学サー1-7
上野宅から戻り珍しく一人で酒を開けたから悪酔いしたのかもしれない。気づけばオタ飲みモンスの面々が僕の部屋の壁沿いに座しており、僕の手足が動かないことからこれは夢の中の出来事なのだと気づくことができた。みな手に缶ビールを掲げ、僕だけがベッドに伏していた。それぞれの名は識別できるのに顔は不自然にも黒く霞がかかっており、それが交互に口を開く。
「新庄雅人って、変な名前だな」
これはおそらく菊池透だ。菊池さんがそう発し、酒を煽る。
「おまえ上野のこと見捨てて帰ってきたのかよ」
これは前原敦久だ。前原先輩も缶を掲げてから煽ってみせた。夢なのだと気づいてはいたが、先輩が実はこのように思っていたらなどと考えれば少なからずショックだった。
「雅人くんさ、」これは人見奈々子。「いっつも日和見で傷つくのが怖いお子ちゃまなのよね」
図星だった。反問したくとも体は動かぬ。夢だとしても残酷に過ぎないか。
「おまえ八方美人なんよ」
次は斉藤大翔だ。大翔もビールを一口含んでみせ、しかし同様に表情は曇り窺うことはできなかった。
そのうち部屋の中に、ずるり、ずるりと、何物かの気配が現れる。相変わらず僕の体は動かない。その物体を正視することは叶わなかった。その大きな影は面々の前に陣取り、腕のようなものを振るう動作を見せる。そのたびモンスのメンツが一人ずつかき消えていく。彼らの持つ缶が床に打ち捨てられ、夢の中だというに饐えたアルコールの臭いが充満する。やがてその影は最後の一人の首を落とす。相変わらず首自体の判別はできなかったがその持ち主は美咲渚なのだとなぜか理解ができていた。あわせて渚の手にした酒が辺りに撒き散らされ、背けることすらできぬ僕の鼻筋に飛沫が着地する。その一滴の匂いでもう酔ってしまいそうだった。影は僕の方へと向き直る。眼前のことだというにその影の正体を見ることはできなかった。影の、しなる突起の先には大きな爪のようなものがあり、振りかぶるそれだけはかろうじて認識ができた。本体部分は一昔前の映像作品のようにノイズがかり、ずんぐりとあるシルエットは鈍重の印象を与えるくせして爪は知覚する間もなく僕の首を貫いた。
視界がぐらりと傾く。
そして、スマホが鳴り響き飛び起きた。
やはり夢だったのだ。夢にしてはリアリティが強く僕は自身の首を押さえたまましばらく動けなかった。喉の奥から酸い液体が込み上げるのを懸命に抑え込む。まだ夜は明けてもいない。先ほどからスマホが鳴り止まない。画面には「美咲渚」との文字が光り、
やっと体も落ち着いてから水道水を夢中で流し入れる。生温い液体が喉を滑り落ちる感触は僕に平静を連れてきた。気の良いあいつらがそんな風に考えるだなんてことは無いはずだ。これは夢だ。きっと酒を飲んで寝たからこのようなネガティヴに苛まれただけなのだ。
そのうち部屋のインターフォンが響く。こんな夜更けだぞ。驚きグラスを取り落としそうになった。スマホはなおも着信を告げており呼び鈴と混ざりひどい不協和音を奏でる。まさかまだ夢の中に囚われているのだろうか。そんな馬鹿な。こわごわと戸の前に立ちドアスコープを覗き見やると、穴の中いっぱいに瞳が映し出され僕は「ひゃっ」との声を抑えきれず尻餅をついてしまった。
「ねえ雅人くん、雅人くん」
今度は扉が直に叩かれる。この声は渚でないか。
「ねえお願い、開けて」
なんでこんな時間に。恥ずかしながら恐怖が勝り四肢が震えていた。ただ解錠するだけなのに力が入らなかった。滑りうまく回らぬドアロックが指先から抜けカチャンと音の立つたび、「ねえ早く」と戸が殴打される。
いや待て。なぜ渚が僕の家を知っている。
僕はスマホを取りに走った。ほうほうの体だった。鍵を開くことには手間取ったのに、扉から遠ざかる動作には問題がなかった。情け無いなどと言ってくれるな。深夜の訪問はそれだけで恐ろしい。
スマホのディスプレイにはやはり「美咲渚」とある。しかし外の人物が電話を使用しているようには感じられない。
駄目だ。もう叩きつけられるドアの音にも呼び出しの着信音にも気が振れてしまいそうだ。僕は画面をスワイプし耳に当てた。
「雅人くん、あ、雅人くんやっと出た助けて、助けて」
泣き叫ぶような声音だった。瞬間、部屋には静寂が訪れた。つい今しがたまでの物音が嘘だったかのように静まり返る。僕はおかしくなってしまったのだろうか。いま渚が部屋に来ていただって? あれはたしかに渚の声だった。うちに来たことも無い渚が? いた? スピーカーの向こうからは半狂乱の声が聞こえる。
「ネックレス、またネックレス。ネックレス今度は動いて。ネックレスが、動いて」
状況が全く見えてこない。申し訳ない。いまは他人に構っていられる状態じゃなかったのだ。
「渚、いまどこだ」
なんとか声を振り絞る。腹の中身が逆流しそうだ。渚が金切り声で被せてくる。視界がぐるんぐるんと揺れた。
「家、家だって。だからネックレス。助けて、どうして」
「すぐ行くから、すまん、体調が悪い。切る。すまん切る」
割り込むようにそれだけ吐き捨て強引に終話させた。やはり部屋は静かだ。とうとう耐えきれず嘔吐した。胃液がべちゃりと床に散らされる。世界がぐらぐらと歪み立っていられなくなった。地につける手には揺れが伝わらない。そうか、酔っているのだ。この状態が酔いであるなら僕は悪いことをした。これからはもっと菊池さんを労わらなければ。
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