【ショートストーリー】 5号館の幽霊話
雨水優
5号館の幽霊話
「ね、ね、
「ほえぇ?」
3限目の授業終わり、生協で昼食を食べているとサークルの友人美紀が前に座ってきた。
彼女はカレーを一口食べると私にこのような質問をしてきた。
「何よそれ。教育学部じゃ聞いたことないわ。誰が言ってたのよ?」
私は魚のフライをよく噛んで飲み込むとそう聞き返した。
5号館、というのは私たち教育学部の学生が主に使用している場所だ。
大学内での大事な居場所なので、そんな馬鹿げた噂話を流布しないで欲しいと思う。
「え? たーくんから聞いたよー。なんかね、小さい子どもの幽霊なんだって。真夜中に5号館の前を通ると子どもの泣き声が聞こえるんだって。怖くない?」
美紀はスマホを弄りながらカレーを食べ、さらにハキハキと話してみせた。
器用な奴め、と私は感心した。
そしてたーくんこと美紀の恋人に対して怒りを静かに覚えた。
「あのね、なんで大学に子どもの幽霊出るのよ。どうせ出るなら保育園か幼稚園に出なさいよ」
「そんなこと美紀に言わないで幽霊に言いなさいって」
「ふんっ幽霊なんかいないわ。大体、なんで理系の美紀が幽霊なんか信じてるのよ。馬鹿じゃないの?」
「だってぇー、たーくんの言うことは何でも信じるもーん」
「この恋する乙女が……」
私は盛大にため息を吐いた。
前に座っている乙女はその華奢な体つきからは想像出来ない食欲を見せている。
何故少食の私の方が肉つきが良いのか、是非とも誰かに解明して貰いたい。
「でもさ、付属の幼稚園の子たちが遊びに来てるじゃない」
美紀はふと真剣な目つきに変わり、話し出す。
「うん。遊びじゃないけどね。私たちの授業に付き合って貰ってる」
大学の授業は不思議なものばかりだ。
教育学部、幼児教育学科の学生である私は授業でピアノを弾いたり、20歳を過ぎても真剣にマット運動を授業で行っている。
私立大学なので付属の幼稚園があり、そこの園児たち相手に読み聞かせをしたりもする。
「もしも5号館が何処よりも居心地が良かったのなら、子どもでも幽霊になって出るんじゃないの?」
美紀はとびっきりの笑顔で話を締めくくった。
「はぁ……真面目に聞いた私が馬鹿だったわ」
○
毎週月曜日の4限目はゼミの時間だ。
私は生協を出て、5号館を目指して歩く。
5号館は生協から一番離れた建物なので昼食後の程よい運動になる。
1号館、3号館、と通り過ぎる度に大学のメインストリートは人通りが少なくなっていく。
5号館は教育学部しか使わないからだ。
ただでさえ教育学部は他の学部よりも学生数が少ないというのに、私たち3年生は教育実習期間だった。
私も先週まで、幼稚園で実習をしていて大学には足を運んでいなかった。
5号館の4階、402号室が私のゼミ室になっている。
授業が始まる直前だったがゼミ室には誰もいない。
私以外のゼミ生はまだ実習中だからだ。
静かな教室に定刻を知らせるチャイムが鳴った。
「やあ。おかえり有吉さん」
チャイムが鳴り終わると同時に指導教員である
この人は刑事ドラマに出て来そうなスラッとした長身の男性で、年齢は40代のはずだが見た目は20代後半と間違うくらい若々しい。
大学内の男性教授で1番女性人気がある教授だ。
「先生と2人っきりなんて皆から嫉妬されますよ」
私は冗談を言い挨拶した。
新谷ゼミは各学年10名しか募らないので、もちろんだが毎年争奪戦が行われる。
私はくじ引きで勝利して見事に新谷ゼミの席を勝ち取った。
「参ったね。今日はドアを開けっ放しにしておこうかな。それよりも……実習お疲れ様でした」
「先生こそわざわざ見に来て下さって、ありがとうございました」
「うん。まあゼミ生のとこには顔を出さなくちゃね」
私は実習の感想を新谷教授にあれこれと話した。
普段のゼミは先生が主に話して、学生が質問をしたりするのだが今日は真逆だった。
「これ見て下さい」
私はスマホに保存していた写真を新谷教授に見せた。
それは園児がプレゼントしてくれた一枚の絵を撮った写真だ。
エプロンをつけた先生がニ人と、子どもがニ人楽しそうな顔で立っている絵。
特徴を捉えた絵で、ニ名の先生は私と指導してくれた田中先生だと分かる。
園児たちの前では優しい田中先生だったが、夕方からは鬼に変わる人だった。
私は数え切れない程ほど指導計画書を書き直された。
「素敵な絵だ。この子どもは? 制服を着てない子がいたの?」
新谷教授は絵に書かれた子どもの一人を指差して言った。
ニ人の園児の内一人は幼稚園の制服を着ているが、もう一人は上下真っ黒の服で描かれている。
「ああこれ。ふふ、えっ君です」
「えっ君?」
「はい。ひまわり組の見えない園児です」
「ああそう。そういうことか。へえ……皆が認識してた?」
「ええ。最初はびっくりしました。皆えっ君えっ君言うんですから。名簿見てもそんな子いないのに」
「年少組で良かったね。この時期でしか見られない光景だよ。卒園する頃だとこうはいかないだろうね」
○
一対一のゼミは終始雑談のような感じで進んだ。
こんなに新谷教授と一気に話したのは初めてだった。
リラックスしていた私はついでにと思い、生協で美紀から聞いた話を話してみた。
「先生知ってますか? 5号館って他の学部からお化け屋敷扱いされているんですよ。酷いんですから」
私はほんの少し話を盛って話してしまった。
これは私の悪い癖だと自覚はしている。
「僕が噂を流した」
「え?」
私は新谷教授の言葉を聞いて大口を開けて固まった。
彼は私の口の中を見るように凝視してきた。
「10年前に流したかな。今はどんな話に変わってるのかな?」
「えーっと……」
何でそんなことをするのか、と言いたかった。
わざわざ自分の職場を悪く言う必要などないだろう。
そんな私の心境を読んだかのように新谷教授は話を続けた。
「心理学の実験だよ。僕の専門だろ?」
そう。
新谷教授は教育学部では発達心理学を、他学部では一般心理学の授業を受け持っている。
「5号館の前でね、一人で誰かと話しているように演技したんだ。わざと人が通る時に合わせてね」
「はい? そんなことしたら先生は変人だと思われますよ」
「演技には自信があるんだ。これでも学生時代は劇団に所属してたからね」
新谷教授なら俳優としてやって行けたのではないか。
私はそう思った。
「もちろん最初は上手く行かなかったよ。やっぱ一人じゃ駄目だった。だから当時のゼミ生に協力して貰った」
「何をしたんですか?」
「皆で、えっ君を作った」
「あっ! そういうこと……えぇ……ちょっと引きますよ……」
「うん。今思えば、恥ずかしいことをしたかな」
イマジナリーフレンド。
幼少期特有の心のお友だち。
えっ君、とはひまわり組の見えない園児だ。
田中先生から聞いた話では元々は陽菜ちゃんという園児のイマジナリーフレンドだったらしい。
幼児の感受性というのは大人の予想を遥かに超えるもの。
イマジナリーフレンドは生活を共にする幼児同士で共有がされていくことがある。
人数の足りないおままごとで母役と父役の子どもが、自然と見えない子ども役を作りだすのもこれと同じだ。
陽菜ちゃんのえっ君は約半年間で、ひまわり組のえっ君になったそうだ。
10年前の新谷ゼミもイマジナリーフレンドを作り上げたのだ。
「ソラ組という架空の園児たちを完璧に作り上げたよ。園児の数は10人。ゼミ生一人ずつが一人の園児を作って全員で共有した。身長や体型、歩くスピードなんかもしっかりと把握してたね」
「凄い……皆さん俳優になれるんじゃないですか?」
「楽しんでたね。見えない子どもたちを連れて、学内を案内したりして他学部に見せつけてみた。みんな僕たちを避けて歩いたね」
「大人しかいないのに子ども相手に話してるんじゃ……怖がりますよ」
「だろうね。それで最初は教育学部は頭がおかしいって話になったんだ」
新谷教授は当時懐かしんでいるように見えた。
正直、私は羨ましいと思った。
こういう一風変わった授業は大学生の特権だと思う。
私もやってみたかった。
「僕の目的は二つあった。一つは成長してもイマジナリーフレンドを正確に共有出来るのか。これは大成功だった。むしろ大人同士の方が言語力の成長もあって、共有が楽だった。羞恥心というのが壁にはなったけどね。もう一つの目的。こっちの方が主題だったね。噂話が時と共にどう変化するかだ。特に大学なんかは人の入れ替わりが激しいから噂だけが残り続けるから丁度良かった」
「変人がいるって話が怪談になってます。5号館に子どもの幽霊が出るそうですよ」
「そうなったか。まあ予想通りかな。有吉さん。噂話はね、最終的には怖い話に行き着くんだね。面白いね」
「私もですけど、人に聞いた話を伝える時って主観が入っちゃいますから。ああ、でも良かったです。別に信じては無かったけど少しだけ本当怖かったから……」
美紀には言わなかったことを新谷教授には言えてしまった。
私は安堵して微笑んだ。
新谷教授もにやりと笑った。
「怪談に変わる下地はあったんだよ」
「え……どういうことですか?」
「5号館が建つ時にね、建設工事中に不慮の事故で作業員が一人亡くなっている。当時の新聞を漁ったら本当か嘘か分かるよ」
【ショートストーリー】 5号館の幽霊話 雨水優 @you10628
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