学サー1-5
上野健二が消えたのはこの月の終わり頃だった。食堂で鉢合わせた奈々子が「上野くん未読スルーなんだけど」と言っており気にはなっていた。ついに上野も、人見奈々子からの攻勢に嫌気が差したかと思わないでもなかったが、けれど彼の性格上無視はあり得ない。そんな折の前原先輩の言葉だ。
「健二のこと何か聞いてないか。や、事務局の人がさ、健二、学校来てないて。俺らで何か聞いてないかって尋ねられてさ」
菊池さんでなく前原先輩のところに話が来るのだな。事務方でも菊池さんは頼りにならぬとの判断なのだろうか。たしかに彼なら「上野っすか? 聞いてないすね。農学部棟広いですからねぇ、畑で遭難してんじゃないすかね」くらいは言い
「申し訳ないですけど僕も何もわからないです。奈々子も返信が無いとは言ってましたけど」
「だよなぁ、学校側もご実家に連絡とるみたい」
「上野なら無断で欠席なんて無さそうですもんね」
「弱ったなぁ。突然暑くなったろ。倒れてないといいけど」
今年は梅雨が遅れるということで待ち兼ねた夏がフライング気味に顔を覗かせていた。農学の奴らが畑やらビニールハウスやらでごそごそと動いているのは知っている。急な熱中症にでもなっていたら大事だ。前原先輩はサークルの入会書を見て家へ行ってみると言い、僕も何かあった時には人手がいるだろうからと同行した。
上野は学生街からやや外れた辺りに部屋を借りているようで、道中久しぶりに緑を目にした。五コマ目の終わりだというにまだ日は明るく、用水路の水の音が右の耳を心地良くくすぐる。田んぼの脇を抜ければ青臭い独特の匂いが鼻を覆う。道の脇に鳥居が現れ、見やるとその奥は山の上へと続いている。少し足を伸ばせばこのような景色が連なるだなんて僕は知らずに過ごしていた。僕の下宿はうらびれた繁華街の隅にあるものだから、部屋にいようと他者の営みがゴミゴミ立ち込めている。人間の陽の息遣いが飛び込む部屋だと言い直そうか。
「ここ、じゃないか」
地図アプリを追っていた先輩が足を止めたのは古めかしい文化住宅の前でだった。なんとなく上野健二の住まいとして似合っている気がした。呼び鈴は無く僕らは戸を叩き上野の名を呼んだ。戸も窓も締め切られたそこからは何の反応も返ってこなかった。上野に電話をかけようとスマホを鳴らす先輩が、難しい顔をして言い放つ。
「着信音、聞こえねえよな、部屋から」
僕は窓に耳を近づけ応じる。
「聞こえないと思います」
「最悪だ。聞こえりゃまだ良かったんだ。そうすりゃ、少なくとも部屋には居るってことだから」
スマホを頬に付けながら前原先輩は、扉に手をやり頭を振った。
たしか上野はコンビニでバイトをしていたはずだ。しかし家にもおらぬのだから出勤もしていないのだろう。前原先輩も同じ考えに至ったはずだ。そもそもどの店か知らぬ。彼はどこへ行ったのか。学内で孤立したとは聞かぬ。何か事件に巻き込まれたのでなかろうか。菊池さんみたくしょっちゅうサボる糞野郎と違い、上野は気真面目だ。
「念のため事務局に報告してくる。こりゃもう学校に任せるしかない」
「警察ですかね」
「まずはご実家に連絡して、警察かもな」
「事務局もう帰ってるんじゃないでしょうか」
「誰か残業してるかもだろ。念のためだが早い方がいい」
報告は先輩に任せ僕は一人残ることとした。上野がひょっこり戻ってくるかもしれないから。
この時の僕は部屋の前に腰をかけながら、グレーの混じり行く空を眺め場違いにも綺麗だなどと考えていた。もちろん上野のことは心配だが頭のどこかで軽く考えていたのだ。上野だってもう成人だぞ。誰かイイ人ができてそいつの家にでもいるんじゃなかろうか。もしくは明日にでもひょっこり顔を出して「急に思い立って旅行に行ってました。連絡を入れずすみません」だなどとほざくのでないだろうか。しかし上野健二は帰って来ない。それどころかさらに一名、行方が知れぬようなる。
この時季の空に夕焼けは無く、眼前は見る間に黒へと染まって行く。つい先頃まで子供だった僕は、この「いつもと少しずつ違う気持ち悪さ」への感度が低かった。異常も非日常も毎日の延長として存在しているのだし、まるで異世界転生アニメのごとき「はい
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