二鍋目。「いつも」と「はじめて」

 私はアンズ。

 新人の「ナビゲーター」だ。

 長い、長い試験と実習を経て、ようやく成り上がったこの職業。

 この、輝かしい職業。

 いつか私もみんなのように、パーティーを引き連れて刺激的な冒険ができるんだ。


 ――と、思っていた頃が私にもありました。


 現実での私の一日をまとめてみる。


 朝起きて、食材集め。布団干し。

 冒険者たちが集まる「ギルドルーム」に立ち寄る。

 なお注意点。朝方は人が多くて目線が痛いので避けること。

 三時間ほど軽蔑の視線を吸収してから、我が家――物置小屋に戻ってくる。

 もう一回食材集め。すると、そろそろ鍋の時間。

 鍋を洗って、部屋の掃除をして、もう寝る時間。

 また一日、無駄にした。


 こんな感じ。

 ……かわいそう?

 ううん。そんなことないよ。

 私も、みんなの気持ちはよくわかるから。

 だって私「アンズ」はアンデッドの一種、「ゾンビ」なんだもの。


「ゾンビ」。

 いわゆる、死に損ない。

 生き物が一度命の幕を閉じた後に、なぜかそのまま目を醒ましてしまう現象。そこから生まれた存在を総じて、「アンデッド」と呼ぶ。

 そしてそのうち、肉体を維持しているタイプ。


 ――それが私、「ゾンビ」だ。


 ゾンビは肉体を持つけれど、血は既に枯れていることが多い。

 そのせいであちこちが腐って、変色している。

 そして、そこら辺の香水ではごまかせないほど強烈な、腐肉臭もする。


 そう。

 だから、こんなにもたくさんの優秀で「正常な人」が選べるのに、私を選ぶ人なんていない。

 横を向いたら変な顔色とか、行く先々に腐った匂いとか、嫌だもんね。

 私だって、嫌だよ。

 私を選ぶ人なんて、きっとよっぽどの変人さんだ。あるいは鼻が詰まっていて目が見えないのかもしれない。

 わかっている。

 わかっているよ。

 だけど。


 ――私は、諦めたくない。


 きっと誰かが、誰かが私の気持ちにこたえてくれる。その日まで、私は辛抱し続ける。

 ゾンビなんだから、ゾンビらしく「タフ」に行こうと思う。


 そんな気持ちを胸いっぱいにして、私は今日も


 これが私の、募集方法だ。

 紙飛行機に「メンバー募集」の旨を書いて、大空へと飛ばす。

 一日十枚。全部手書き。

 時経ること二年間、一日たりとも忘れたことはない。

 まあ大体はくしゃくしゃにされて、ゴミ箱に捨てられているが、それでも「行動をしない」よりはマシだと思う。



「よし、これで用意は完了」


 イケてるよ、アンズ。

 私は自分を奮い立たせて、物置小屋もとい家を出た。


 今日はどうしようか。マントを被ると怪しい人みたいに見えるから、あえて堂々とギルドに入ってみようかな。

 腐った皮膚は……もう、直しようがないね。無視。


 ギルドルームに到着だ。

 がらら。

 横開きのドアをスライドさせ、隙間から顔をのぞかせてみる。


「……っ」

 やっぱり、視線が痛い。

 私の存在に気付くと、誰もが顔をしかめてきた。


(うわまた来たのかアンデッド……なんでまだ退治されてねぇんだよ)

(あれじゃね。臭すぎて近づけない、みたいな)

(もうあたしが聖魔法でもかけてあげようかな。生きているほうが可哀そう)

(ここでやるなよ。ギルドルームが穢れる)


 ごめんね。

 ちょっとくらい、我慢していてね。


 それくらいならもう慣れた。

 だから、気にしない、気にしない。


 私は床のタイルに沿ってまっすぐ、受付へと向かった。

 受付嬢の一人が私の向かい側までやってくると、丁寧に腰を折って礼をした。


「いらっしゃいませ。職業『ナビゲーター』、アンズ様ですね」

「はい」


 普通の社会人の会話。むしろ、どちらかといえば、冷たいほう。

 それなのに、彼女の棘のないセリフにはぐっとくるものがあった。

 受付の子は表情筋一本すら動かさないまま、言った。


「今日の来館の目的を教えてください」

「メンバー募集です」


「メンバー募集ですね。スタッフスペースでお待ちになりますか」

「今、何人来ていますか」

「現在の段階では、お一方のみです」

「……ではスタッフスペースで待ちます」


 スタッフスペース。「ナビゲーター」などの職業の人が、メンバーを待つ場所だ。


「自己紹介についてですが、『種族』についての情報を伏せますか」

 私はやや躊躇ってから、返事をした。

「そのままで大丈夫です」


「かしこまりました。では、『ナビゲーター』募集中のパーティーが来館しましたら、お伝えいたします。それまで奥のスペースにてお待ちください」

「ありがとうございます」


 うん。

 ぎこちない会話ではあるけれど、こっちのほうが断然楽しい。

 この子に受付という仕事がなかったら、ずっとお話をしていたいくらい。


 私は彼女に案内され、いつもの部屋へと入っていった。



「あ」


 スタッフスペースには、受付の子が言っていたとおり、一人の青年が腕を組んで座っていた。

 私が部屋に足を踏み入れると、一瞬だけ片目を開けてこちらを見たが、すぐに閉じてしまった。瞑想中なのかな。

 うろきょろ。うろきょろ。

 いつもの場所なのに、なんだか居心地が悪い。


 なるべく迷惑が掛からなくて、匂いがわからないように。

 私は彼と対角線の位置に腰をそっと下ろした。

 壁に小窓がある。

 閉まっている。


 それから一時間。

 私は沈黙を徹したまま、メンバーの到来を待っていた。

 誰かと二人きりなんて、初めてだ。

 さすがにドキドキしたり、恋をしたりなんてことはない。ゾンビだからね。

 けれど、気まずいのは間違いない。


「……あの」


 青年に声をさりげなくかけてみた。返事はない。


「あの」


 今度は、片目をあけた。もしかしたら、これが彼の聞く態勢なのかもしれない。

 嫌な予想をめぐらす自分を押し込めながら、私は訊いてみることにした。


「……窓、開けないのですか」


 彼は、すぐには答えなかった。

 しかしまた瞑想タイムに入ると、おもむろに口を開いた。


「虫が入ってくるのが、嫌だ」

「そうなんですね」


 配慮してくれたのかもしれない。

 彼の仏頂面から真意を読み取ることはできない。

 しかしそれでもお茶が沸いたような温かみが、私の胸の中に充満した。


 ――初めてかもしれない。こんな気持ち。


 と思っていると、罰が当たった。

 浮かれた自分への平手打ちに、違いない。


 こんこん。

 ドアがノックされる。

 聞こえるのは、受付嬢の抑揚のない声。

「リュード様。パーティーの案内が一組です」


 この人の名前、リュードさんなんだね。

 彼は腰を持ち上げると、ドアを開けた。


 ――べべん。

 現れるのは、おしゃれを尽くした五人組。

 たぶん、冒険者だよね。

 そのリーダーらしき男の人がリュードさんに歩み寄ると、手を伸ばした。


「リーダーの『モーロ』だぜ。聞いた感じお前もう十年も『ナビゲーター』をやってきたんだろ。じゃあもう問題ないだろ。今日からナビよろしくー」


 の、ノリが軽い。

 というかこのリュードさん、もうそんなに長いことこのお仕事をやられていたんだね。

 大先輩だ。


 冒険者たちは機嫌がいいのか、大声で騒ぎたてながらリュードさんを歓迎していた。

 良かったですね、リュードさん。ぜひ頑張ってください。


 さて、その場で自己紹介が始まろうとしたとき。

 メンバーの中で、華麗な格好をした女王気質の女性が遮った。


「ちょっと待って」


 声に、棘がある。

 なんだか聞き慣れた感じだ。


 彼女は鼻をつまむと、我慢ならないという風に喚き出した。


「ちょっと何なのよこの部屋、臭すぎるわ!もうわたし我慢できないっ。あんたらは何にも思わないわけ?」


 するとほかのメンバーは口々に語り始めた。


「俺鼻が詰まってんだよな。まあ女は敏感だから気にするだろうけど」

「いやそれにしても確かに変な匂い。まるで死体でも転がっているようだ」


 ごめんてば。

 これだけは、もうどうしようもないから。


 しかしやっぱり問題なのはその女の人。

 私のことを見つけたらしく、それはもう大げさに嘆き始めた。


「えぇっ、もしかしてあの子?あそこにいる汚いの?あの子が臭いのかしら?もしかして体を洗っていないのかしらね⁉まったく可哀そうな子ね。ちゃんと毎日時間をかけて体のケアをすればいいのに。やっぱり貧乏だから――」


「その辺にしとけって」


 彼女の言葉を止めたのは、もう一人のメンバー。

 私が彼らに背を向けると、声のボリュームを下げて言った。


「人の事情だから」

「だって迷惑なんだもん」

「なら俺らが外に出よう」


 ――ばたん。


 冒険者たちが出ていくと、途端に部屋が静まった。無音。逆に少し、気分が悪いくらいに。

 ちくたく。メンバーを待っている間は、動き回ることが出来ない。

 暇な時間だ。

 もうすぐ、今日の分の苦行が終わる。


 私は勇気を振り絞って、生暖かいスタッフスペースから顔を出した。

 そしてテーブル席で酒を仰いでいる男の人に近づいた。

 なぜ、こんな人を標的にするのかって?

 だって、珍しく私に気付いても嫌な顔をしなかったから。

 それだけだよ。


「あの。ナビゲーター、探していませんか」

「あ?」


 焦点の合わない目。

 よほど、泥酔しているらしい。

 ダメそうだ。


「探しているぞ。お前なんかがちょうどいい」

「えっ、本当ですか!」


 意外な反応。思わず、声が上ずってしまった。

 嬉しい。

 やっと、やっとメンバーが見つかった――。


「今から行くか」

「えっ。どこに――」


 もう、昼下がりだ。思い付きだけで冒険に臨むのは、いくら筋骨隆々の男性でも避けるべき。

 そう思って私は提案をしようとした。

 しかし、彼の続けた言葉に、口を噤んでしまった。

「あ?決まってんだろ。宿だよ宿。いい体してんのに使われねえって、もったいねぇだろ。だから俺が使ってやるってんだ」

「……っ」


 あれ。

 宿?

 いい体?

 なんで。何の話なの。ナビゲーターが、欲しかったんじゃないの。


「怪我だかなんだかしらねぇけどよ。まあ、穴がありゃ何でも――」

「ごめんなさいっ……!」


 予想以上に、声を張ってしまった。

 腕をつかまれる寸前に抜け出して、私は受付へと速足で向かった。

 それから今日の募集を切り上げる旨を伝えて、ギルドルームから跳びだした。


 だめ。

 止まって。

 今日は閉館まで頑張るって約束だったじゃない。

 ねえ、アンズ――。


 息が上がっている。

 気づけば、ギルドルームがとても小さく見えるくらい離れていた。

 まるで、そろそろ消える氷のように。

 私だけがひとり、砂利道に立っていた。


 傾いた陽を浴びること一分くらい。

 私は自分を宥めるようにして、大きく背伸びをして深呼吸した。


「さぁてと帰ろっかな。私、がんばったよね。うん」





 こと、こと、こと。

 いつもの、聞きなれた音。

 蓋を外す。むわりと、白い湯気が顔を撫でた。

 うん。いい香り。

 今日は妙に集中ができなくて、何回か指を切ってしまったけれど、それなりに良いお鍋ができた。


「いい感じ」


 私は火をかき消すと、お玉で木の茶碗に一杯だけ掬った。

 ごろりと、不揃いな根菜が泳いでいる。


 さて、頑張った自分にご褒美だ。

 今日は、いろんな人と出会った。

 優しい出会いがあった分、いつもより苦い気持ちがした。


 ううん。

 また、明日も頑張らないと。

 自分で決めた道なんだから。

 こんなところで、泣いちゃだめ。


 無心にならないと。

 無心に――。


「お疲れ様、アンズ」


 私はこみあげてくる鉛のようなものを抑えて、それからスープを口に流し込んだ。


「……んぐっ⁉」


 身体を走る電撃。

 思わず、目を見開いた。

 はじめての強烈な違和感に、私は叫び声をあげた。


「ぅぇッ、甘ぁあっ……っ!!??!!?」


 そう。

 砂糖一粒入れた覚えのない、私のご褒美の鍋。


 それがなぜか――蜂蜜を濃縮したような、甘ったるい味がしたのだ。



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