学サー1-2

 思えば下河辺しもこうべみつきさんとの初遭遇はあの六月のことだったし、一連の事件の発端も同じくしてこの時だったはずだ。同級生の美咲渚みさきなぎさと待ち合わせた純喫茶の端に彼女はいた。目についたのには容姿の端麗さがあったからに違いない。白に近いほど色を抜いた銀髪の丸みショートを揺らしながら彼女はカレーを食べていた。向き合いわしわしと召し上がる彼女の姿に店内中の視線が寄せられた。誰もが盗み見たのだから僕だけの気色の悪い行いで無かったことは断っておきたい。コーヒーの匂いに混じりクミンの香が漂う。ジェルネイルの爪の先でつまみ上げられたスプーンが米飯を掬い取り、それが彼女の薄い口に吸い込まれていく。やがて食べ終えると水を一口含み丁寧に手を合わす。こんなひなびた店には似つかわしく無い慇懃いんぎんな所作であり、こんなところでお見かけするにはあまりにも美人に過ぎた。隣席の男性客は見とれるあまり指に挟んだ煙草をフィルターまで焦がしていた。いつも不真面目の糞バイト野郎に至っては、食後のコーヒーを本当に食後丁度に持って来やがった。こう、目を引くような人物だったから、僕はこの日のことをしっかり覚えていたのだ。

 待ち合わせの美咲渚は、現れるなり目配せで店員を呼びつけ「アイスオレお願いします」と発した。不真面目かつ美人に鼻の下伸ばし糞野郎のバイト店員は、僕ら二人ともと顔見知りだというに素知らぬ顔で「かしこまりました」とだけ応じ裏へ引き下がる。美咲渚だって目鼻立ちが整っている部類だろうにカーゴパンツとトレーナーパーカーといったスタイルでは少し幼く見えた。

「雅人くん、次の昼食会の予定立った?」

 無線式イヤフォンを充電ケースに収めながら渚は声をくれる。渚は袖を捲り上げており手首に巻かれた時計が曝け出されていた。先日までの雨もどこかへ失せ汗ばむ時季が転がり込むようにやってきていた。僕もバタバタと半袖シャツを引っ張り出したところであり、それでも小走りするだけでじんわりと滲む陽気だった。

「うん、結局はこないだの第一候補にした。他はさすがに人数入りきらないみたいでさ」

「やっぱりねえ、菊池さんのことが無ければねぇ」

「昼の大所帯なんてこのへんもう」

「しょうがない。もっと暑くなったらバーベキューでお茶濁しましょ」

 昼食会というのは僕らのサークル活動のことだった。飲みサークル「オタ飲みモンス」だなんて。なんでこんな馬鹿みたいな名のサークルに入ったか。会員全体でご飯を食べに行くのが昼食会、対して二十才以上だけで集まって飲み会を開くのが本会。本当になんで入会したか。先輩たちから過去問をせしめるのには役立つが、日々の企画は荷が重い。昼食会は二回生が持ち回って幹事をする習わしだが、誰もが騒ぎたいだけで仕切らぬから、必然、僕らの元へお鉢が回ってくる。渚だなんて今年度から中途入会したばかりのまだ新参だ。鼻の下伸ばし糞バイトの斉藤大翔さいとうひろとやなんか何も動かぬ。今日だって当てこすりで奴のバイト先に集合したというに一言も詫びを入れやがらん。

「そういや嫌に遅かったけど」

 ガムシロップを垂らしたオレをかき混ぜながら渚が応じる。

「ん、後藤先生に捕まってさ」

「ああ、風俗史のレポート」

「出した?」

「まだ」

「見せないよ」

 渚がマドラーを動かす手を止め覗き込みながら釘を刺す。

「マ? 朝定食おごっても?」

「朝定一週間分なら」

「やー金ないっす」

「話にならん」

 なんのかのと言っても美咲渚は手伝ってくれるのだろうな。良く言えば面倒見の良いタイプであり、泣きつかれて彼女は捨て置かない。課題の丸写しはさせてくれぬにせよ、いつもノートを貸してくれる。そして尊大で無く、嫌味で無く、貸しを作ることを鼻にかけず、美咲渚は学部のアイドルだった。そんな渚の評判を聞きつけて僕に指令をくだしたのはサークル長たる菊池透きくちとおるだった。

「人文の美咲さんているだろ? 雅人お前サークルに引っ張って来いよ」

「は? 意味分かんないすよ」

「次の本会、お前の飲み代俺が出す」

 四千円ぽっちで引き連れて来たことは口が裂けても当人には言えぬ。

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