学サー1-4

 一連の話をするからにはオタ飲みモンスの飲み会にも触れねばなるまい。

 僕、新庄雅人と美咲渚とは人文学部生の同期だった。女性の比率の高い学部で内向的な奴らが多いなか、社交的な美咲渚は男女の別なく友好的だった。僕らはそういった縁でつるんでいるに過ぎない。だというに進級早々、サークル長からの渚を引き込めとのご命令だ。切り出したのは風俗史の授業の最中だった。ノートの隅に「俺らの飲みサーに入りませんか」と書いて隣席の渚に寄せた。渚は「?」とだけ記して寄越した。

「サークル入ってないだろ?」

「まだ未成年」

「酒がメインじゃ無い。学内で友達作るためのサークル」

「困ってない」

「先輩とのツテ作るのに最適」

 風俗史の授業は選択科目というに人気があった。後藤孝文ごとうたかふみ准教授は授業の冒頭、いつだって同じフレーズを僕らに説く。

「前回も前々回も同じ話をしたわけであるが諸君らにはこれから何度も聞かせねばならない。これからの一年において絶対頭に残していただきたい事柄である。良いか。風俗とは性的な産業のことではない。これは、文学、文化学、民俗学等では補いきれぬ、活きた人間活動を知るための学問なのである。もちろんその中には諸君らの期待するような風俗も含まれる。しかし一要素に過ぎないわけであるし、私の講義においては特段扱わない。例年、私の門下に入っては実学のつもりか夜の街へ繰り出す者がある。研究としてならば大いに結構。性産業は風土を語る上で外せないものである。君たちは成人し自由を得たろう。しかし溺れるな。自由には自己を律する責任が伴う」

 風俗狂いとなる者が後を絶たないのだろう。後藤先生も大変だ。その契機として先生の名を挙げられては堪ったものでない。

 風俗史の講義は各地の食文化や祭祀さいしが中心であり、何よりレポートを出しさえすれば出席率は問われないからといった理由で人気のようだった。これが全く興味の無い内容であれば僕もサボっていたかもしれない。一日目から人身御供ひとみごくうの風習についてと話が始まったものだから折口信夫おりぐちのぶおの著作に傾倒けいとうしていた僕はもう後藤先生に心酔しんすいしてしまった。この学部に来てこの講義を真面目に受けるような奴なんてだいたいがそういった好き者だろう。深く話したことは無いにせよ渚もそうに決まっている。

 さて、オタ飲みモンスだ。六月の本会はちょうど風俗史の講義が終わったあとだったはずだ。大学の授業は一コマが長い。少しうたた寝して起きてもまだ授業が続いている。これが高校なら、一眠りして気づけばもう放課後だったろう。静岡の三股淵みつまたふちの伝説だかいうワードを書き取り書き取り、ようやっとの終令に大きく伸びをした。というか大体はいつもそうだ。九時から十九時前まで座りっぱなしだなんて、来年度はシラバスをきちんと読み設定せねばと後悔しきりの毎日だった。

 隣席の渚と連れ立って会場へ行くにもうメンバーは揃っており、サークルの長たる菊池透が「おう、こっちだ」と立ち上がって手招きする。菊池はいつもジャージ姿ばかりだ。袖をまくり上げるくらいなら半袖シャツにでも着替えれば良いものを。上級生となるほど出立ちに頓着せぬ。人前へ参上するのだからもっと気を使えと言いたい。自分はそんな先輩にはなるまいと密かに誓っていた。僕らは斉藤大翔の隣に腰を下ろした。

「では全員そろったようで。オタ飲みモンス、乾杯!」

 この日は時間制の食べ飲み放題だった。授業終わりの大学生だ。まずは唐揚げを五皿、刺身の盛り合わせを六皿、焼き鳥串の盛り合わせを十皿と重ねてオーダーし、注文を取りに来た店員もさすがに驚いた様子で「残されないようにだけお願いしますね」とやる。「あとシーザーサラダ大皿も」と人見奈々子が口を挟む。これではすぐに提供される品が無いでないか。僕も「カクテキ、つけもり、もろきゅう、一つずつお願いします」と添える。強くも無い癖してすぐ調子に乗る菊池さんがさっそく「一杯目飲んだ。ビールおかわり」と。おいおい、今回はもう吐いてくれるなよ。

「菊池さん相変わらずな」と大翔が部外者然とした涼しげな顔で呟く。僕はお前にも物申したいのだぞ。昼食会の幹事をすっぽかしやがって。

 斉藤大翔は僕らと同級生の、教育学部の二回生だった。いつもシックなファストファッションに身を包み、緩やかなパーマのかかる黒髪をセンターパートに分けていた。本人は「ガイルヘア、流行ってるんだと」などと言うが、僕などはガイルと聞けばトサカの立ったような髪型ばかり思い付く。見ての通りだ。チャラい。しかしなぜか馬が合う。サークル内ではこいつとつるんでばかりいた。純喫茶でバイトをしているというのは先刻話した通り。暇な時間に顔を出せば、たまにサービスのお茶請けをくれることもあり、まあ、ひょうきんな奴だ。

 そんな大翔が唐揚げを口に放り込みながら発する。

「人見さんも相変わらずな」

 僕は応じるのも面倒臭くただ相槌を打った。

 人見奈々子も僕らと同級の経済学部生だった。いつもピンクの何かを身につけているのもあり学内でよく目立つ。今日はベビーピンクのフリルブラウスにカシュクールのスカートを合わせている。菊池さんほど適当であれとは言わぬがさすがに人見奈々子のファッションは過剰に過ぎる。僕はなんとなく奈々子が苦手だった。女性ながら磊落らいらくな面がありサークル内にファンも多い。去年卒業した先輩らが奈々子を巡って競り合ったのだと風の噂に聞こえ、そんな男女の惚れた腫れたに巻き込まれたくも無い僕にとっては煩わしい存在だった。ただし先ほどからベタベタと肩を撫でられている菊池さんには気に入られている。実は大翔も奈々子に気があるので無いかと僕は常々考えている。

 そんな奈々子に渚が声をかける。

「ナナちゃん、菊池さんまた潰れちゃうって」

「だって反応かわいいし」

「ほどほどにね」

「おお、美咲さん俺の心配してくれるの」と菊池さんが大袈裟に万歳のポーズをとる。奈々子は「菊池さんほら、ナナのお酒もう飲んでくれないんですか」とピッチャーごと菊池の方へ寄せる。これはもう今回も駄目かも知れぬ。今日こそは菊池を捨てて帰ろう。

「そういや例のネックレスどうなった」

 渚はだし巻き卵を器用に割っているところだった。

「ん、どうにも。昨日もあった」

 大翔が話に被さってくる。

「何、ネックレスて」

「なんか朝起きたらおもちゃのネックレス落ちてるん。自分ちよ自分ち」

「整理整頓してないから」

「違うて。私のじゃないんよ」

「え、男?」

「男がネックレスて。おもちゃの? キモいキモい。私ほんとに悩んでるんて」

「なんか朝落ちてるけど気づいたらかき消えてんだと」と僕は助け舟を出す。

「消えるっても、気のせいじゃなくて?」大翔がジョッキを傾けながら問う。

「それ雅人くんにも言われたて。ムカつく。絶対あるもん」渚もグラスを煽りながら吐き捨てる。

 僕も重ねて問う。

「そういやネックレスてどんな?」

「ちっちゃい子がつけるようなの。ビーズのとか、女児アニメに出てくるようなんとか」

「写真ないん?」

「もう怖くて撮れんもん」

「え、何、なんの話?」とここで奈々子までが介入してくる。すでに菊池さんは潰されたようで、彼はしゃっくりを上げながら、素手でキャベツを千切っては並べる作業に没頭しているようだった。「いまオシャレの話してた?」

「や、じゃなくて、実は」またも僕が説明する羽目になる。

「え、何それ怖い。ナギちゃんかわいいんだから、ぜったいナギちゃん狙いの男の子のいたずらじゃんね。ナナ絶対そう思う。ね、ナナこわーい」

 どうも奈々子のぶりっ子のダシにされてしまったようだ。渚も苦い顔をしてサラダを選りに立ち、この話題は打ち切られた。

 あっという間の二時間だった。これだけ飲み食いすれば元は充分に取れたろう。酔い潰れた菊池さんの代わりに前原先輩が会費を徴収し、しかし先輩は僕の分を受け取らなかった。

「雅人、お前、前の分の菊池の立て替えたままだろう。菊池のとこから抜くしお前はいいよ」

 さすが前原先輩。菊池さんとは違って頼れる先輩だ。けれど渚を入会させた分もあるんだよなぁ。今期のサークル長はどうも頼りない。この約定は本当に果たされるのだろうか。

 さて、一連の怪異事件に我がサークルが関係しているからといって、やはり登場人物が多すぎただろうか。出てくる女子は二人だ。美咲渚と人見奈々子。前者が僕と同じ学部であり、後者は猫かぶりだ。そして男子はサークル長の菊池透に副リーダーの前原敦久まえはらあつひさ、僕と同級の斉藤大翔だ。本当なら僕らはもっと大所帯だし菊池さんにも負けぬほど癖の強い奴らがゴロゴロいる。毎回収拾がつかず困っているのだ。今も大翔など、酔っ払いブラ紐を見せつける女先輩を指差し囃し立てている。奈々子は空のジョッキを掴んで放さぬまま「ねえ! 上野くんは上野くん。上野くんマルコメ坊主でくりんくりん上野くん!」と喚き散らす。ああ、そうか、上野健二うえのけんじを忘れていた。なんたって上野はこの後すぐ失踪するのだ。触れねばなるまい。

 上野健二も僕らと同じ二回生だった。何を専攻しているか農学部に所属し、いつもツナギを着て学内をうろついていた。大翔に言わせれば「農学て実習三昧なんだと。さすがにオシャレ捨てるのはかわいそうだわ」と。そんな上野はまだ誕生日を迎えておらず本会には出られない。奈々子はよく彼の坊主頭を撫で回しては遊んでいた。彼はあまり喋る方で無いから、そんな折には「ちょっと人見さん、距離感が」と言っては手を振り払う。「上野くんナナのこと嫌いになった」と奈々子が泣き真似をし「や、違くて」と取りなすこれらやり取りはサークルのいつもの光景だった。登場人物はこんなものだ。あとは学外の方だが根木さんくらいか。根木さんのことはまた後ほど話そうと思う。ただ覚えきれぬだろうからお禰宜ねぎの根木さんなのだとだけ知っておいていただければ障りない。

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