踏み出さなかった一歩

第16話

「なにやってるんだろう俺?」

 一人なった樹は、さっきまで藤井がベンチに腰掛け、コンビニで買った缶ビールを飲む。

 そして、一気にそのビールを飲み切ると、昼間、神林栞に言われた言葉を思い出していた。

『スタッフだったら好きになったらいけないんですか?』

 確かに、俺は、自分の店で働く七橋にいつの間にか恋心を抱いていた。

 けど、あいつはあくまで自分の店でスタッフで、俺は店長。

 この一線だけは絶対にこえてはいけない。

 この感情だけ、絶対アイツにばれてはいけないと、自分で自分の心に蓋をした。

 だからこそ、あいつが最初の恋人だった瀬野明希、そして店の元常連客だった古橋総一郎と交際すると報告してきた時は、これで完全に自分の中にある七橋への恋ごろを消し去ることができると思った。

 なのに……

「ん?」

 神林、そして七橋のことを考えていた樹の目の前を、いや正確には、いま自分がいる華水公園の前の道を七橋らしき人物が通り過ぎて行った。

 樹のいる公園のベンチから、七橋らしい人物がいる道路までは距離にして50メートルぐらい離れている。

 もしかしたら自分の勘違いかも知れない。

 それに、道路の方には街灯が設置されているが、自分は、スマホのライトと防犯の為に常に持ち歩いている携帯ライトだけ。

 だから、本当に自分の見間違いかもしれない。

 そう、樹も思い直し、家に帰る為にベンチから立ち上がろうとした瞬間……

「……やめて下さい! 放してください!」

 声が聴こえた方に目を向けると一人の男性が七橋らしき人物を腕を掴み強引にどこかに連れて行こうとしていた。

「!」

 樹は、その様子に、急いでベンチから立ち上がるとレジ袋を手に持ち駆け出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る