第10話 ゴーダンの蠢動


 突如現れたたくさんのお供え物に僕は喜んでいた。

 祭壇に座って調べてみると、どこかの家で法事があったようだ。

 それで土地神の僕にもおすそ分けがあったのだろう。

 ありがたい、ありがたい。


「故人の魂が安らかでありますように」


 神さまによく祈っておいた。

 あ、神さまは僕か!

 まあ、魂に平穏を与えることなんて僕にはできないから、神格が上の神々に祈っておくとしよう。

 僕をこの世界に連れてきた女神さまの顔を思い浮かべながらもういちど祈った。

 お祈りがすむと、供物の確認をした。

 裕福な商人の家の法事だから、供物もかなり豪華だ。

 四角いお餅、野菜各種、お米一袋、オレンジのような柑橘類がひと盛り、骨付きのローストチキンまである。

 しかも供物は食べ物ばかりじゃない。

 炭ひと箱、大きな銅銭も一枚あったぞ。

 これはどれくらいの価値があるのだろう?

 リンが呼び出してくれたら聞いてみるとするか。

 野菜を適当に刻んでスープを作り、チキンや餅を浮かべて食べた。

 

 満腹になった僕は腹ごなしに一番星を眺めながら笛の練習をした。

 じつを言うと、龍星剣の練習はまだ始めていない。

 このままではリンに嫌われてしまうかな?

 約束もしたから明日から始めてみようか。

 自慢になってしまうが、笛の方はかなり上達したよ。

 澄んだ音が出せるようになったし、ゆっくりした曲なら間違えずに吹けるようになっている。

 神力を込めると、笛の音にもいろいろな効果があらわれることが分かった。

 人々を鼓舞したり、癒したりする力だ。

 もっとも、僕のレベルが低いのでその域にはまだ到達できそうにない。

 それでも笛を吹くのが楽しくなっている。

 好きこそものの上手なれ、なんていうから、案外上達は早いかもしれない。

 自分の奏でる笛の音が夕闇の空にとけていくのが心地よい。

 僕はうっとりと練習を続けた。


「この地を守る神よ、我が声に従い降臨せよ。急急如律令!」


 不意に体を引っ張られるような感覚がした。

 穏やかな夜だというのに呼び出しがかかったようだ。

 それはそれで、またよきかな。

 僕はワクワクしながら僕を引っ張る謎の力に身を任せた。


 ***


 夜空の下の畑の中で、リンは背中に冷たい汗をかいていた。

 村人の依頼を受けて畑を荒らす魔物を退治しようとしたのだが、リンが呼び出した式神はあっさりと返り討ちにあってしまったのだ。


「随分と嘗められたものだな。この俺さまがイタチの精などに後れを取るものか」


 リンが使役する式神は鋭い牙と爪をもつ銀色の大イタチだった。

だが、目の前の魔物はあっさりとリンの式神を倒してしまったのだ。

 しかも人語を操るところを見ると低級の魔物ではない。


「人に仇なす魔物よ、どこからきた?」

「畑の野菜を食い荒らす魔物と一緒にするな。俺は使命を帯びてここにきている」


 魔物の中には徒党を組み、戦略的に人間の世界へ侵食する一団もあるのだ。

 そういった知恵の働く魔物は得てして強力な個体が多い。

 この敵も一筋縄では倒せないだろう。

 魔物との距離をとり、リンは腰の双剣を抜いた。


「その構え、おまえはクラウガの一族か?」

「なぜその名前を知っている⁉」

「俺はこれでもゴーダンさまの尖兵よ。ククク、運命など信じぬ俺だが、因縁とはよくよく廻るものだな」


 ゴーダンという魔物の名前を聞いてリンに戦慄が走った。

 たとえ下級の一兵卒であってもゴーダンの部下は強力である。


「ククク、クラウガ一族の生き残りがいたとは驚いたぞ。だが、それもここまでだ」


 魔物は腰を落とし、じわりじわりとリンとの距離を詰めていく。

 この魔物の力量はわずかながら私よりも上、リンはそう判断した。

 ここは撤退が良策だろうがゴーダンの手下を前にして退くのは亡き一族に申し訳ない気がする。

 それに逃げ切れるかどうかもわからない。

 この状況を打開できる手は一つだけだ。

 戦えないあいつには悪いけど、このままでは自分も危ない。


「許してね……。この地を守る神よ、我が声に従い降臨せよ。急急如律令!」


 敵の注意をわずかに逸らしてくれるだけでいい、そんな思いでリンはライキを召喚した。


   ***


 呼び出された場所は血の臭いが充満していた。

 優雅に笛を構えている僕はさぞかし浮いているだろう。

 なんか、巨大な生物が目の前に横たわっているぞ。


「リン、これは?」


 僕は銀色の大型獣を指さした。


「それは私の式神。管狐っていうんだけど……」


 キツネというよりはイタチっぽいな。

 式神というと土地神である僕の仲間だろうか?

 いや、少し違う気がする。

 いずれにせよ、もう生命活動は停止しているようだ。


「そんなことより気をつけて、目の前の敵は強力よ」

「敵ってあれが?」


 やせこけた背の高い餓鬼みたいなのがこちらをうかがっている。

 落ちくぼんだ眼窩がやけに不気味な奴だ。


「ほう、土地神を呼び出したか……」


 魔物は警戒するように爪をこちらに向けた。


「よかった、武器を持ってきたのね」

「これは単なる竹笛だよ」

「竹笛ぇ?」


 リンは明らかにがっかりした顔になった。


「まあいいわ。お願い、ライキ。奴をひきつけておいて」


 そう囁いてリンは魔物の側面に向かって走り出す。

 ひきつけておいてってどうすればいいんだよ? 

 笛でも吹く? 

 それとも話しかけてみるか?


「シャーッ!」


 襲い掛かってきた⁉

 魔物の爪が15センチメートルほど伸び、大きく膨らんでいく。

 あんなものでひっかかれたらかなり痛そうだ。

 とっさに身をよじって避けたけど、魔物の爪が僕の体を薄く引き裂いた。


「痛いっ!」


 どういうこと?

 山賊のときより傷は浅いのに、痛みはもっと激しいぞ!

 おいおい、おまけに傷口からは血までにじみ出ているではないか。


「ライキ! 気をつけて。魔物の攻撃には魔力がこもっているわ。まともに受ければあなたも危ないの」

「わかった」


 こんなことなら、きちんと龍星剣の練習をしておけばよかったかな?

 だけど、たった一日くらい練習したところですぐに実践で使えるわけもないか。

 ふむ、思ったより僕は冷静だ。

 これも死を経験したことがあるからかもしれない。

 痛みもすっかりひいたし、言われたとおりに魔物をひきつけてみるか。


「あー、びっくりした。まあ、あれくらいならなんともないけどね」

「土地神風情が粋がるな!」


 よし、魔物の意識は僕に向いたな。

 とにかく僕ができることをしてみよう。

 僕ができること、すなわち笛と飛行術だ。

 神力を纏って、僕は宙に浮かび上がった。

 その高さ、6メートルくらい。


「ここまで来られる? おまえの爪は届くかな?」

「逃げるな卑怯者! 降りてこいっ‼」


 まるで僕が悪者みたいな言われようだ。

 いいさ、とことんやってやる。

 あらかじめ拾っておいた石を魔物に投げつけた。


「これでもくらえっ! ゴッドストーン!」


 投石はもっとも原始的な遠距離攻撃である。

 基本中の基本だけど、効果は歴史に裏打ちされているのだ。


「ゴラアッ! 降りてこんかい、このクソ土地神がぁっ!」


 お前のもとになど降臨するものか。

 僕はもう一つ持っていた石を魔物の顔面に向かって投げた。

 それをうまく避けのはよかったけど、魔物は失態を犯した。

 背後から踏み込むリンの存在をわずかながら忘れてしまったのだ。

 閃く双剣が魔物の腹に深々と刺さり、魔物はうめき声をあげた。


「おのれ、クラウガの生き残り……め……」

「一族の仇だ! 思い知ったか、ゴーダンの尖兵!」


 こんな顔のリンは初めて見るな。

 怒りと憎悪に憑りつかれたような凄まじい表情だ。

 きっとゴーダンとかいう魔物と深い因縁があるのだろう。

 ただ、それでもリンは美しかった。

 リンが剣を引き抜くと、魔物は地響きを立てて地面に沈んだ。

 肩で息をするリンが僕に謝ってくる。


「ごめん、巻き込んで」

「それはいいよ。グロウ地方の安全を守るのも土地神の仕事だ。礼を言わなければいけないのは僕の方だよ。怪我はない?」

「少し」

「見せて」

「あ、胸の上のところだから……」

「ご、ごめん。じゃあ、これを使って。僕の作った傷薬だよ」


 リンは僕に背を向けて治療を始めた。


「リンはいつもこんな危険なことをしているの?」

「たまにね」

「ところでクラウガとかゴーダンとかってなに? リンとどんな関係があるの?」

「それは……、ライキには関係ないことじゃない」


 人のプライベートに立ち入るのは生まれて初めての経験だ。

 本来、そんなことは聞いちゃいけないのかもしれない。

 だけど、僕はこう言わずにはいられなかった。


「リンのことをもっとよく知りたいんだ」

「なっ! ど、どうしてよぉ……?」


 どうしてだろう?

 僕らの間にある感情は、まだ愛情とも友情ともいえない曖昧なものだ。

 だけど、学校さえろくに通えなかった僕はその曖昧なものがなにより大切なものに思えるのだ。

 他人とこんな関係をもつのは初めてのことだから、それをうまく言い表すことはできないけど。


「教えてくれないかな?」


 身をこわばらせたリンだったけど、やがて脱力したように近くにあった石の上に腰かけた。

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