第95話

「は……?」


 まさか苦言を言われるとは、これっぽっちも思っていなかったんだろう。むしろ「やってやったじゃん!」と同意を得られると思っていたのかもしれない。少なくとも上代さんのグループの女子達なら、たとえ訳が分からなくてもムダに騒ぎまくっていたに違いない。


 でも、それまでずっと押し黙っていた瀬尾さんから「ダメだよ」と言われて、思わずムッとしたといったところか。上代さんはバンッとテーブルに両手を強く付いて「何よそれ!」と食ってかかった。


「おじさんから話聞いてたんなら、鈍いあんたにだって分かるでしょ!? 実の親が娘の夢を邪魔するとか、ありえないと思わない訳!?」

「……ごめん。そればっかりは、分かんないよ」

「分かんないなら、口出しするんじゃ」

「でも、大事な家族をそんなやり方で黙らせるのは、やっぱりダメだと思う!」


 上代さんの言葉を遮った瀬尾さんは、ぱっと顔を上げて彼女の顔を見つめ返す。その時、僕の目には、瀬尾さんの腰元にある馬のしっぽがオーディション会場で見た時よりもずっと膨れ上がっているかのように見えた。人工毛で作られた偽物のしっぽなのに。


「最初にひどい事された時、上代さんはもっとお父さんと話し合うべきだったんだよ。おじさんっていう強い味方もいたのに」


 瀬尾さんが言った。


「わざわざ同じような事して仕返ししなくても、上代さんの歌の力ならいずれお父さんの方が根負けしてたはずだよ。あんなにきれいな歌声、嫌いになれる人なんてどこにもいない。それが自分の娘のものなら、なおさら」

「そんな甘いクソ親父じゃなかったから、ここまで苦労したんじゃん。泉坂だってそうでしょ?」


 自分の歌声を引き合いに出されて不利と判断したのか、上代さんが助け舟を求めるような形で僕の名前を呼ぶ。僕はわずかに頷いた。


 上代さんの言う通りだ。そんなに簡単じゃない事をしでかしてくれたひどい父親と、どう話し合えっていうんだ。母さんとだって、まともに顔を合わせないような卑怯な男なんだ。そんな奴と、どうやって……!




『なあ、清人。金曜の夕方には帰ってくるから、その時少し話せないか……?』




 やめろって! 瀬尾さんが言っているのは、僕の方から父さんと話をしろ・・・・・・・・・・・・・という事だ。父さんの方から僕に話がある・・・・・・・・・・・・・っていうのは、すなわち「あいつ」の話になるんだから。


「……ありがとう、井上君。もう大丈夫」


 肩を支えてもらい、背中までさすってもらったおかげか、吐き気はいつのまにか治まっていた。僕はテーブルの真ん中に置いてあった濡れティッシュを取って、少しだけ汚れた口元を拭うと、「確かに、そんな甘い父親じゃないよ。瀬尾さん」と口火を切った。

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