解氷-自分ルール

「子どもの頃ってさ」

 

 皐は、何かを思い出したように静かに呟く。

 

 日曜日の日中、デパート前。高校に必須となる道具を抱えながらの信号機前。目の前にある横断歩道前に設置されている信号は赤色を光らせており、停止しなければいけないことを俺たちに知らせている。

 

「自分ルールとかってあったよね」

 

 そんな横断歩道の前、皐は横断歩道の白線を見ながら言葉を吐く。信号機が青色へと切り替わると、皐は横断歩道の白線からはみ出さないようにそれぞれを踏みながら、トテトテと子どものように歩いている。

 

「あー、まあ、あったかもな」

 

 今の皐が行っているように、昔は自分ルール、というものを決めて行動をしていたような気がする。

 

「段差がある場所だったら踏み外したら死ぬ、とか、信号機渡ってる時は息止めてなきゃダメ、とかな」

 

「そうそう。翔也とかよく段のある所でバランス取りながら歩いてたよねぇ」

 

 そんなこともあったかな、と言葉を漏らしながら、改めて横断歩道の白線を眺めてみる。

 

 皐がやっていたように白線を渡りながら歩くのも悪くはないな、と思う反面、自分がやったら子ども過ぎないか、という気持ちもある。別に皐が子供っぽいと思っているわけじゃないけど、職にも就いている俺がそんなことをしてると考えてしまうと、どうにも歪に見えて仕方がない。

 

 そうこうしている間に俺たちは横断歩道を渡り終えて、いつも通りの帰路につく。

 

 これから先の道に信号機や横断歩道はしばらくなくて、とりあえずは長く感じる緩やかな上り坂を進んでいくのみ。

 

「翔也はさ」と皐は言葉を吐いた。

 

「今も守ってる自分ルールとかってある?」

 

「自分ルール、ねぇ……」

 

 彼女の言葉に色々なことを思い返しながら、俺はぼんやりと息を吐く。

 

「ないな」

 

「ないの?」

 

「うーん、思いつかないからなぁ」

 

 実際、何かしらを考えてはみたものの、その場面に出くわさなければ思い出すことはないし、大々的に思い浮かぶルールも自分には敷いていない。

 

 毎日を適当に送っているのだ。そんな俺が自分を縛るようなルールを設けるわけもない。

 

 ……まあ、皐の言っている自分ルールがそんな大層なものなのか、と言われれば恐らく違うのだろうけど。

 

「あっ」

 

「おっ」

 

 俺は思い出したように声を出した。その声に反応して、皐も期待をするような声音を出す。

 

「映画とかドラマあるじゃん」

 

「あるね」

 

「登場人物が水中に潜ってる時、俺息止めてるわ」

 

「あー」

 

 坂道を歩きながら、皐は思い出すように顎に手を触れながら息を吐く。

 

「何となくわかる気がする。ルールっていうか、無意識にやっちゃう感じ」

 

「あと、何かしら熱いものを持つ時とか、カイジに出てくる焼き土下座とか意識してるわ」

 

「……なるほど?」

 

 ……焼き土下座については、皐に上手く伝わらなかったみたいだ。

 

「なんというかさ、去年の夏とかめっちゃ熱くなったパイプとか運ばされたことがあるんだけど、その時に『あー、肩の部分が焼き土下座だなあ』とか思ったりしてた」

 

「……それは自分ルールに入るのかな?」

 

「……入んないかもな」

 

 自分ルールというか、勝手に思い出しているだけだし、なんら縛りとは関係ないかもしれない。

 

「オレオを食べる時に、必ず半分に分けてクリームとそうじゃない部分に分けたりとかする」

 

「……確かに、たまにやってたね」

 

「焼き鳥を食べる時は串から外してからしか食べない」

 

「……私が来てから焼き鳥なんて食べたっけ」

 

「しりとりをする時は必ずズで攻める」

 

「……毎回やる度に性格悪いなぁって思ってるよ」

 

「ドアノブを捻る時は音が鳴らないようにしてる」

 

「……私が来た最初の頃、何度か私を驚かせてきたもんね」

 

「……割とあるもんだな」

 

「割とあるねぇ」

 

 どこかの嗄れた老人のように、俺たちは間延びした声を上げながら息を吐く。……というかここまで俺しか語っていないから「皐はどうなんだよ」と言葉を吐いて聞いてみる。

 

「うーん、そうだなぁ」

 

 そうして、俺は彼女の言葉を待ってみるけれど……。

 

「……ないね」

 

「……ないか」

 

「ないです」

 

「……さいですか」

 

 俺はそんな適当な反応しかできなかった。

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