彩季-趣味
「すげえ今更な話になるんだけどさ」
春先に吹く冷たい風から逃れるように、この部屋の窓は開いていない。そんなくぐもった物理室の中で、俺はぼんやりと夕焼け空を眺めたあとにぽつりと言葉を吐く。
「伊万里って趣味とかあんの?」
「……は?」
そんな俺の言葉は物理室の沈黙を破ったものの、今の空気以上に重たくなるような息を伊万里は吐いて、そうして俺は視線を逸らした。
……いや、普通に雑談でもしようかな、とそんな気持ちで彼女に言葉を吐いたわけだけれども、それをこんな威圧した言葉で返されると、なんというか流石にへこむ。
現実逃避をするように、……というか現実逃避に俺は窓の外にある夕陽をぼんやりと眺めてみるけれど、一瞬の間を置いたあとに伊万里は「いや、続きは……?」と呟く。
「……伊万里の態度が怖かったからもういいよ」
「怖いとは失礼な。……いきなり話題を吹っ掛けてきたから、少しびっくりしただけです」
「……」
それにしたって、は? は流石にないだろ。
そんな言葉が心の中に生まれたけど、それを口にするのは尚更怖かったので飲み込んでおいた。
「というか、いきなりなんです? 薮から棒というか、本当に唐突では?」
「ほら、なんか暇じゃん? 携帯の充電もそろそろやばいし、ちょうどいい所に人もいるわけだし、とりあえずなにか雑談でもしようかなぁ、と」
「ちょうどいいところに、というのが引っかかってしまいますが、正直暇ではあるので、まあいいでしょう。……それでなんでしたっけ?」
「だから、趣味だよ趣味」
俺は先程吐き出した言葉を思い出しながら、彼女に返す。視線を夕焼けから逸らして、伊万里が座っている物理室の中央の席へと移していく。
彼女は先ほどまでやっていたらしい勉強を机の隅において、そうして俺の方へと体を向ける。背もたれのない椅子だから、それは容易に行われた。
「そーですねぇ……。……勉強?」
「……マジで?」
……いや、別に伊万里ほどの真面目そうな女子がそんなことを言っても疑う余地はないものの、実際に勉強を趣味にしている人を見かけてしまうと、何となく戸惑う所がある。
「家帰ってやることとか勉強くらいしか思いつかないんですよね……。だから、趣味は勉強になるかと思います」
「……すげえなお前」
俺が素直に彼女に対して感動していると、その俺の思いとは反比例するような困惑した表情を伊万里はうかべる。
「……流石に冗談ですよ?」
「……冗談なの?」
「冗談ですよ、まさか信じたんですか?」
困惑してる眉の傾きから、だんだんと緩和されたような揶揄う笑みへと伊万里の表情は移ろっていく。
「伊万里ほどのやつが言うなら本当なのかなって」
「高原くんから見た私、なんかスペック高そうですね」
伊万里はクスクスと笑っている。
なんとなく悔しいという気持ちが湧き上がるけれど、何かしてやりたい、というほどには沸き上がらないので、俺は話の流れを戻すことにした。
「それで結局のところ、伊万里の趣味はなんなんだよ」
「えー? 人に物を聞く時は先ず自分から話すのがセオリーなのではー?」
伊万里はしてやったり、というような表情を浮かべている。
……なんとなくでも分かる、今俺は彼女になめられている。馬鹿にされているというか、からかわれているというか、ともかく彼女から下に見られているということはハッキリしているだろう。
それならば、ここは俺の趣味で伊万里を戸惑わせるしかない。俺の勘というか意地たる部分がそう言っているのだから、俺は衝動のままに思いつく言葉を――。
「――AV鑑賞」
「――はい?」
「AV鑑賞だ」
「…………はい??」
「AV鑑賞、つまりはアダルトビデオを鑑賞することだ。アダルトビデオを直訳すると大人な動画という意味になり、その言葉の通りにアダルトビデオというのは大人の――」
「――ちょ、ちょっ! どうしたんですか高原く――」
「――行為が描画されたビデオであり、男女の営みとされる性的なものが描かれている感動的な――」
「――待って! もういいから! 分かりましたから! ……っていうか感動的ってなんですか?!」
「うん? 語っていいのか?」
「ダメに決まってるでしょ!! 恥じらいというものがあなたにはないんですか?!」
焦燥感に満ちた言動で慌てふためいている伊万里の姿を視界に入れる。過剰に反応する彼女の姿がおもしろ──。
「――高原くんの変態」
「――えっ」
「ド変態、ドスケベ、色情狂」
「えっ、あっ、いや、じょ、冗談だよ?」
「冗談でも本気でも、いきなり変な話題をぶん投げてこないでくださいっ!」
「……それは、……すんません」
確かに、彼女の言う通りだな、と思って、とりあえず俺は謝罪をした。
……それで結局、伊万里の趣味ってなんなんだよ。
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