元女騎士、現ニート。お世話役の学生と過ごす日常生活
夢形真希
第1話 元女騎士、魔王を志す
「私はこれから魔王として生きていこうと思う」
或る休日の昼下がり、またブリザード・フメールが阿呆なことを言い出した。
いつもながらの荒唐無稽さと脈絡のなさに、僕はたまらず溜め息をこぼす。
思い返せば、彼女は初めて出会った時から阿呆のままだし、今日にいたるまで彼女にとって毎日が休日だった。
汚い布の切れ端のような襤褸を身にまとい、空腹のために天下の往来で倒れていた彼女を拾い、生活の世話を始めてからおよそ一年。働き盛りの二十代も中盤に差し掛かり、肉体的には全盛期を迎えているにもかかわらず、彼女はこれまでずっと、定職に就くことなく下宿先での引きこもり生活を続けている。
しかし、そんな彼女も、初めから引きこもりのニートだったわけではない。帝国の中流階級の家庭に生まれ、同世代の近所の子供たちの一緒に教会で一般教養を学び、その後は騎士学校を優秀な成績で卒業した。
就職活動も無事成功し、帝国騎士団第一分隊という、騎士団の中で最も入団難易度が高い精鋭部隊へ入隊した。第一分隊のブリザード・フメールという名は、騎士団期待の新星として当時厭世的な生活を送っていた僕の耳にも届くほどであった。
あまり自慢することではないけれど、僕は世間の流行や噂話については大変疎い方であると自負している。とりわけ彼女が騎士団に入団したという5年程前はそれが顕著で、ほとんど俗世と断絶した生活を送っていた。
敬虔な修道士のように。
実際には、当時12歳であった僕の反抗期がヘンポな感じで発露しただけであって、そんなに高尚なものでも高貴なもの崇高なものでも高潔なものなかったのだけれど。世間のトレンドについていけないのも、僕が元来、特殊な思春期の過ごし方を送るような、世間一般とズレた人間だからなのかもしれない。
そんな当時の僕ですら彼女—ブリザード・フメールの名前を知っていたくらいなのだから、そこから推察するに巷間ではとんでもない大有名人であったのだろう。帝国中にその雷名を轟かせていたであろうことは、想像に難くない。
いわゆる時の人というやつ。
しかし、そこから彼女は落魄の一途をたどったらしい。彼女が勇名をはせた4年後、僕が彼女と都の大通りで出会ったとき、彼女は既にうんぬんかんぬんがあって騎士団を辞めた後であり、帝都の片隅で社会的貢献の一切を行わない頽落的な生活を送っている時であり、その日分の食費すら賄うことのできない無職ニートであった。
騎士団を辞めるきっかけとなったうんぬんかんぬんに関しては、僕も知らない。一度気になって本人に聞いてみたことがあるけれど、その時は話したくないと言って口を噤んでしまった。彼女にとっては、そのうんぬんかんぬんが今なおトラウマらしい。話したがらないのを無理に聞こうとするのは素敵紳士の所作ではないので、彼女が話してくれるまでは僕も聞かないでいようと決めている。
『嫌がっている女子に無理強いする男になるな。それはSではなくただの嫌な奴だ』
という父上の指導を素直に守る僕である。
彼女はこの一年間、不定期的に、そして卒然に、特殊な職業に就くと宣言しては失敗することを繰り返している。失敗の原因は様々で、たまたま運や間の悪かっただけの時もあれば、彼女自身の怠惰・怠慢によって失敗した時もある。割合としては前者が一割未満、後者が九割強といったところだろうか。
ある時は「勇者になる」と決然と宣言し、颯爽と下宿を出ていったと思えば、その日の夜には旅費が尽きた、とぶらぶらだらしない足取りで帰ってきた。もちろん旅費を工面したのは無職の彼女ではない。彼女じゃないなら誰か。僕である。数か月前、まだ彼女の言葉を鵜呑みしてしまうほど若く、そして甘かった僕は、そこそこまとまった金額を託していたので首を傾げた。
「何に使ったのですか」と詰問すると、彼女は「闘技場の賭け試合で全額すっちゃった」と答えた。その日以来、僕は金輪際彼女の戯言を信用しないようにしようと心に誓った。
そんな経緯もあり、今回彼女が「魔王になる」とかいう巫山戯たことを言い出した時も、僕は大した驚きは無かった。あるのは彼女の戯言に対する呆れだけである。
「魔王ですか」
「うん、私は本気で魔王になろうと思っている」
「この前は勇者になるって言ってませんでしたっけ」
「立場や陣営の違いなんて、今さら気にしない」
「魔王っていったら魔族の王ですよ。人間であるブリザードさんがなれるものなんですか?」
「問題ない。人間性は騎士団を辞める時に置いてきたから」
うーん。
人間性を捨てたところで魔族にはなれないと思うんだけれど。
なれるのは精々、屑のような無職の人間くらいだろう。今の誰かさんのような。
「魔王も素敵な職業だと思いますけれど、世の中はもっと素敵で社会的に有意な職業で横溢していますよ。別の選択肢は検討しないんですか?」
「あのね、君。私はいわゆるところの『普通の職業』に就きたくないんだよ」
「それはどうして?」
「元エリート騎士としての誇りがそれを許さない」
おい。
人間性よりも人間としての誇りよりも先に捨て去るべき誇りがあるんじゃないのか。
だれかこの女性に、どんな職であったとしても現在働いている人間は悉く現在無職の元エリート騎士よりも上位存在であるという事実を教えてあげて欲しい。
「とにかく私は魔王になる。今日はこれから魔王志望者に対しての説明会が開かれるらしいから、君も一緒についてきてほしい」
そういうと、彼女は軽快な足取りで下宿を後にする。普段はよっぽどのことがない限り部屋どころか六畳間の中央に敷かれた万年床の中からも出てこようとしないくせに、こういう自分の気分がノリノリな時に限って足早で外出する。
そんな彼女に対して一家言がないわけじゃないけれど、僕は黙然して彼女に追従する。もっと深刻なタイプの引きこもりは、全く外に出ようとせず、ひいては太陽光すら浴びようとしたがらないらしいし。
それに、『一緒についてきてほしい』という彼女の言葉に、胸がドキリと心地の良い痛みを感じてしまっていたから。
僕が彼女—ブリザード・フメールに対し、金銭面及び家事面において継続的な支援を行っているのは、零落した元エリート騎士に対する憐憫からでは無い。もちろんそれもあるかもしれないけれど、それは理由の一割にも満たない。残りの九割強の気持ちは、もっと別離なものだ。
それは、ひどく単純な理由。
僕は初めて出会った時から、彼女に恋をしている。
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