第4話元女騎士、戦闘する

 僕らは教会から外の広場に出た。大勢いた周囲の取り巻き達も一緒に教会から出てくる様子は少しばかりシュールだった。紫色のローブを羽織ったままの彼らは広場の外周に沿うように円状に並び、中心にブリザードさんと隈のある男が一足一刀の間合いをもって向かいあう。僕はオーバ刀自の横で、他の人たちと同じように二人を見詰めている。


 二人の内、男は闘争心の充実した視線で女を見詰め、女はクールな視線でそんな男を見返している。


「改めて太陽光の下で見てもいい女だねえ、ブリザード・フメール。決めた。絶対に、誇り高き僕様の誇り高き性奴隷にしてみせる」

「それは無理だよ。君が私に勝つことは無い。それに、私は妾なんていう誰にでもなれるような職に就くつもりは毛頭ないんだ」


 隈のある若い男のドン引きするような気味の悪い発言にも、平然とした様子で淡々と応対するブリザードさん。それにしてもあの男、調子に乗りすぎだ。今すぐにでもこの右手であいつの幽霊のように青白い頬っぺたにグーパンチをお見舞いしてやりたい。はやる気持ちで身体がプルプルと震えてくる。武者震いってやつ。


「そう心配する必要はありませんじゃ。この試合、万に一つもブリザード・フメール様が負けの目はありませんじゃ」

 隣にいたオーバ刀自が宥めるように諭すように僕に言った。

 この老婆はブリザードさんに対して満腔の信頼を置いているらしい。自分の部下よりも重い信頼を。本当にそれでいいのだろうか。


 しかし、僕個人としては、刀自が絶対に負けないと言い、本人が絶対に勝つと宣言してもなお、ブリザード・フメールの敗着の可能性を脳内から払拭することが出来ない。

 彼女はかつて騎士団期待の新星と巷間で仄聞されていたくらいなのだから、その実力には確かなものがあるのだろう。けれど、僕は当時の彼女の活躍、武勇伝自体について、その仔細を熟知しているわけではない。厭世的な生活を送っていた弊害である。その上、ここ一年の、ほとんど家からも布団からも出ることなく、昼夜逆転の生活を送り、偏った栄養バランスの食事を摂取するという最悪に近い生活習慣を間近で目撃してきたことで、彼女の戦闘能力については非常に懐疑的だ。50メートルを走り切ることが可能なのかどうかすら怪しいと思っている。


「本当ですか?」

「ええ、ですじゃ。今回の試験相手—ミラミラミ・クローゼという男も優秀な戦闘員ですじゃが、それでもブリザード・フメール様の実力の百分の一にも及びませんじゃ。なにせフメール様はかつて帝国最強の騎士『七本槍』にも名を連ねたお方なのですじゃから」

「『七本槍』?何ですか、それって」

「付き人様はそんなことも知らないのですじゃ。世間知らずというか、常識知らずですじゃな」

「…………」


 悪かったな、常識知らずで。


「仕方がないから教えてあげますじゃ。『七本槍』とは帝国騎士団の中でも特に優秀な力を持つ七人に皇帝陛下から直接与えられる称号ですじゃ。彼ら七人はそれぞれ第一から第七分隊で隊長を務める、名実ともに騎士たちのリーダーのような存在なのですじゃ」


 なるほど。

 彼女は五年前期待の新星としてその雷名を轟かせた後に、そのまま面目躍如の働きでもって、帝国騎士団のトップ層まで上り詰めたというわけか。帝国騎士は全体でおよそ三万人と言われ、その練度は大陸諸国でも最高との呼び声が高い。そこの上位七人と言われると、確かに強そうに思えてくる。


「ですじゃから、ここは安心して試験を見守りますじゃ」

 オーバ刀自はまた杖で地面を叩いた。

 まだ完全に納得したわけではないけれど、僕にはその場で直立したまま、戦いの趨勢を見守ることしか出来ない。


「試験開始ですじゃ!!」

 オーバ刀自の掛け声で、男—ミラミラミ・クローゼとブリザード・フメールの戦闘は開始された。

 先に仕掛けたのはミラミラミだった。刀自の声が発せれるのとほぼ同時に一足一刀の間合いを突破し、女の懐に侵入する。右手を自身の体躯の左側に回したかと思うと、虚空から白銀の両刃剣を引き抜いた。


「吹き荒べ、我が刃——切り絶て、運命の光輪——『風神一閃』!!」

 魔力出力を高度に調節し、膨大な魔力を一振りに込めたことで達成する音速を超えた斬撃が、至近距離からブリザードさんを襲撃する。マッハを超えた動きによって発生したソニックブームをも巧みに操作し、斬撃に重ね合わせることで、金剛石をも容易に破却する暴力性を有するに至った一撃。しかし、それは彼女の右手によって完全に沈黙する。多大な魔力を消費して放ったはずの男の一刀は、刃を掴んだ彼女の右手、その皮膚の薄皮一枚をも傷つけることができなかった。


 男は手に持った両刃剣を離し、女から距離をとるために後方へ跳ぶ。


「なかなかやるねえ、誇り高き僕様の誇り高き一撃を素手で受け止めるだなんて」

 楽しくてしょうがないと言わんばかりに、ニヤリと、男が口角を上げる。男が見つめる先の彼女は、開戦前と同じく、冷然とした表情を崩すことなく続けている。


 ……すごい。

 あの攻撃はほとんど奇襲に近い形で決まり、懐に入った瞬間はブリザードさんも完全に無防備だった。そこに、強力な魔力を込めた一撃である。並みの騎士であれば百人程度その身体を両断しうるほどの衝撃を片手で、しかもかすり傷一つ負うことなく瞬時に受け止めるとは、確かに彼女は尋常ではない実力を、神業レヴェルの魔力制御を可能にするほどの類まれな能力を有しているのかもしれない。

 刹那の間に行われた戦闘に、観戦していた周囲の紫色たちから騒めきがおこる。


「返すよ、この剣」

 ブリザードさんは刃を右手に掴んだまま、両刃剣の柄をミラミラミに向ける。

「いいや、要らない。それは君へのプレゼントにしてあげよう。誇り高き僕様のコレクションの一つさ、決して物置の最深部で埃を被らせたりなんかせず、誇り高く取り扱ってくれよ?」


「そうか、ならば貰い受けよう。質屋に入れれば生活費の足しになるだろうしね」

ブリザードさんは剣が戦闘による土埃で汚れないよう、少し離れたところで丁重に地面に置いた。


 何平気な顔して生活費の足しとか言っているんだ、あのギャンブル中毒者は。自分で遊ぶ金を増やしたいだけだろうに。

 あの剣は試験が終了次第、僕の方で回収させてもらうことにしよう。


「あらあら、せっかく僕様が譲ってあげた剣は使わないのかい?いくら自信があるからって、それは少し傲岸が過ぎるんじゃないのかい?」

「武器を使うのはもうやめたんだ。今の私の心には、勇気という名の剣があるから」


 言う人によっては名言のようにも聞こえるセリフをブリザードさんが言った。僕には戯言にしか聞こえなかったけれど、ミラミラミには響いたようだった。名言は何を言うかではなく誰が言うかによって決まる、と巷間では言われているけれど、実際には何を聞くか、誰が聞くか、によって決定されるのかもしれない。


「ふむっ、誇り高くて大変よろしい。僕様はその誇りに敬意を表するよ。

——故に、僕様も十全の誇りをもって、その剣とやらを粉砕してみせよう」


 ミラミラミはそう言うと、両手を大きく横に開いた。

先程とは比にならないほどの強大に男の魔力が高まっていく。


「来ませい——誇り高き我の蒐集物達(コレクタ)——」

 彼の両拳に、またもやあるはずのないところから武器が顕現する。今度は右手にレイピアが、左手にはファルシオンが握られていた。


「避けられるならば避けてみろッ!!」

男が大地を蹴って勢いよく突撃する。その対象は白皙の佳人。かつて帝国全土に覇を唱え、最強の騎士『七本槍』にもその名を連ねたという逸話をもった伝説的ニート。

 右の刺突と左の斬撃を精緻に織り交ぜた、大胆不敵なようで極めて繊細な剣でもって、彼女に斬りかかる。時に右手と左手の武器を持ち換えながら行うその剣技は、一振り一刺し全てにおいて同じ型を二回と使用していない。それは単なる偶然ではなくて、無限に近い型を開発、習得、そして世代を超えて継承していった結果としての必然であることは想像に難くなかった。自分で誇り高いというだけはある。白銀の刃が薄暗い広場に淡く閃く。さながら帝都の路地裏に小宇宙のような空間が生成されたよう。男の剣技は確かに美しい。


 それに現在相対す女は、有名有実に誇り高き男の剣を、徒手空拳でもってすべて捌き切っている。刺突には爪の先で、斬撃には拳骨でもって、男の音速の剣技に完璧に対応している。そして彼女の身体はもちろん、着用している衣服に至るまで、何の瑕疵も散見されない。おそらく体内の魔力循環を衣服にまで順延させて、強靭な防護膜を形成しているのだろう。

「……っクッ!」

 高速の剣技の中、遽然ミラミラミに須臾の隙が発生する。手汗でファルシオンを握る左手が滑ったようだ。これまでの剣を完璧に捌き切るほどの技量を持った彼女がそれを看過するはずもなく、右足の前蹴りでもって男の鳩尾を豪快に抉った。


「ゴハァッッアッ!!!!!」

強烈な一蹴りに思わず武器を落とし、腹を抱えて前のめりの体勢になるミラミラミ。そこにブリザードさんは追撃として、ここを攻撃してくださいと言わんばかりに無防備なまま前に突き出た顎に向けてアッパーを炸裂させた。

バビューン!という効果音と共に、ミラミラミは束の間の無重力を体感し、その後二度ゴム毬のように跳ねてから仰向けで静止した。


「勝負ありましたかね…?」

流石にここから再起ないだろう。

そう思って、僕はオーバ刀自に訊ねた。

けれど、老婆は首を縦に振らなかった。どころか、横に振った。


「勝負あったもなかったも、ここからが本当の勝負ですじゃ」

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