第55話

{じゅ…あいつの事は、俺なんかに訊くよりか、お前の方がずっと詳しいだろう?}

「…」

 堂城は、樹利亜の現在の居場所を尋ねる為に、先月まで樹利亜の旦那だった七瀬龍治に数年ぶりに連絡を取った。

 だけど、返ってきた七瀬からの返事は、明らかに自分に対する嫌味だった。

 でも自分は、七瀬を頼るしか方法がなかった。

※泉石渚に嵌められた形で6年ぶりに再会した時に、七瀬龍治と一緒に居た穎川泉の提案で仕方なく連絡先を交換した。

{…堂城。俺は、ずっとお前が憎くて憎くて堪らなかった。だから、お前を奈落の底に突き落とす為にお前の一番大切な恋人だった樹利亜を無理やり奪って自分の女房にした。けれど…}

「本当は、とっくに愛してたんだろう? 樹利亜の事?」

{!? そそんな訳ないだろう? 俺はお前を奈落に突き落とす為に}

 電話越しから聴こえた声は、明らかに動揺している。

「…違う。お前の中で樹利亜の存在は、もうとっくに一人の最愛の女性になっていた。そうじゃあなければ、泉石渚に弱みを握られ脅されたからって、お前がそんな簡単に樹利亜を手放したりしない}

 二人の離婚原因の表向けの理由は、七瀬の浮気と6年前の脅迫結婚。

 けれど、真の離婚原因は、樹利亜の恋愛感情。

{…確かにおまえの言う通り、俺はいつの間にか偽装ではなく本気で樹利亜を一人の女性として愛してしまっていた。それどこか樹利亜にも、俺だけを愛して欲しいと思うようになってしまった}

「…」

 きっと、これが七瀬の本音。

 だけど、俺だって樹利亜を譲る気はない。

{…でもだからって、今更お前から樹利亜を奪わないから安心しろ}

「七瀬」

 もしかしたら、七瀬自身も堂城が思っていた以上に、樹利亜の事を深く愛していたのかもしれない。

 最初は、本当に恋愛感情すらない無愛結婚だったのかも知らない。

 樹利亜にすれば、脅迫結婚。

{堂城。俺は、お前に一つ謝らないといけない事がある。俺は、樹利亜と結婚式を挙げる時、強引に樹利亜の唇を奪った。あいつは、俺との誓いのキスなんて全く望んでいなかったのに俺は、皆に見せつける為に10秒も唇を重ねた。だけど、樹利亜はそれを何も言わないで受け入れてくれた。まぁ? 当たり前だよな? あいつは俺に脅されていたんだからな。それでも、あいつが自分の事を受け入れてくれたのはその一回だけだった。だから、結局あいつはお前しか愛していないんだよ? 昔も今も}

「…」

 _ガシガシ_ 頭を掻く音。

 堂城は、スマホを持っていない左手で自分の頭を掻く。

 俺は、今更お前に謝って欲しいわけじゃあない。

 謝って貰った所で時間はもう戻ってこない。  

 あの日、お前に樹利亜を奪われなければ、俺は…きっと…こんな人生を歩むこともなかったしオネェにもなれなかった。

 樹利亜に渡す予定のリナリアの花びらが刻印された婚約指輪を指輪ケースから取り出す。

 そしてそれに軽くキスを贈る。

(七瀬。もう許してやるよ? お前の事?)

「七瀬…お前アリッサムって知ってるか?」

{どうした急に? アリッサムってあれだろ? 小さい花が集まって咲くんだろう?}

 突然の話題の変更に七瀬の声が裏返る。

「ふぅん。それぐらいの事は知ってるんだな? じゃあ花言葉は?」

{花言葉? そんなの俺が知る訳いだろう?}

 声のトーンが怒り声に変わる。

「だろうな? でも、今のお前なら気づいてくれると思ってあえって聞いたんだよ? あのな? アリッサムの花言葉は、仲直り」

{えっ! 堂城それって…}

「七瀬…確かに俺は、お前のやって事を許す気になれない。けどお前だって、随分苦しんだ。だから許してやるよ? 俺達親友だしなぁ?」

{…どどうじょう…}

 電話口から鼻のすすり音が聴こえる。

「お前泣いてるのか?」

{泣く訳ないだろう! 俺は、警視庁の刑事だぞ!}

 いま刑事は関係ないだろう? 

 堂城は、電話口で小さな声で笑う。

(どの口が言うだよ? 泣き虫め!)

{なんだよ? 言いたい事があるなら早く言えよ?」

 イラついてきたのか、声の大きさが大きくなる。

「…七瀬。俺は、お前が樹利亜の事を本当に愛しているのなら、身を引いて元カノと復縁しようかと思った。だけど、7月に6年ぶりに樹利亜と再会して一瞬心が動きそうになったけど、その時は勇気が出なかった。でも、8月お前と再会したあの日、一緒に居た穎川泉の唇を当たり前のように激しく奪ってるお前を見て覚悟が決まった。このままお前の所に居たら樹利亜がダメになる。それなら俺が奪ってもいいよなって。お前は、口では愛してるって言っても心の奥では誰の事も愛していないんだよ!」

 涙のすすり音が電話口から聴こえなくなった。

 もしかして、言い過ぎた。

 堂城が、反省して七瀬に声を掛けようとしたら…

{そうだなぁ…確かに、堂城お前の言う通りだ。俺は、自分の利益の為に自分に好意を抱いていた穎川泉の体、心を感情を傷つけた。最低だ}

 穎川泉。ホワイトハニーの元人気メンバーでナンバー1アイドルだった。

 けど、今年の8月突然グループ脱退と芸能界引退を発表した。

 表向きの引退の理由は、普通の女の子に戻りたい。

 しかし…本当の理由は、恋愛禁止のルールを破り既婚者と3年にも及び不倫していた事。

 ただし、本人は、この事実を最近までずっと知らなかった。

「穎川泉は…今も一人で真実を言えずに苦しんでる。彼女を救ってやれるのも幸せにしてやれるのもお前だけだ。七瀬、俺は何が起こっても受け入れられる覚悟はできてる。けど、彼女は違う。彼女は俺達と関わってせいで自分の夢まで奪われた被害者だ!」

 そう…穎川泉は、俺達に関われなければ、今もホワイトハニーのメンバーとしてアイドル活躍していた。

 それを、俺達は、奪ってしまった。

{俺、刑事やめるよ? そして世間にすべてを打ち明ける。穎川泉の夢を守るために}

 七瀬の刑事を辞める発言一瞬驚いたが、その覚悟に嘘偽りがない事を感じた。

 でも…七瀬が、刑事を辞めてまで守ろうとしているのは、本当に…穎川泉の夢なのか?

 違うだろ? お前が守りたいのは…

「七瀬…穎川泉とは結婚しないのか?」

{どっどどどどど堂城急に何言い出すんだよ? する訳ないだろう! 彼女は被害者なんだぞ!}

 予期せぬ発言だったのか、七瀬の声が明らかにおかしい。

 だけどそれよりも、堂城は、七瀬が言った被害者の言葉に怒りを覚えた。

「…被害者? それは違うだろう? 確かにお前は、自分の利益の為に人気アイドルの穎川泉の知名度を利用しようと彼女に近付き、肉体関係を持つことに成功した。勿論結婚している事実は隠したまま。けど、穎川泉は、そうとは知らずお前に本気で惚れてしまった。でも運命のあの日、彼女は真実を知り責任を取って…だけど世間には真実を告げずに表舞台から姿を消した。そんな彼女を、お前は守りもしないで見捨てて自分だけ楽になるつもりかよ? ふざけるな! なにが樹利亜にも俺だけを見て欲しい。そんなのは一度でも誰かを真剣に愛して、守り切ってから言え!」

{…そうだな? 俺は、今まで誰かを真剣に愛した事も守り切った事もなかったな?}

「…」

 こんな弱りきった七瀬を一度も見た事がない。

 だけど、こいつには悪いが俺は、今の弱り切ったこいつの方が人間味があったいい。

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