学サー1-11

 さて、美咲渚は在宅していた。

 上野のことがあり嫌な予感が拭えずいたものだから、呼び鈴に応じて覗いた渚の顔を見た途端に力が抜けた。

「あれ、雅人くん」

 元気なら返信くらいはしておくれよ。ともかく杞憂で良かった。無事ならそれで良い。

 先般とは違いドルフィンパンツでは無かった。目ざとく太もものあたりを確認した自身を恥じる。けれどそんな自責もすぐに消し飛ぶ。

「いまちょうどお客さん来ててさ。暑いし、上がって待ってて」

 部屋の中を見やり、思わず息を飲んでしまった。みつきさんだ。渚宅に先ほどの美女がいたのだ。

「少年、今しがたぶりだね」

「あれ、知り合い?」

 どこでどう追い越してきやがった。どうして渚んちなんかにいやがる。みつきさんは座布団に正座をしている。上体が床と垂直に伸び、あまりの姿勢の良さにマネキンかのような錯覚感を覚える。

「知り合いてわけじゃ……。渚こそこの人と……」

「私も知り合いじゃないけど……」

「意味わかんねえ、意味わかんねえて」

「あのさ、でも危ない人に見えんくて」

 本当に意味が分からん。知り合いじゃないとはなんだ。家に上がり込んでいるのに知り合いじゃないとはなんだ。そも、僕はさっき置いてきぼりにしたはず。まさかついて来たのか。だとしてなんで先回りができる。渚のとこにいるのは偶然か。この女は何かがおかしい。

「渚、警察に……」

 考えも何も思考が固まらなかった。どうにか思い付いたのは警察への通報だった。紛うことなき不審者なのだ。この女こそ学生を食い物にするカルト某に違いない。もうそのように思うほかなかったのだ。

 僕らが入り口で言い争うなか、みつきさんはこちらへ向き直り三つ指をついた。大きな瞳に射抜かれ二人とも声が出せなくなった。女はそのままこうべを垂れた。紐状のピアスが揺れたと思えば、すぐに髪がさらりと覆う。大人の土下座なんて初めて目にする。この女の所作はいちいち美しい。僕は見惚れてしまった。渚はすぐに女の脇へ飛んで行った。

「そんな、顔を上げてください」

 渚が女の肩に手を添える。不審者だぞ。どうしてこうも思いやれる。

「誓って怪しい者ではありません。お話をお聞かせいただきたいだけなんです」

 財布の中から何かを取り出し、床に並べ、また頭を床につける。

「すみません。また日を改めます。お話いただけるようでしたらメッセージをいただけませんでしょうか。たしかにそちらの方のご懸念の通りです。私の認識が甘うございました。なにとぞ無礼をおゆるしください」

「え、あ、あの」

 これがこういう手合いのやり口なのだろうか。それとも……? 

 みつきさんの使い走りをするようになってからこの時のことを聞いてみた。そうしたら「長年追って来たものの手がかりがあったんだから。恥も何も無いだろう」と。そうだとしてこれは無い。差し出されたものは飲み屋の名刺だったのだから。

不躾ぶしつけで申し訳ありませんでした。名刺を置いて行きますのでどうか連絡をください」

 みつきさんは顔を上げ、そのまままた叩頭こうとうしてから部屋を出て行った。僕も渚も力が抜けてへたり込んだ。二枚の名刺は紫色の華美な柄であり、明らかに夜の店のそれだった。名は「ももか」とあった。どう考えても源氏名じゃないか。土下座をするくらい必死ならもう少し脇を固めてから来るべきじゃないのか。僕らはそれを分け合って収めた。

 しばらくは二人とも無言のままいた。渚が入れてくれたお茶を一息に飲み干して、何か異常なことに巻き込まれつつあるのでないかと僕は薄ぼんやり感じていた。

 今日はおかしな現象に滅入ってしまったからサボったのだと、渚は独りごちた。リフレッシュできたようには見受けられ無い。

 そのうち渚がくしゃくしゃのビニール袋を投げて寄越す。中にはおもちゃのビーズがまとめられてあった。数はさほど多くない。どれもクリスタル系統の色味であった。ぴんと来た。例のネックレスの残骸で無いのか。思わず顔を見合わせると、渚は首をゆっくりと縦に振る。真夜中、寝付き悪く目を覚ますと、自身の体を何本ものネックレスが這っていたのだと言う。振り払うと床に落ち、先日と同様に逃げ惑う動作をとったと思ったところで、うち二本が突然弾け飛んだのだと言う。訳が分からない。全く訳が分からない。ももかと名乗る女のことについてもだ。頭がどうにかなってしまったのでなかろうか。先般までの平穏はどこへ行ったというのか。

「単なる家出じゃないとしたら俺らも危ないんじゃねえの」

 大翔の言葉が思い起こされる。まさかネックレスと上野の失踪とに関連があったりはしないよな。ネックレスが人をさらうのか。あってたまるか。何の変哲もないおもちゃのビーズだ。僕はそれを写真に収めた。今日の渚は「もっといてもいいよ」とは言わなかった。

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