第2話 元女騎士、廃教会で老婆と出逢う

 僕は彼女から少し遅れて下宿から出た。彼女は己の住処である古色蒼然とした賃貸を出ると、下宿に面した大路である帝都九番通りではなく、それとは反対側の迷路のように細い路地を進んでいった。

 

 右に曲がったかと思えば今度は左に曲がり、次は右かと思えば左の路地に這入っていく。よくもまあ、このような複雑な経路を迷うことなくスムーズに進むことが出来るものだ。かつて騎士団期待の新星と褒めそやされていた頃の名残なのだろうか。エリートの血しからしむるところのそれは、より社会的に有意義な場面において大いに発揮してもらいたいところだ。


「ついた、ここだよ」


 人がすれ違うこともできないような細い路を出ると、小さな広場のようなところに出た。四周を高い建物に囲まれているため少し薄暗いけれど、真上から降り注ぐ日光によって、地面には多少の芝が自生している。


 その広場の奥に、半分倒壊しかけている、見ているだけでも不安になってくるような木造の建築物があった。ところどころ天井部分が吹き飛んでいて、柱の何本かが首吊り死体のように宙吊りになってユラユラと不気味に揺れている。


「まさかとは思うのですが、あの子どもが誤って踏みつけちゃった模型みたいな有様になっちゃってる建物に入るんですか?」


「もちろん。説明会場はあの建物の中だと聞いた」


 遠くから見ているだけで不安になってくるくらいだから、いざ入るとなるとその不安は深甚だ。恐怖といっていい。僕はすくみそうになる足を勇気という添え木で支えながら、一歩一歩地を踏み進んで行く。入口付近で足元からパキパキっ、と音が鳴った。見下ろすと、赤や緑といった鮮やかな色のガラスが僕の足元で粉微塵になっている。


「これは——ステンドグラスでしょうか」

「うん、ここはかつて教会だったところらしい」


 先行していた彼女—ブリザード・フメールが答えた。


「それは違いますじゃ」


 突如、教会の中から老婆の声が轟く。

 年齢を感じさせるしゃがれた声だったけれど、よく通った大声量だった。

 ヒビのはえた壁や壊れかけの天井が彼女の声を反響している。声のこもり具合からして、外観からの想像以上には、建物としての役割を今なお遂行し続けているらしい。それだけで安心なんて出来るはずもないけれど。


 その建物の中心に、声の主は屹立していた。天井の間隙の塩梅で、その場所だけ太陽光によって照らされて、舞台でスポットライトを浴びる主役のような様相である。しかしその格好は主役というよりは悪役側のそれで、表情を読み取ることができないほどにフードを深くかぶり、全身を紫色のローブでつつんでいる。海辺によく打ち上げられている流木をそのまま持ってきたような何の魔術的装飾も施されていない杖をつく、お伽噺だと毒林檎を配り歩いていそうな印象の老婆だった。


「違うというのはどういう事でしょうか」


僕はその毒林檎の魔女のような老婆に対して問う。

老婆は口許をニヤリ、と不気味に緩ませた。

とことん悪役っぽい老婆である。


「ここは教会だったところではなく、今もまだ教会としての機能を果たしていますじゃ」


 僕とブリザードさんは建物の中心、老婆の許に向かって歩を進める。元々はベンチとしての役割を遂行していたであろうモノは、今はボロボロに砕け、裏返すと昆虫の幼虫がたくさん棲んでいそうな朽木と化している。

 それ以外にも、この教会はありとあらゆるものが破壊されていた。自然劣化や天災による被害という可能性もゼロとは言えないけれど、ここの破壊は徹底的だ。完膚なきまでと言っていい。何者かが意図的にこの教会を攻撃し、破壊したと考えるのが自然であり、妥当といえるだろう。どうやらここは、いわくつきの物件らしい。なんだか、嫌な予感しかしなくなってきた。


 早く帰りたいなぁ。


 そんな僕の内心とは対照的に、彼女は九割の昂揚感と一割の緊張が混合したような、つまりワクワクとした表情を浮かべている。キラキラと目を輝かせていて、普段の気だるそうな表情はどこかに捨て去ってしまったみたいだ。


 僕は彼女のこの表情が好きだ。もちろん、普段の生気もやる気もだらしもない彼女に魅力がないと言っているわけではなくて、むしろそっちはそっちで大層蠱惑的で魅力的であるとも思っているのだけれど、やはり、僕のお気に入りは、生気とやる気と自信に満ち溢れた方の表情である。


 昔—かつて彼女が期待の新星として騎士団に所属していた頃までは、彼女は普段でもこのような表情をしていたらしい。長い睫毛に鋭い眼光を湛えた二つの眼、筋の通った上品な形の鼻、透明感のある白い柔肌にほんのりと桃色の浮かぶ頬、いつも口角が少しあがった小さくて艶のある唇。

 彼女が一躍時の人となったのは、その類稀なる美貌による影響もあったのかもしれない。それが現在、その美貌を忌憚なくフルで発揮するのは、荒唐無稽な就職活動時か、もしくは闘技場の賭け試合を観戦する時くらいである。僕が彼女のパトロンをしているのは、そんな彼女の紅顔をより近くで見ていたいからという理由も少なからずある。

 彼女の普段の生活には色々言いたいことはあるけれど、彼女のいと麗しきその表情を一目見るだけで他事が些末事のように思えてくるのだから、僕は本当に単純な男だ。実に都合がいい男だと、自分でも思う。

本当、一体何が彼女の人生を千尋の谷に突き落としたのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る