あとからわかる分岐点
星宮和
1
人生の分かれ目って、通り過ぎてから、あそこだったなぁとわかるものである。
あぁ、あそこが分岐点だったなぁと思い返すとわかるけど、実際その時にはわからなくて、後からあそこでこうしていれば良かったと後悔ばかりが募る。
親の病気もそうだ。
食事差入れ掃除洗濯までしてくれていたのに、些細なことで喧嘩して、しばらく来ないからと言われた。
なぜかその時、これで親がいなくなっても後悔しないの?ってぼんやり思ったのに、なんか顔色が悪くておかしいなぁって頭をよぎったのに、気づかないふりをした。そこで謝って顔色悪いからって一緒に病院につれていったら、もう少し長生きしたかなと後悔している。
その後、食欲がなくてあまり食べないて、病院に行くように勧めたけれど、あと数か月後に健康診断があるからまだいいんだと言って行かなかった。
結局、その健康診断で、黄疸がでていて即日入院、末期がんだった。
余命を告げられる。
来年の桜は一緒にみられません。
本人にも告知するか?まず医者に訊かれる。
どうしよう。
延命治療しますか?
親が可愛がっているペット、どうするか?
自分だったら余命宣告されて身の回りを整理したいかなと考えて、医者から余命宣告をお願いした。
でも親戚や友人には余命を教えないでほしいといわれた。
近所づきあいやお稽古事や職場の友人なども多い人だったから、周りから最近見かけないからどうしたのと尋ねられて、困った。
入院も教えてほしくないといわれていたので、お見舞いも私だけ。
抗がん剤で、髪が抜けたり、姿がかわっていったりするのを知られたくないとの考えを尊重したが良かったのかと考えてしまう。
あとから友人らから、お見舞いにいきたかったとか、もっと話したかったと涙ながらにいわれていたたまれなかった。
余命宣告をうけて、緩和ケアではなく、抗がん剤治療をえらんだためか、点滴をされて手足がパンパンに膨れて辛そうだった。
尿が自力ででなくなっているのに延命のために点滴をされるのはつらいのだろうな。
緩和ケアで、樹木が朽ちていくように痛みだけをとる感じでいけたら、もっと楽だったのかもしれない。
浮腫んでつらいから、マッサージしてくれといわれて、触る手足に老いと死が忍び寄っているのを感じて、何度もトイレや帰り道で一人泣いた。
泣きながら帰るので、バスじゃなくて遠いのに自転車こぎながらずっと泣いていた。
緩和ケアの病院も探そうとしたけれど、余命が短すぎて早すぎだよとしか言葉がない。
親孝行したい時に親はいないんだよとたまにいわれていた言葉が本当に身に染みる。
病状が悪化して、何度も病院から呼び出されていくと、昏睡から目覚めると、
また戻ってきてしまった、はやくあっちに逝きたいとか言われる。
迷惑かけたくないから早く逝きたいと。
お前の有給ももうないだろう、迷惑かけてごめんねって。
そんなこと言わないでほしい。
迷惑じゃない、もっと、生きてほしかった。
会う毎に、ありがとうという言葉がなんどもかけられる。
死期が近づくとその言葉がよく言われるというのは本当だった。
死んだら泣いてばかりいるんじゃないよっていうけど無理だよ。
鍋とか使ってちゃんと料理もして、レトルトとかコンビニばっかりじゃなくて、ちゃんと食べるんだよと言われた。
保温鍋とかうまく使いなさいといわれたが、煮込み料理する時間がないよ。
老齢していて、親が看取るといっていた猫のほうが生き残り、猫は親の形見のようになってる。半野良だったから最初はさわれなかったし、シャーって威嚇されていたけれど、だんだん触れる様になって、ようやく仲良くなれたなとおもった。
庭の手入れをしていると、近くにいきて日向ぼっこしていた。
最期の1年くらいは一緒に暮らした。
親が亡くなって数年経って涙にくれることもなくなったなのを見届けたからか、猫が虹のはしをわたってしまって、ぽっかり心穴が開いた。
似ている猫を見るたびに、涙がでる。
最期の時は、3度吠えて逝ったのは看取れなくてごめんなさい。
もうすぐ亡くなること見ていられなくて逃げるように仮眠してしまったのを許して下さい。
親が亡くって寂しいねって猫に話しかけていた。
お互いに独りぼっちだねって話しかける相手がいなくて寂しい。
猫がいた実家は、猫がなくなってもまだ猫の匂いがするし、たまに毛が洋服についていたりして、また涙があふれてくる。親の遺品は洋服類はかたづけたけれど、写真は手放すともう2度と見れないと思うとなかなか処分できない。デジタル化すればよいのだろうが、旅行が趣味な両親だったので、若いころからあちこちいったもの、かなり膨大だ。
家計簿兼日記もあって、迷惑かけたくないからぽっくりいきたいとか、ながわずらいしたくないとかかれていて、涙があふれる。
芋の煮っころがしも、同じように作っていてもなんだか違う。もうたべられない思い出の味。なにか一味足りない。
遺影の写真は、何十年も前の写真で、仏壇にはしばらくマイナンバーカードの写真と猫写真のある診察券も一緒に置いていた。
老齢したら遺影写真って綺麗に写真屋さんでとっておくといいんだよって、親はとっていなかったから、まだまだ大丈夫だとおもっていたのに、余命宣告はほぼあっていた。
自分は動ける元気なうちに遺影写真は撮っておこうと思う今日この頃。
捨て活も早めにしよう。
旅行も動ける元気なうちに行ったほうが良い。
行きたいと思っていけるなら、家族友人がまわりが元気な時に行きましょう。
いろんな選択、あとからこうすればよかったとおもうことばかりなり。
巻き戻し、やりなおしができたら、どのタイミングを選びますか?
学校選び、恋人の出会い別れ、会社、病気のケア選択、……。
自分の余命告げられたら、病と闘いますか?
緩和ケアを選びますか?
正解のない的確な選択は、難しい。
あとからわかる分岐点 星宮和 @hoshimiyakazu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます