第29話

「行くぞ」




散々待たされて痺れを切らせた時雨が、私の腕を引いて歩き出す。



「気をつけてな」と笑顔を向ける銀先生に軽く頭を下げて時雨の後に続いた。



会話もなく歩みを進めていると、不意に騒がしい声が聞こえ数人の学生とすれ違えば、一人の女が私を見た。




ーー否、見たなんて生易しいものではない。



冷たく、それでいて射抜くような鋭い眼差しだ。



だが、ほんの一瞬のことで友人から話しかけられると、何事もなかったように笑顔で答えていた。



時雨といれば、こうして負の感情を向けられることは少なくない。



一々気にしていると身が持たないため見て見ぬ振りをしているが、あの女は例外だった。



いくらその存在を自分の中で消そうとしても、無理だ。



いくら〝無かった〟ことにしようとしても、あの女にされたことは一生忘れることはできない。







「おい、どうした」




突然足を止めて動かなくなった私を不審に思ったのか、振り返って怪訝そうな顔をする時雨に我に返った。









「‥‥別に。早く帰りましょう」





釈然としない様子の時雨の腕を、今度は私が引くような形で歩き出した。

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