学サー1-10

 渚の姿が二日見えなかった。学科の女子が「美咲さん風邪かなぁ」と話していたし、僕の元にも特段の連絡は入らなかった。一日だけなら良かった。渚にだってサボりたい日はあるだろう。けれど連日だ。どうしても良くない想像と結びついてしまう。昼食時に菊池さんと出会い不安を吐露してみるも「図書館の書庫とか広いからさぁ」と。手を出さなかった僕を誰か褒めて欲しい。

 さて、下河辺みつきさんとのファーストコンタクトはここでやっと成される。

 放課後、渚の家へ寄るべくシャッター通りを歩いていると肩を叩かれる。振り向けばそれがみつきさんだった。大翔のバイト先にいた美人さんだとすぐ思い当たる。くっきりとした目鼻立ちに華奢な体躯たいくで、画面の向こうから抜け出てきた女優のようだった。アーモンド形の瞳は大きく、その目が僕を捉えているというそれだけの事実に顔が赤らんだ。

「なあ少年」

 ずるいよなあ。美人のお姉さんの二人称が「少年」だなんてさ。本当に映画の登場人物のようで胸まで高鳴ってきた。それも二の句を聞くまでだったけれど。

「少年、何か変なことに巻き込まれているだろう」

 カルト宗教の勧誘かよ。

 みつきさんは少しだらしがない。黙っていさえいれば絶世の美女だのにだいたいいつも酒のことしか話しやがらん。何が入るんだと思うくらいに小さい鞄の中からスキットルが出てきた時やなんかは肩が外れるかと思うほどの衝撃だった。口にあてる様は絵になる。が、その後のおらび声はおっさんでしかない。僕の周りにはなぜ残念美人ばかりが集うのか。見た目との乖離かいりが無いのは渚くらいのものだ。しばらくみつきさんのことは胡散臭い人物と思っていた。何に入信させられるか、どんな壺を売りつけられるかと警戒していた。美形が勧誘の矢面に立つのだという噂は本当なのだと信じ切った。これもコミュニケーションに難のあるみつきさんが悪い。いわゆるコミュ障とは思わぬまでも、みつきさんにはどこか躊躇ためらいがある。自己開示をしない。対話者との距離を縮めてこない。上辺を取り繕うばかりの耳触りの良い言葉しか発さない。本心を何も見せてこない。これで信じよと言うほうがおかしかろう。

 昔は賑わっていたのだろう商店街は河川港の衰亡とともにシャッター通りへと変じている。商ってあるのは古臭い自動販売機くらいで、腹を空かせていよう高校生らが自転車で脇を飛ばして行く。肩に置かれた掌から甘い香りが立ち、香水に詳しく無い僕には「綺麗で大人なお姉さんの匂い」と感じられた。そんな人物はこれまでの僕の人生に関わってこなかった。だから返事にも惑ってしまった。

「あの、なんですか」

 それ以上の語は継げなかった。シチュエーションは怪しけれど、気づけばみつきさんの瞳から目線を外せないままいた。色素の薄い、いつまでも見飽きない華麗さだった。きりと立ち上がる細眉が彩る。自身の頬が徐々に熱を帯びていく。それでも顔は逸らせなかった。

「や、怪しい者じゃないよ。何か変なことに巻き込まれているんだろう。助けてやろうと思って」

 怪しさしか無い。僕はどうにか「結構です」とだけもごもごと発す。

「違う。怪しい勧誘なんかじゃない。信じてほしい」

 みつきさんは取り繕うように言葉を重ねる。

「蛇か何かで悩んでるんだろう。私にも関係のあることかもしれなくて声をかけてる。や、本当なら依頼料もあるんだがタダで良い。信じてほしい。話だけでも聞かせてほしい。私は怪しい者じゃない」

 ますます怪しさしか感じられないんよ。そも、巻き込まれただの蛇だの、内容についてもよく分からん。例の乳出し先輩のごとく、喋れば喋るだけボロの出る人物だった。僕はようやく肩の手を払う。

「あの、意味が分からないです」

「すまん。変なこと言ってる。けどいま身の回りで変なことが起こってるんじゃないか」

「起こってないですし、だとしても頼るなら警察に行きます。失礼します」

 僕はどうにか美女の視線を振り解き歩き出す。そういえば大学の連絡板に「学生を狙ったカルト教団への勧誘が多発しています。注意」とのビラが貼り付けてあった。これがそうなのかもしれないとしばらくは考えていた。いや、いま思っても似たようなものか。彼女はオカルトを扱い、依頼者の不安を煽り金を吐き出させる。みつきさんは嘘を言わない。だとして、カルト教団との違いなんてほとんど無いでないか。この時の僕よ。取り合わず良かった、グッジョブだ。美人に目が眩み「話だけでも」などとならなくて良かった。

 けれど僕だって男だもんで、あの美人をもう一度見ておきたいと振り返る。しかしてみつきさんはすでにいなくなっていた。おかしい。この一角に横道なんて無い。どこかの空き店舗が根城なのかもしれない。どこかの建屋に入ったのだろう。僕は無理矢理と自身を納得させ渚の元へと歩を早めた。

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