第7話 向日葵 討伐戦 1
あれから三日が経ち、俺は騒がしい学食の片隅で、いつものIランチを前に一人、昼食を取っていた。
「Iランチ」とは名ばかりで、実際は誰も選びたがらない“ゴミランチ”の略称だ。アルミのプレートに盛られたのは、塩気の抜けた煮干しが数尾、それに味噌汁というよりはお湯に近い液体、そしてパサついた白米。副菜はキャベツの千切りにソースだけ。全体的に茶色く、匂いすら立たない。これが、恋愛スコア最下位ランクの生徒に配給される定食だ。どこの地下労働施設の定食かと思った。
食堂は昼休みに入り、いつも通りの喧騒に包まれていた。
ガラス張りの天井からは春の陽光が差し込み、窓際の特等席では、恋愛上位者たちがキャッキャと笑い合いながら色鮮やかなAランチを頬張っている。ステーキ、パスタ、フルーツデザート——まるで高級ホテルのビュッフェみたいだ。
一方、俺のいるのは調理場に近い隅の席。換気扇の低い唸りと、生ゴミ臭が漂うその一角は、誰も寄りつかない“負け犬ゾーン”。俺の他には、陰キャラか、恋愛スコアを落としたばかりの新人がぽつりぽつりと座っているだけだった。
それでも俺は、静かに煮干しを口に運ぶ。味など気にしていられない。生き残るためには、まず食わなきゃならないのだ。
「向日葵の奴、ほんとに来んのかよ…」
箸で煮干しをつまみ、口元へ。パリリと骨の音が脳裏を刺す。いつもより味がしないのは、あの一件が頭から離れないからだ。
「北条は、ああ言ってたけど本当に向日葵の奴来るんだろうな?」
⸻
約二時間前
体育館裏の空きスペースに、小雨で湿ったコンクリートが冷たく、灰色の夕刻の光が差し込む。俺と北条美月姫は、ひそかな作戦会議をしていた。
「今日、決行しましょう」
「決行…ってもよ、向日葵はそんなに軽く釣れねぇだろ」
「手筈は整っているわ。今、セバ子が彼女の周りで噂を流しているの」
「セバ子って…瀬馬さんか⁉ 先生じゃなくて生徒役かよ!」
「違うわ。今回は女子生徒の制服で潜り込んでいるの」
「そんれは、無理あるだろ…絶対バレるって!」
「セバスチャンはミスしないわ。そうそう、これを靴の中に仕込んでおきなさい」
美月姫が差し出したのは、十円玉ほどの小さなパッチ。
「これ…何に使うんだよ?」
「それを強く踏むと、感情の起伏を抑える事ができるわ、痛みと引き換えに効果を得られるのだから安いものでしょう?」
「これ痛いの?……そんなのどこで?」
「秘密よ、まぁ協力者と言っておこうかしら」
「さいでっか」
「作戦内容だけど貴方は、あの子の喜怒哀楽どれかの感情を引き出しなさい」
「どれでもいいのかよ」
「いいわ、要は、心拍数を上げられれば問題ないのよ、まぁ怒らせるのが一番手っ取り早いかも知れないわね、後は、作戦中にアクシデントを仕掛けるから何か起こったらそれだと思って頂戴」
「その内容は教えてくれねぇのな」
「当たり前でしょ?もし内容を教えて貴方の動作や仕草でバレたらどうするの?考えてから言葉に出してくれるかしら?」
「わかったってそんなにイジメないでくれよ…今の俺の心は、ズタボロなんだからよ」
「貴方の心の状態なんか気にしている暇は、ないわね、まぁこの作戦を成功させたら考えてあげてもいいわ」
「ヒドッ今言った言葉忘れんじゃねぇぞ!絶対だかんな!」
「せいぜい頑張りなさい」
セバ子の潜入捜査現場では――
「マジ最悪なんですけどー! みんな知ってた? ポイント0でもまだ奪えるんだってー!MK5なんですけどー!」
「えっM?何?てゆーか、あんた誰?」
「セバ子よ、セバ子!もーホワイトキックだよ?」
「なんだーセバ子かー」
「………………キャーッ! 不審者よー!」
セバ子改め“セバさん”は、残念ながら女子高生には見えなかったらしい。
黒髪長髪のカツラは斜めにずれ、制服のスカートは膝下で妙に長い。低すぎる声、剃りそびれたすね毛が決定打だったのだろう。通りすがりの風紀委員に二度見され、三度目には肩を掴まれていた。
「君、ちょっと来なさい」
まるで大罪人が脱獄するかのような勢いで、凄まじい脚力を発揮。全力ダッシュで校舎裏の植え込みへ飛び込み、身を屈めて一気に塀をよじ登った。風紀委員たちは追いかけるも、スカートを翻しながら跳躍するセバさんの姿に一瞬ひるみ、その隙に見失ってしまった。
結果——無事に逃げ切った。
あとに残されたのは、校庭の片隅で風に揺れる黒髪長髪のカツラだけだった。
⸻
昼休み再び
「じゅーんくーん!」
ヒョイッと出てきた向日葵に、俺の心臓は、締め付けられていた。平常心…平常心だ。そうだ、あのパッチを――
ポチッ
「イテェッ!!」
電気が走ったような激痛が足の指を貫く。この痛み感情のバリア…だがこんなに痛いのかよ!? 思わず眉間に皺を寄せながら、俺はそっと机の下でラヴウォッチを操作し、北条へ電話をかける。
トゥルルル……チン
「釣れたようね」
「釣れたけど、どうすりゃいい? 何話していいかわかんねぇし、無視してるんだけど」
「そのまま無視しなさい」
「それでいいのか? 何かアクション起こさなくていいの?」
「いいの。そんな簡単に許す安い男じゃないことを演出するの」
「お、おう…やってみる」
俺は無言のまま、煮干しを口へ運んだ。
「ねぇ…じゅんくん、怒ってる?」
厄介だ、向日葵の潤んだ瞳で見つめる。ダメだ…可愛い…平静を保て純太!コイツは、俺の純情を弄んだ張本人だぞ!何が怒ってる?だ!怒ってるに決まってるだろ! それに、その昼食はFランチじゃねぇか! 俺のポイント奪っておいて、その恩恵にあずかってんのか!? と心が叫ぶ。
――「そうだよね…向日葵のこと、嫌いになっちゃったよね…でも、わかってほしいの、じゅんくん! あれは、本心じゃなかったんだ…」
向日葵が、突然、俺の手を掴んできた。反則だろそれは! 触るな…俺の理性が崩れてしまう!
――「あんまり話したくないんだけど、じゅんくんだから言うね…」
そして、向日葵は、身の上話をし始めた。
「向日葵の家ってね…お酒好きの両親が、昼間から飲み歩いちゃう人達で、ご飯がない日がほとんどだったの。それに、夜に帰って来ても喧嘩ばっか…だから決めたんだ。
向日葵が頑張ろうって、下に四人も弟妹がいるから、みんなを守るために必死だったの。
だから、この学園でお金持ちになって、家族を幸せにしてあげたかったんだよ…
じゅんくんのことは、本当は騙したくなかったんだよ。信じて…。ポイントも、返すしだから…
「……………」
どうせ、これも俺を騙す為の嘘何だろうが…騙されねぇぞ…
北条の声が脳内で響いた。
「それは、どうかしらね。情報屋によると、その“ネグレクト”は本当みたい。児相が入りかけたこともあるらしいわ。『騙したくなかった』なんてのは、嘘だと思うけどね」
「もっと早く教えてくれよ」
「考える時間を与えたら同情して、何もできなくなるでしょ」
「う゛っ、一理ある…」
「彼女は家族のために覚悟を決めて学園に来たのよ。あなたとは大違いね」
「ああ…俺はただ、家が近いからここを選んだんだ。能天気な奴だよ…でも、真剣な奴には真剣に騙してやる」
「フフ…やっと覚悟が決まったみたいね。それじゃ、今日の体育で、体育倉庫に来るように誘いなさい」
「了解……」
「自業自得だよね…じゅんくんをこんなに傷つけたんだもん、向日葵は、隣にいる資格なんてないね…今まで、ありがとう…」
向日葵はそそくさと立ち上がり去ろうとした。俺は咄嗟に手を伸ばし、彼女の腕を掴む。
「ちょっ、待てよ…」
「今日の体育、体育倉庫に来てくれ…」
振り返った向日葵は、涙を浮かべながら――いつものように――太陽のような笑顔を俺に向けた。
「うんっ、絶対行くねっ!」
その背中を見送る俺の脳内で、北条の陰謀めいた声が響く。
――「フフッ…あとは、あの子を“料理”するだけね!」
――「お前の“料理”って言葉、怖ぇよ」
――「シェフはあなたなのだから、気合いを入れなさい!」
――「はいはい…わかってるって」
こうして、俺と北条美月姫――悪魔と共謀者――初の共同作戦が静かに幕を上げたのだった。
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