第6話 剣と薬


 虎景山に戻ると、僕は笛の練習をした。

 教本をよく読みこんでそのとおりにしたら、いきなり音を出すことができたぞ。

 もしかして、才能があるのかな?

 もっとも指の動きはまだまだぎこちない。

 お昼ご飯を食べることも忘れて笛の練習をしていたら夕方になっていた。

 虎景山からの景色は美しく、夕焼け雲が地平線の彼方までたなびいている。

 改めて気がついたのだけど、僕の視力は前世とは比べものにならないくらい上がっている。

 各集落では家路を急ぐ人や、鶏を小屋に戻す人たちの指の動きまでよく見えるのだ。

 山頂は麓から五〇〇メートルもあるのにね。

 それにしてもここの生活は穏やかだ。

 僕しか住んでいないのだから静かなのは当たり前か。

 やってくるのは鳥くらいのもので、いまはウグイスらしき小鳥が桃の枝の上で羽を休めている。

 辺りが夜の帳に包まれると、なんだか急に寂しくなってきた。

 病院では絶えず人の気配がしていたから、まったくの孤独に慣れていないのかもしれない。

 前世では寂しさを紛らわすために、よく本を読んだ。

 当世でもそれに倣うとしようか。

 そういえば、役立つ特技を身につけるようにリンから言われていたな。

 武術に治療か……。

 どちらもこれまでの僕には縁がなかった。

 というか、治療するよりされる側だったからなあ。

 体を思いっきり動かすというのはどんな感じだろうか?

 それに治療か……。


 辺りはもう真っ暗だので、書庫に入って灯りをつけた。

 だが、これは癖みたいなものだ。

 読書をするには光量が足りないだろうけど、土地神になった僕にそんな心配はいらない。

 暗闇でも視界はまったく妨げられないのだ。

 言ってみればチート能力のひとつだろう。

 このことをリンに伝え忘れてしまったな。

 こんど呼び出されたら教えておこう。

 書庫を物色すると「薬草大全」と「龍星剣」という本が見つかった。

 薬草大全は薬のつくり方を著した書物だ。

 薬草などを原料に自分の神力じんりきを込めて作る魔法薬のつくり方が書いてある。

 治癒魔法は無理だけど、これを身につければ人々の役にはたてそうだ。

 次に龍星剣だが、こちらは力強く流麗な動きが特徴の剣術らしい。

 図解があり、独学でも修練できそうではある。

 ただ、通信教育で武術を習うみたいな不安がある。

 厨二病とか言われないよね?

 せめて動画があればもっとわかりやすいと思うけど……。

 とりあえず、今夜は薬草大全を読んでみるとしよう。


 朝食にご飯を炊いた。

 書庫で見つけた料理本を参考にしたけど、我ながら美味しくできたぞ。

 お米はツヤツヤだったし、鍋の底でちょっと焦げている部分も美味しい。

 ご飯の他にカボチャの味噌汁も作ったよ。

 料理なんて初めてだからとっても新鮮だ。

 ただ、肉や魚は食べていない。

 タンパク質が足りないから満足感が少ないな。

 誰かお供えをしてくれないだろうか?


 昨晩は遅くまで薬草大全を読み耽った。

 これはなかなか面白い。

 精読はあとにして、ざっと最後まで確認したけど、熱さまし、感染症を抑える軟膏、果てはがん治療のための飲み薬まであった。

 といっても、薬効がすごい薬ほど作製の難易度は上がる。

 素材だってめずらしいものが必要だ。

 僕にはまだ作れないだろう。

 まずは簡単な傷薬から初めてみるとしよう。

 学んだことを活用してさっそく薬を作ってみたいのだが、ひとつ問題があった。

 薬草を探しに行けないことだ。

 僕はいまだに虎景山から降りられない。

 外出できたのはリンに呼び出してもらったときだけである。

 なにか生えていないかと、庭を散策していたら、いくつかの素材を見つけることができた。

 種類は少ないけど、これで何とかなるだろう。

 作業部屋には薬研やげんなど、魔法薬を作る道具が置いてある。

 まずはちょっとした傷薬を作ってみるか。

 劇的な効き目はないけど切り傷や擦り傷によく効くようだ。

 集めた素材を加工して、魔法陣の上で神力を込めながら仕上げていく。

 出来上がったのはハーブの香りがするワセリンみたいな傷薬だ。

 うまくいったみたいだけど量は少ししかない。

 それでもやり遂げた満足感がある。

 出来上がったものは台所にあった蓋つきの小皿に保存した。

 これで怪我をしても大丈夫だな、って、僕は土地神だから傷を負わないんだった。

 せっかく作ったのに薬効が確かめられないのは残念だ。


「リンが呼び出してくれないかな……」


 気がつくと僕はまたリンのことを考えていた。


***


 街外れの平原で一人の少女が修業をしていた。

 呪術師のリンである。

 リンは双剣を操りながら平原を縦横無尽に駆けていく。

 剣を振りながら走り回ることによって持久力をつけているのだ。

 得物を手にしていれば身体への負担は格段に上がる。

 実戦において体力がなくなるというのは死を意味する。

 とにもかくにも走れるスタミナが必要なのだ。

 高速で剣を振り、飛び上がり、回転切り。

 リンの動きは流麗で見る者を魅了する。

 ところが、今日は運が悪かった。

 着地した草の下に拳ほどの石が隠れていたのだ。

 足元の違和感に気づいたときにはもう手遅れで、変な方向に腰をひねりながら地面に落下してしまった。


「ぐっ!」


 涙が出るほどの痛みに、リンは倒れたままうめいた。

 情けない、もしこれが実戦だったら自分は死んでいただろう。

 こんなことでは一族の恨みを晴らすことなど程遠い。

 なんとか立ち上がろうとしたリンだったが腰が痛んで体を動かすこともままならなかった。

 落ちていた棒を杖にしてしがみついたが、足は生まれたての仔馬のようにプルプルしている。


「ありえない……」


 棒にすがり、お尻を突き出した自分の姿はお婆さんのようだった。

 これでは街の宿屋まで戻ることさえ危ぶまれる。

 思い切って一歩を踏み出したが、腰に響く痛みとともに再び涙があふれだした。


「無理……かも……」


 自力で宿にたどり着くのは絶望的だ。

 こうなったらあいつを頼るしかないか……。

 服も顔も泥だらけで、こんな情けない姿を見せたくなかったが、もう他に手段がないのだ。


「この地を守る神よ、我が声に従い降臨せよ。急急如律令!」


 草原にリンのふてくされた祝詞が響いた。

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