三鍋目。「ナビゲーター」と「アリゲーター」
甘い。
どれほど砂糖を入れれば、こんなに粘っこい甘さになるのだろう。
もしかして私、塩と砂糖を間違えて入れたのかな。
いや、それにしても甘すぎるよ。
こう、舌にべっとりまとわりつく感じ。
しかし不味いかと言われると、意外とそうでもない。
すこし雑穀を入れているので、砂糖粥っぽい雑炊みたいだ。
びっくりはしたけれど、食べられないほど嫌ではない。
「あれぇ?」
刺激的な味わいに、すっかり脳が覚めた私。困惑気味にもう一口含んでみる。
うん。少しシャリシャリしている。やっぱりお砂糖だ。
ウチにあるはずもない調味料だ。
それなら、一体なぜ――。
「……ん?」
既に月が空にかかっている時間帯だ。
手元にランプが一つという、心細い光源。
辺りが暗くて姿は見えない。
けれど、近くの藪の中で、誰かがくすくすと笑いをこらえているような気がした。
声が、幼い。
子供なのかな。
多分、私に対して笑っているんだよね。一体、誰だろう。
子供の知り合いはいない。というより、知り合い自体存在しない。
あ、ずっと楽しそうに笑っている。
「引っかかった、やーいやーい」と言っているみたい。
――もしかして、砂糖を入れたのって……この子?
迷いに迷いに迷いに迷って。
私は腰を持ち上げ、藪の方へと忍び足で近づいた。
……たぶん、ここら辺。
「わっ!」
「きゃあっ」
私は両手を高く構えて、脅かすように覗き込んだ。
すると中にいた子供は声を上げて跳びあがった。
そしてそのまま影から転がり出て、私の足元で止まった。
「……」
「……」
目が合う。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「……」
「お姉ちゃん?」
――小さな、女の子。
両手で抱いたら、体に収まってしまいそう。
円らで、宝石をちりばめたような目。
霧雨のような、まっすぐでしなやかな髪。
そしてなによりも――ワニのような、愛くるしい着ぐるみ。
華奢な首を傾げて見つめてくる彼女に、私は言葉が出なかった。
一刻ほどが過ぎた後。
ようやく状況に順応してきた私は、ひとまず女の子の前で正座になった。
「ねえ君。お名前はなあに」
「ラーユ!」
元気で、ハキハキした声だ。
こっちまで、調子が上がってくる。
それにしても、変わった名前だ。訳もなく美味しそうに感じる。
「そう。ラーユちゃんは、どうしてここにいるのかな?」
「イタズラ!」
「そっか。君元気だねぇ」
もはや、文句を言う気もなくなってきた。
「ちなみに、どんなイタズラをしたのかな?」
「えっとねー。お姉ちゃんのお鍋に、いっぱいお砂糖入れた!」
「おー」
うん。うん。
やっぱりね。そうだと思ったよ。
一瞬だけ「君えらいねぇ」と言いかけた。が、それはさすがに可笑しいことに気が付いて、私は言葉を寸止めした。
ラーユは、ニマニマしながら観察されていることに気が付くと、はっとなって口を抑えた。
「ラーユはなんにも言ってない」
「もう遅いよー?」
まあ、別にいいけどね。毒を入れられた訳じゃああるまいし。
それよりも気になったことがあったので、ついでに訊いてみることにした。
「ねえラーユちゃん」
「なぁに」
「ラーユちゃんは、なんで私のところに来たのかな?」
「うーん……。あっ、思い出したぁ!」
どうやらイタズラに夢中で、本題が飛んでしまっていたみたいだ。
ラーユは着ぐるみの中から、くしゃりと形を崩した折り紙を引っ張り出した。
――紙飛行機だった。
二年間。
私が毎日のように飛ばしてきた、メンバー募集の紙飛行機。
とくん。
とくん。
リズムを刻むように、動悸が激しくなってきた。
ラーユは丁寧にその折り紙を広げると、両手で角を摘まんで掲げた。
「これ!ラーユ、お姉ちゃんの『ぱぁてぃ』に参加したい!」
また、フリーズしてしまった。
ラーユの言葉が、うまく吸収できなくて。
外の世界から、彼女に呼ばれているような気がする。
だけれど筋肉も、骨も、言うことを聞かなかった。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん。寝ちゃった?」
「え、あ。……寝てないよ。大丈夫」
結局は彼女に強めにシェイクされて、我に返った。
ラーユが言った言葉を、反芻する。
できるだけ自分に都合のいい解釈を、避けるように。
しかし何度考え直しても、変わらなかった。
ラーユは、目の前にいるこの着ぐるみの女の子は――私と一緒に冒険したいんだ。
突然の出来事に涙腺を緩ませながら。
私は、自嘲気味に尋ねてみた。
「私と、冒険がしたいの?」
「うん!」
「こんな見た目でも?」
我ながらに、意地悪な質問だ。
「?お姉ちゃん何言ってるの」
「……あれ」
いくら暗くてもランプがあるから、私の継ぎ接ぎの肌くらいは見えているはず。
次に私は、匂いは気にならないの、と訊いてみた。
するとまた、
「お姉ちゃん、よくわかんない」
と白けた反応をされた。
あれ。おかしいな。
普通の子なら、とっくに怖くて逃げちゃっているはずなのに。
予想外のリアクションに私が不思議がっていると、ラーユから一つの答えが上がった。
「ゾンビさんって、みんなお姉ちゃんみたいな感じじゃないの?」
――その澄み切った一言。
私は返す言葉が見つからなかった。
この、ラーユという女の子。
私の肌色も、匂いも、彼女はしっかりと感じていた。
だが彼女にとっては、それ以上でもそれ以下でもない。
ただただ、私が一人の「ゾンビ」である証――。
「……っ」
なんとか上を向いて、目じりにあふれた涙を隠した。
それから「ありがと」とだけ呟いた。
幸い喉が嗄れていて、口の形しかなかったから、ラーユには届くことはなかった。
私は動転をごまかすようにして、ラーユの頭を撫でた。
もちろん、着ぐるみ越しだ。
「……ラーユちゃん。お父さんお母さんは?」
「わかんない」
もしかして、訳ありなのかな。変なことをきいてしまったかもしれない。
私が慌てて話題を探していると、彼女の方から抗議の声が上がった。
「ラーユも立派なお仕事あるよ!だから安心して!」
「そっか。小さいのにえらいね」
「えへへ」
うん。素直な反応だ。癒される。
「ちなみに、何のお仕事?」
「『なびげーたー』!」
「……ほぇ?」
さすがに、目を点にせざるを得なかった。え。何。ナビゲーター?
私と同じってこと?
いやいや。たぶん聞き間違いだ。
ナビゲーターがナビゲーターを求めるはずがない。
それに、仮にこの子が本当にナビゲーターなら、とんでもないお話だ。
この職業に就くためには、少なくとも六年間の修業が必要だと言われている。
自然知識。魔法知識。人文。
それに加え、数々の体力の基準。
もしもこの女の子が純粋な「ヒト」ならば、遅くとも二歳くらいからトレーニングを始めたことになる。
――ま、まあ、「ヒト族」ではないかもしれないし、決めつけるのはよくないよね。
私が勝手にいろいろ思いめぐらせていると、ラーユの方から声がかかった。
「ねえお姉ちゃん、すごいね!『ぷろ』の『なびげーたー』だ!」
「え。ラーユちゃんもそうなんじゃないの」
「んーん。ラーユの夢!」
ああ、なるほどね。
キラキラで、澄んだ瞳を見ればわかる。
多分この子は、自分がすでに「ナビゲーター」になった体でいるのだ。
「だから、お姉ちゃんと一緒に冒険する!」
「ぇっと……」
なんと返事をすればいいのだろうか。大人ならまだしも、ラーユはまだ幼い。そんな子を冒険に連れていくのは、いささか無責任なような気がする。
ここは説得して、家へ帰したほうが無難――。
とはいえ、初めて私の募集に応えてくれた人だ。
そのやる気に満ちた顔を見れば、彼女の本気さが伝わってくる。
どう答えるのが正解なのだろうか。
闇鍋のようにごちゃまぜになった気持ちを整理しながら、私があーうー唸っていると、ラーユに両手を摘ままれた。
「お姉ちゃん、だめ?」
「……っ」
上目遣い。これは、ずるい。
でもお姉ちゃんは甘くないよ?
そんな可愛い顔したって駄目なものはダメ――。
「あれ、そういえばさ」
ふと思い出したことがあった。
彼女を連れていくとしても、帰すにしても、聞いておかなければいけない。
「ねえラーユちゃん。お家はどこら辺かな?」
「おうち?ないよ」
……え。
「じゃ、じゃあ、いつもどこでお休みしてるの」
「木の上とか、川の中とかだよ!」
指折りしながら、頑張って伝えてくるラーユ。
そうか。
この子、家がないんだ。
両親のこともわからなくて、暖かいお家もなくて。
もしかして、ずっと一人で生きてきたのかな。
私の心の中の天秤が、傾き始めていた。
「お姉ちゃん、大丈夫、怖くないないだよ!ラーユが守ったげる!ラーユ、強いから!」
子犬のように鼻を鳴らして、ラーユは両手を腰に当てた。
その自慢げな声に、私は思わずくすっと笑ってしまった。
「うん。わかった。いいよ。私でもいいなら――一緒に冒険しよ」
「うん!お姉ちゃんがいい!」
「……っ」
お世辞でも、昇天しそうなほど嬉しい。
「ねえお姉ちゃん、名前なぁに?」
「私はアンズ。好きに呼んで」
「アン姉!」
「ふふ、はい」
「ラーユのことも、呼び捨てでいいよ!」
「うん。……ラーユ」
「アン姉!」
「ラーユ」
「アン姉!」
お互いを結びつけるように、名前を呼びあう。
それだけなのに、心が躍った。
時間を忘れてしまうくらいに――。
「そういえば、ラーユ。その着ぐるみはなに?」
「これはね、『アリゲーター』だよ!」
アリゲーター。
たしか、ワニに近いけどワニじゃない、みたいな生き物だっけ。
というか。
「アリゲーター」着ぐるみの「ナビゲーター」って。
……ぷふっ。
私がその言葉遊びに笑いを堪えていると、ラーユと目が合った。
多分、本人は気づいていない。けれど私の真似するように、白い歯を見せてはにかんできた。
「さて。ラーユ。一緒に闇鍋を食べようか」
「やみなべ?」
「闇鍋というのはね。みんなで具を持ち合って、鍋料理にしたものだよ。ほら、これみたいに」
目の前に、鍋が一つ。
湯気が消えつつあるけれど、それでもその甘ったるさは伝わってくる。
「……」
「あれ、ラーユ?」
私の目を盗んで砂糖を盛った張本人、ラーユちゃん。
私がお面のような笑顔を見せると、彼女は気まずそうな顔をして後ろずさった。
今さら、自分のやらかしに気づいたらしい。
「ラーユ眠いから寝る」
「ちょおっと待とうかラーユちゃあん?」
「逃げろー!」
突如に始まる、追いかけっこ。
着ぐるみのフードが大きかったので、すぐに捕まえられた。
私はラーユを抱き上げて、横に座らせた。
一方で彼女のほうは絶望した顔を浮かべていた。
「ほら。これ、ラーユの分だよ」
「うへぇ……」
「まあま、食べてみてよ」
目をつむって、一口ぱくり。
「……あれ⁉美味しい!」
「そうそう。意外といけるよね」
たちまち、ラーユは茶碗いっぱいの闇鍋を平らげた。
舌なめずりしておかわりを求めている。
私は彼女にもう一杯よそってあげてから、自分の分も用意した。
「アン姉!」
「なぁに、ラーユ」
「頑張ろ!」
「……うん。頑張ろうね」
ラーユのことが心配だから、危険なところには行けないかもしれない。
しかし、私にとっては大きな一歩だ。
お疲れ様、アンズ。
ありがとう、ラーユ。
小さな物置小屋。
二人分の笑い声。
まだまだ、育ち盛り。
こうして、「闇鍋パーティー」は生まれたのだった。
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