」

 意味が分からんのよ。

会が解散するやいなや直ちに渚宅へと向かった。

 いま自分は明確に苛立っていた。だが何にと問えば自分にと返すほか無い。

 僕を取り巻く環境が明らかに変遷していた。緩やかに何事も無く移り行くのが生なのだと蒙昧もうまいにも信じていたし、努力を怠らず選択を誤らなければ順風たるのだと思ってもいた。地続きの日常が蛇行を始めるだなんて思いもしなかった。他者のことなど変えようもない。制御できぬのだから天災に近しい。おののくのは、何の心構えもしておかなかった自分自身にだ。豪雨が来て出し放しの原チャリを水没させておいて、まさかここまで降るだなんて思わなかったんですとやるようなものだ。後輩が一人消えた。別の同期は精神に不調を来たし始めた。……そう。口に出しはしなかったが。元はおかしくなったのだと決めつけていた。実際には幻覚でもなんでもなく現実として起こっていたことのようだ。渚のネックレスのことだ。そんな渚に不審なお水女が接触してきた。カルト狂信者かも知れぬ女が近づいて来たのだ。そうして今日、どうせ徹マンのうえの寝坊だろうが、サークル長は現れない。連絡もつかなかった。上野と同様に彼の行方もようと知れぬのでないかと恐ろしくなる。僕は苦というものに無頓着だったのだ。

 来週からは順次、前期末試験が始まる。上野は大丈夫だろうか。出席日数が足りたとしてもテストが提出されねばどうしようもない。全単位落とすつもりか。一体どこへ行っちまったんだよ。昼食会で誰も話題にせぬのははばかられたからなのか。大翔の言うように僕が不安視し過ぎているだけだろうか。だとしても気にかかってしまうのは仕方のないことだろう。

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