第7話 平気じゃないけど平気


   ***


 縁側に座って庭の花々を眺めていた。

 この山頂では桃の花が盛りを迎えている。

 白、ピンク、紅の三色がグラデーションをつけながら鮮やかに重なるさまは圧巻だ。

 病室の窓から眺める桜とはスケールが違っているなあ。

 僕は白湯を飲みながら午後のスケジュールを考えた。

 白湯を飲みながらというのは、僕が意識高い系の土地神だからではない。

 他に飲むものがなにもなかったからという理由からだ。

 ここでは誰かがお供えしてくれなければお茶ひとつ飲めないのである。

 もう少し頑張って、地域の人々に愛される土地神にならないとだめなのだろう。

 さもないとお茶ひとつ飲めない毎日だ。

 さて、午後からはなにをしようか?

 やることはそう多くない。

 台座に座って人々の願い事を聞き、薬草大全の続きを読んで、気が向いたら龍星剣の練習をはじめるくらいのものだろう。

 だけど空は青く、風は穏やかで、花は美しい。

 どうしても勤労意欲がわかない僕は笛を取り出した。

 この穏やかな日に、もう少し笛の修練をしておきたかったのだ。

 ところが、幽玄の境地で遊ぶ僕の雅な心は一人の呪術師によって現実に引き戻された。


「リン……?」


 ここはふもとの平原だろうか?

 誰もいない原っぱで、リンは杖につかまりながら大きく後ろにお尻を突き出していた。


「新しい術の稽古?」


 このポーズにはなにか意味があるのだろうか?

 そう思って聞いたのだけど、リンを怒らせてしまったようだ。

 リンはいつもより鋭い目つきで僕を睨んでくる。


「お…………」

「は? 聞こえないよ」


 よくわからないけど、プルプル震えながら何か言っているぞ。


「おん…………」

「だから聞こえないってば。もっとはっきり言ってよ」

「だから、おんぶしてって言ってるの!」


 なんでキレてるの?


「おんぶって、リンを背負うってこと?」

「そうよ! 修業の最中に腰を痛めてしまったの。悪い⁉」

「悪いなんて一言も言っていないだろう? わかった、おんぶするよ」

「そうよ、最初からそう言えばいいのよ……」


 最初からそう言っているじゃないか。


「それで、どこまで連れて行けばいいのかな?」

「町の宿屋までお願い」


 リンはすまなそうに街の方角を指さす。

 平原の向こうに比較的大きな街が見えた。

 ここからだと1キロメートルくらいか。

 自慢にはならないが、ずっと寝たきりだったから僕は体力に自信がない。

 だけど、僕はこの世界にきて土地神になったのだ。

 なんとかなるだろう。


「それじゃあ、背中につかまって」

「ありがとう。あ、へんなところを触っちゃダメだよ」

「わかってる……」


 そんなこと言われたらかえって意識してしまうじゃないか。

 変なとこってどこだろう?

 女の子に触れるなんて初めてのことだから、どこがオッケーでどこがダメなのかがまったくわからない。

 太ももの裏側あたりはいいよね?

 そうじゃないと背負えないぞ。

 僕はリンの前にかがみこんだ。


「はい、どうぞ……」

「うん……」

「っ!」


 ぼ、僕は触ってない!

 僕は触っていないけど、背中にリンの胸が当たっている……。

 予想以上に大きくて、予想以上にやわらかい。

 煩悩退散! 煩悩退散! 煩悩退散ぁああんっ!

 心を平静に保とうとしていたら、リンが心配そうに声をかけてきた。


「重くない? 平気?」

「うん……」


 ちっとも平気じゃないけど、それは口が裂けても言えなかった。



 なにごとにも慣れというものがある。

 道を歩いているうちにリンはおんぶされることに慣れてきて、彼女の胸が僕の背中に当たることもなくなってしまった。

 そう、腕でガードすれば背中に胸は当たらない。

 二人の間にあった羞恥は消え去り、あとにはステキなメモリーだけが残っている。

 リンをおんぶしながら、知らず知らずのうちに鼻歌が出ていた。


「なんでそんなにご機嫌なの?」

「人をおんぶするのも、こんなに長く歩くのも初めての経験なんだ」


 僕はリンに、前世で不治の病だったことを話した。


「ライキも苦労しているのね」

「もう、過ぎたことさ。いまは土地神として充実した毎日を過ごしているよ」


 まだ三日目だけどね。


「さっきは怒鳴ったりしてごめん。おんぶされるのが恥ずかしくてつい……」

「気にしてないよ」


 耳元でリンの声がするから、くすぐったいような気分になってしまう。

 それに女の子ってなんだかいい匂いがするから……。

 

「あ、あそこの宿よ」


 目的地に到着した僕は安堵した気持ちになった。



 リンを負ぶったまま宿に入ると、店の人が心配して様子を見に来た。


「呪術師さま、どうされましたか?」

「う、うむ、魔物との戦闘で少し負傷した」


 え?

 腰を捻って痛めたんじゃなかったっけ……?


「まあ、たいへん!」

「大事ない。すでに傷口は治したが、まだ体がふらつく。だからこうして土地神を呼び出して助けてもらっているのだ」

「あなたは土地神さまでしたか」


 宿の人は僕にも頭を下げる。


「神を使役できるなんて、あなたは腕利きの呪術師さまだったんだね。うちもなにか頼もうかしら?」

「うむ、具合がよくなれば依頼を受けよう。ライキ、いこう」


 カッコつけているけど、この人はただの腰痛ですから!

 リンが見栄っ張りなので、部屋に入ってから噴き出してしまった。


「魔物との戦闘って、君は腰を捻っただけだろう?」

「大きな声を出さないで。シー、シー! 呪術師っていうのは演出も大切なの」


 そんなものかもしれないな。


「ところで、魔力は大丈夫? 僕を呼びだすと大量に魔力を消費するんだよね?」

「使役モードで呼び出せばそうだけど、今日は単に呼び出しただけだから」


 そういわれてみれば、前回のように命令に抗えないという感覚はないな。


「だったら僕を送還するのはちょっと待って」

「なにをしたいの?」

「腰痛に張る湿布薬を作ってあげるよ。いま、僕は魔法薬の勉強中なんだ」


 神さまチートのおかげか一度読んだページはしっかりと暗記できている。

 記憶力が格段によくなっているのだ。

 いまならどんな難関大学でも合格できそうだぞ。


「じゃあ、お言葉に甘えようかな……」

「だったら、お金をちょうだい」

「なんでよ?」

「薬草は外で見つかるかもしれないけど、酒や布は買うしかないだろう?」

「それもそうね……」

 リンは渋々と言った感じで小銭をくれた。

 神さまだけど僕はこれの価値すらわからない。

 そもそも、前世でだって買い物をしたことがほとんどないのだ。

 体調のいいときに病院の売店で本を買ったくらいだもんなあ。


「集落の外は危ないから気をつけてね」

「子どもじゃないんだから」


 部屋を出て帳場の前を通るとき、先ほどの人に声をかけた。


「酒を徳利に一本、布をこれくらい欲しいのですが、このお金で足りますか?」

「ええ、ちょうどくらいですね」

「では、あとで取りにきます」

「土地神さまはお帰りですか?」

「少しそこらを見て回って、また戻ってきますよ」

「どうして?」


 さっきのことがあるから、リンの腰痛には触れないでおこう。


「呪術師に頼まれました。周囲に魔物がいないかを確認してくるのです」

「まあ! それはご苦労様です」


 こうやって嘘に嘘が重なっていくんだなあ。

 僕もノリノリで嘘をついてしまった。

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